今日は「父北村雨垂とその作品(144)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(144)
原稿日記「一葉」から(その27)
時間 1979年(昭和54年)8月10日
私の胸に津波となって炎えさかる火の海は、とうとうと渦巻く黒潮に突撃する運命だ。この運命の胸は
私の寸前の現在を、何の顧慮もなく、この業火の波を突き抜けやうと、心臓を鼓舞しつづける。汗を流し
呼吸(いき)をつまらせ、而し、矢張り、現在の寸前は、依然として現在の寸前として、哄笑しつづける。
私は依然として現在に足をふみならし過去を振り返って、業火の波頭を歩き續けねばならぬ。
おにあざみ 1979年(昭和54年)8月10日
(この作品は、1979年(昭和54年)7月22日作に多少の変更がある。)
永遠のほかは、何も知らない無数の蛇は、一様に青白い腹で狭い大地を歩きつづける。赤や黄色の衣裳
を漂泊して、惜し気もなく脱ぎ捨て、省りみない。鶏小屋は、野犬やドロボー猫の縄張りとあって、專ら
小綬(こじゅ)鶏(けい)や雉(きじ)鳩(はと)の住家(すまい)を探し廻ってゐる。また、水野豊富な田圃を区
切る原始林のやうな雑草をかいくぐり好物の赤蛙やとのさま蛙を狙い撃ちのように鎌首を構える。舌なめ
づりに、腰を抜かした蛙に、いかにも満足と云った表情をする彼等の一番怖れてゐるのは、藁(わら)草履
(ぞうり)をはいた村の悪童達であった。路端にはときおり、紫の娘の首を差し上げた鬼薊が彼女の美貌を
誇示してゐる。
「こころ考」 1980年(昭和55年)12月21日 雨考
「心」が私の実体であり、それは観えるものでもなければ観るものでもなく、唯その陰影らしきものが
見えたり観たりすることによって、実体のそれ自身が認識しようとする。実体それ自身の機能としての反
省あるのみである。
哀しさの なにかは知らぬ 瞳に浮かび
楽しき時間(とき)と 共に流る
朝顔の 朝を華麗にして 沈づむ
(1979年(昭和54年)8月8日)
尺蠖に 腹を抱えて 笑った 鬼
尺蠖に 山門の鬼 からからと笑ひ
(1979年(昭和54年)8月24日)
決論を鏡に 鬼面 歩るきだす
鏡面の点が 鬼面と 歩きだす
(1979年(昭和54年)9月18日)
鏡面の 点が 鬼面と 線を描くか
(1979年(昭和54年)8月20日)