なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(28)

 金曜日(午後6時から8時)の原発反対の官邸前抗議行動が続いています。私は2回しか参加していませんが、現在も毎週続いています。最近は大分人数が少なくなっているようです。抗議行動の持続は、なかなか困難な課題です。辺野古新基地建設反対国会前座り込みの抗議行動も何年も続いていますが、最初の頃はいろいろな立場の人たちがこの抗議行動に参加していました。今は最初から参加しているキリスト者の女性たち数名が中心になって、月曜日と木曜日の週2回午後1時から4時までということで続いています。私は、連れ合いが最初から参加している女性たちの一人で毎週木曜日に座り込んでいますので、彼女が他の用事が入っていけない時には代わって私が行くようにしています。先週も今週も私が参加しました。

 この座り込みにはアッピールのための道具類やカンパ箱を持って行きます。カンパは全額辺野古に送っています。参加者が各自の家から持っていくのでは大変ですから、ある党の会館の一室にその道具類一式を置かせてもらっています。ところが近々その会館が取り壊されてなくなってしまうことになりました。今座り込み仲間ではそうなった時の対処を考えています。大きな組合とか組織がやる抗議行動とは違って、少数の市民の有志による抗議行動はこういうことでも困難に出会うことが多いのです。そうなったらそうなったで出来ることでやるしかないのですが・・・・。

 さて今日は、「牧師室から(28)」を掲載します。1998年に教会機関誌に書いたものです。
               

                 牧師室から(28)

 私たちは関わりの中にありながらも、その関わりを忘れてしまう場合がしばしばです。自己中心的な私たちは、自分のことにかまけてしまうがちです。そうすることによって、関わりにある他者が自分の中からいつしか失われていることにさえ気づけない者です。そんな時、他者はどんな気持ちでいるのでしょうか。

 私は、私たちの教会が教会として関わりを持った他者や課題には、可能なかぎり責任を引き受けていきたいと願っています。阪神・淡路大震災のことで、二月にI牧師をお呼びしたのも、私たちの教会のそのような姿勢の現われとして、私は受けとめています。先日一人の姉妹と関係教会であるF伝道所をお訪ねし、私たちの教会からの献金をお待ちしました。その中にこういう一節がありました。

 「カミト ヒトトノ カンケイガ キラレタ コトニ オイテ ツミト サアレタト スレバ アイト シンライトヲ モッテ カンケイガ キズカレタ トコロニ メグミト オンチョウウノ アルコトモ タイカナ コトデ アリマショウ。
 キョウカイハ マサシク コノ カンケイヲ ソウゾウスル タメニ タテラレタ モノデ アルト シンジマス」と。

 同感です。そして関係の創造は持続的なものですし、広さだけではなく深さが求められるものではないでしょうか。
                                1998年4月


 三年前紅葉坂教会に着任してしばらくたった頃だったと思います。一通の手紙をいただきました。差出人はYさんでした。地下鉄港南台中央駅の近くにある横浜刑務所からのものでした。小さい時に友達と当教会に行ったことがあるのを思い出して、牧師さんは替わっていると思いますが、面会に来てもらえないかという文面でした。さっそく出掛けて行き、Yさんと面会しました。Yさんは刑務所の中にある拘置所にいて、数日後に刑が確定することになっていました。何をしたのかは聞きませんでした。少し話をして、Yさんから国語辞典と2,3万円の差し入れを求められました。約束をして、次の面会の時にそれを持って行きました。

 その時に、二年半の刑が確定し、Yさんは大変落胆していました。本人の予測よりも刑期が長かったのです。私は、そう落胆せずに、二年半をその後の長い人生をどう生きるかを考える時にされたらと励ましました。刑務所に送られると、自分からは発信できないが、身元引受人ならばそれができるのでと、身元引受人になってもらえないかと、Yさんは私に頼みましたが、それはお断りしました。聖書と袋の差し入れを頼まれ、後日それを拘置所の係りの人にYさんに渡してもらうようにお願いし、それ以来音信が途絶えていました。

 先日そのYさんが私を訪ねてくれました。今は刑期を終えて、千葉の市原で父親の仕事を一緒にしているとのことでした。「いつかインドに行きたい」というYさんの目の輝きが、印象的でした。
                                1998年5月
  

 当教会には「葬儀の手引き」書があり、教会で行う葬儀は、一定の方式に定められています。最初に決められたのは、1990年4月の教会総会においてです。その後細部の改定はありますが、基本的なところは変わりません。

 この葬儀に関する当教会の方式は、諸兄姉の了解があってはじめてスムーズに受け入れられるものです。現状はおおかたの了解に立って、実際の葬儀もそれほど大きな問題がなく進められています。けれども、全く問題がないわけではありません。故人や遺族の希望はどうなるのかという点です。葬儀は故人と遺族の行為であるとすれば、教会が一定の方式を押しつけるのは筋違いではないかという考えです。

 当教会が一定の方式を教会総会で選択した背景には、上記の考えに基づく教会の葬儀が、余りに高価になったこと、召された人によって飾り付け等に違いがあり過ぎたことなどへの反省があったと聞いています。「教会の葬儀は、故人がこの地上で神に召され、愛され、導かれて一生を歩んだことを覚えて神に感謝する礼拝」(「葬儀の手引き、はじめ」より)であるとすれば、神に命与えられたひとりの人の一生は、それぞれ違いはあっても、その存在においてはどの人も同じだと思います。そういう人の教会で行う礼拝としての葬送式は、私も同じようにしたいと思います。

 故人や遺族の希望が、その中で生かされればと願います。
                                1998年6月