なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(81)

        
         船越通信癸牽院  。横娃隠嫁11月4日     

・10月28日の日曜日は、この日は礼拝に来れないと連絡のあった方が多く、3,4名での礼拝ではないかと思っていました。ところが2名のめずらしい方の出席があり、6名での礼拝でした。何時ものように礼拝後に、お茶を飲みながらしばらく懇談して散会しました。連れ合いもこの日は、土日と名古屋時代の子どもの学校を通した母親同士の仲間と出かけていましたので、私は午後4時過ぎまで、船越教会に残って仕事をしました。10月24日の池袋で、教団総会会期中に開催しまた私の裁判支援会「全国交流集会」での世話人代表関田寛雄先生の挨拶の原稿をいただいていましたので、この集会の報告を中心に出すことになっています支援会通信第4号に掲載するために、関田先生の原稿をワープロで入力したりしてから、鶴巻に移動しました。支援会通信第4号は12月3日の第二回口頭弁論と報告集会の案内と共に11月8日に支援者に発送することになっています。

・29日(月)から31日(水)までは、鶴巻で支援会通信第4号に掲載する予定の原稿をまとめて、いつもその原稿の編集レイアウトをして通信に仕上げてくれますS牧師に送る作業をしました。私の裁判支援のために様々な働きを快く担って下さっている方々が、事務局の方々、訴訟対策委員の方々をはじめ多くいてくださることは、本当に心強い限りです。今回は二つの原稿の中に裁判と関係する記述があり、裁判に悪影響を与えることを恐れ、岡田尚弁護士にも目を通していただき、必要なところは修正していただきました。ありがとうございました。

・11月1日の木曜日は、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。その日は常連の3人の女性と私の4人という少人数でしたが、午後1時から4時まで何時ものように工事中の参議員議員会館前の道路で座り込みました。前回の船越通信でも報告しましたが、過日の第38/24回教団総会では、沖縄普天間基地オルプレイ配備及び米兵の女性暴行事件への抗議が取り上げられなかったことを思い起こしながら、一方的に沖縄に犠牲を強いるこの国とヤマトの私たち自身の問題性を思いながら、座っていました。

・さて、船越教会の裏庭にNさんが作って下さった葡萄棚があり、その葡萄棚一面に広がり、さらに裏の崖にも延び広がった、蔓と葉っぱの植物に、今野球のボール位の白いウリが沢山実っています。ハヤトウリというそうです。Nさんが植えてくれたものです。私はいままで食べたことがなく、今回初めて口にすることができました。ハヤトウリの糠づけをおいしくいただきました。しばらく前までは、やはりNさんが階段を上ってきた所に植えてくれたゴーヤが沢山とれました。ゴーヤのサラダやゴーヤチャンプルを作っていただきました。週の前半にいます鶴巻の近辺には農家が結構あり、軒先に野菜類が置いてあって、100円か50円を払って自由にいただけるようになっているところがります。ですから、新鮮な野菜を、流通機構を介さずに、農家から直接に分けてもらうことができるのです。新鮮ですから、食べてもおいしく感じます。現代社会は複雑な流通機構を介して、生産者と購買者の関係が出来上がっていますが、自分が生産者であったり、直接生産者から分けていただくという体験をすると、そういうシンプルな生活に戻りたいという思いが膨らみます。

・11月3日の土曜日午後2時から蒔田教会で神奈川教区の宣教方策会議がありました。この会議は毎年この時期に開催されていて、2013年度の教区活動基本方策案および活動計画案と各地区・各部・各委員会の活動計画案の策定に資するために行われています。最終的には常置委員会がまとめて教区総会に提案し、総会の承認を以て決定されます。ですから、宣教方策会議では、教区とそれぞれの活動計画案のすり合わせをすることになっています。今回の宣教方策会議では、今までになくいくつか積極的な発言・提案があり、特に教区の宣教の課題について2,3文案の修正に繋がりました。例えば、「核問題に取り組む」という原案に対して、東京電力福島第一原発事故後のことを考えて、原発のことを具体的に書き込むべきではないかという意見がありました。或いは「・・・基地問題に取り組む」という原案に対して、オスプレイの危険性や沖縄の米兵の女性暴行事件にも具体的に触れるような文案にすべきでなかいかという意見もあり、それぞれ持ち帰って12月の常置委員会までに文案を検討することになりました。このような宣教方策会議は近年めずらしいと私は感じました。何だろうかと思い巡らしてみて、これは過日の教団総会の影響もあるのではないかと気づかされました。積極的な発言をした人は過日の教団総会に出ていた方でした。心のどこか奥深くに、あの無為に思える教団総会のようにはなってはいけないという思いがあったのではないでしょうか。特に核問題も基地問題も、現在の教団執行部は本来の教会の使命である伝道の働きからすれば、第二義的であるとして取り上げなかったものです。「命に関わる問題だから是非取り上げて欲しい」という訴えが議場で出されているにも拘わらずです。その教団総会を会場の後ろで3日間傍聴した私は、ああこれで今の教団(執行部)は終わったと思いました。あの教団総会を私と同じように感じたかどうかは分かりませんが、今回の宣教方策会議に出て、上記のような発言をされる方がいるということに、なぜかホッとさせられました。まだ神奈川教区はまんざらでもないということでしょうか。