なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(101)

          船越通信癸隠娃院 。横娃隠廓3月24日      

・17日(日)の礼拝には、先日船越教会で葬儀が行われましたMさんのお連れ合いであるSさんも出席され、礼拝後のお茶の会を共にしました。Mさんの話になると、Sさんは自然に涙がでてしまうとおっしゃりながら、涙をぬぐっておられました。自分が経験しないと、長年連れ添った夫婦の一方が先に召されて、後に残された者がどんな思いでいるものなのか、想像が届きません。二人の関係は、それぞれの時間の中に大きく重い位置を占めているに違いありませんから、ある日突然その一方がいなくなれば、その喪失感と自分の中に圧倒的な存在感をもって共に生きてきたその人との生身の関係が失われ、思い出の中での関係になるのですから。その喪失感や悲しみ、寂しさが癒されるには時間が必要でしょう。主による癒しと支えをお祈りしていきたいと思います。

・お茶の会の後、連れ合いとTさんとで、20日の神奈川教区平和フェスタのプログラムを印刷することになっていたようで、二人はそれに取り掛かりました。私は二階の牧師館で自分の仕事をし、木曜日からの生活で散らかした後片付をしてから帰り支度をし、一階玄関に降りていきました。二人はまだ印刷した用紙を冊子にしていましたので、それを手伝い一緒に完成させました。そして3人で船越教会を後にして帰途につきました。教会から出てしばらく歩いた所で、Tさんとは、自宅まで歩いて行くから別の道を行くというので別れました。私たちは午後3時半過ぎになっていましたが、お昼もお菓子ですませているし、鶴巻までは遠いので、船越のラーメン屋さんでラーメンを食べてお腹を膨らませていこうということにしました。ラーメンを食べてから、京急田浦駅から横浜で相鉄に、海老名で小田急に乗り換えて、鶴巻温泉駅に着いたのは午後6時過ぎでした。鶴巻のマンションに着いて、しばらく旅(?)の疲れを癒してから、私は一人で弘法の里湯温泉に行きました。

・18日の月曜日は、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。社民党の社文会館の取り壊しで、座り込みの荷物を置かせてもらうところがなくなってしまい、現在は、座り込みに来る人が分担して、自宅に持ち帰り、座り込みの日に持ってくるということになっています。座り込みは月曜日と木曜日の午後1時から4時ごろまで毎週行っています。この日は前週の木曜日に座り込みをした連れ合いが持ち帰っていた荷物を私が持っていくことになっていましたので、それを持って国会前まで行きました。いつも参議員会館前の道路で座り込みをしていますが、この日はその場所に早めに着きましたので、まだ誰もいませんでした。しばらく待つと、毎回来ている二人が到着し、アッピールする道具を組み立てて、その前に携帯用の小さな折りたたみ椅子を置いて、そこに座りました。するとすぐ、この座り込み参加者の中では最年長のSさんがいらっしゃいました。それからしばらくすると、TさんとNさんが来ました。この日の座り込みは6名で、少ない時は2~3名でしていますので、このくらいいるといいわねえ、Sさんはおっしゃっていました。

・さて日本政府は沖縄県辺野古の埋め立て申請を出しました。埋め立てには名護漁業協同組合から同意書が出たと言われ、それが出て1時間後に申請が出されたということです。そこには姑息なやり方が見え、権力の側が金と力で動かそうとしていることが露呈しているとしか思えません。そのことによって沖縄の人たちがまた分断されてしていくとすれば、こんな悲しいことはありません。日本政府は沖縄の人たちの思いを汲んで、アメリカに米軍基地撤去を求めるべきなのです。この国にそのような民衆の命と生活を守る政府が樹立できるのは何時になるのか。見えない光を見ながら、辺野古新基地反対の運動に連なっていきたいと願っています。

・19日(火)は、20日の平和フェスタの準備で、午後5時までに連れ合いが二宮教会に行くことになっていましたので、私も荷物運びとして同伴しました。20日(水・祝)は二宮教会とお隣の幼稚園の園庭とホールをお借りして、神奈川教区の平和フェスタが行われました。今年は第9回になります。二宮教会とお隣の幼稚園、が会場になるのは2回目です。平和フェスタは神奈川教区社会委員会が中心になって、社会委員会に属する6つの小委員会(ヤスクニ・天皇制問題小委員会、基地・自衛隊問題小委員会、部落差別問題小委員会、核問題小委員会、社会福祉小委員会、多民族共生をめざす小委員会)に、特設委員会である寿地区活動委員会、性差別問題特別委員会、国家秘密法反対特別委員会と宣教部委員会の中にある沖縄交流委員会、さらに自主的な有志の会である大きなうねりを起こす会などが、展示物や食べ物を用意します。それぞれの委員会から出てきた人によって平和フェスタ実行委員会が作られ、その年の平和フェスタの内容はその実行委員会で考えられます。当日は、まず礼拝があり、午後1時ごろまではそれぞれのブースを見たり、買い物をしたり、今年はうどん、カレー、タイ焼きそば、チジミ、五目ずしなどの出店があり、お昼はお好みによって食事をとります。午後1時頃から、平和フェスタのメインのプログラムがはじまります。その年によって違いますが、講演の時もあり、幾つかの委員会によるスタンツだったりします。今年は『戦争のつくりかた』という絵本をベースにして、戦争のつくりかたと平和のつくりかたを、全員参加型の形で考えました。まず『戦争のつくりかた』の絵本をプロジェクターで写し、各委員会の代表者が分担して朗読しました。次に大きな木の十字架を正面に据えて、そこにどうしたら戦争ができるか、各委員会が考えて来たことが書かれた紙を、読んでから、十字架に貼りつけました。その内容に関してフロアーとやりとりもありました。全部終わって、貼りつけた紙をはがし、十字架の木の下に散らします。落ち葉のイメージです。次に参加者全員に配られていた色紙の葉っぱに、それぞれ自由にどうしたら平和を築けるかを書いて、その葉っぱを、一人一人木の十字架の頭から張られた緑の網に結び付けていきます。十字架が葉っぱのついた緑の木になりました。そして、何人かが、自分が葉っぱに書いた言葉を発表しました。私は発表しませんでしたが、自分の葉っぱには、「弱者を大切にする」と「地球国家建設」と書きました。そして午後2時30分には今年の平和フェスタは終り、後片付けをして、それぞれ帰路につきました。参加者104名とのことでした。