なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(114)

           船越通信癸隠隠粥 。横娃隠廓6月23日        

・6月16日(日)の日曜日は、礼拝後何時ものようにお茶と懇談の時を持ちました。この日はWさ

んが差し入れてくださったアップルパイに、Tさんの差し入れのシホンケーキ(?)、そしてH・

Tさんが作って来て下さったもち米でないおこわ、それから

・H・Sさんのお連れ合いが作った野菜(?)の差し入れと、お茶のお菓子どころではなく、豊か

な食卓を共にしたという感じでした。9名の方で分け合っていただきました。しばらく懇談をし

て、その後散会しましたが、Tさん、H・Tさん、H・Sさん、Nさんに私も加わって、教区の社

会福祉小委員会が毎年夏に行なっています「障がい者と教会の集い」、今夏は第28回になります

が、その集会の案内を印刷し、神奈川教区の諸教会・伝道所に発送する作業をしました。

・私は途中で失礼し、この日は夜に東京の早稲田で「聖餐を考える会」があり、私も出席すること

にしていましたので、それまで自分の仕事を2階の牧師館で行いました。午後2時ごろになっていた

でしょうか、上記の作業をしていた方が帰りました。私の方は、6月3日に行なわれた第一回控訴審

後の報告集会の記録をテープ起こしすることになっていました。世話人代表のS先生の挨拶は、S

先生から手紙原稿を送っていただきましたので、この日はそれをワープロで打ちこみました。後私

の担当として原告挨拶と弁護士4人の発言を起こさなければなりませんでしたが、私の裁判支援会

事務局のSさんがICレコーダーからパソコンに取り込んだ記録を私のUSBにコピーして船越に持っ

て来ていましたが、船越のパソコンではどうしてもその再生ができませんでした。船越のパソコン

が古い型のものなので再生ができなかったのか、良く分かりませんが、私の未熟な技術では何とも

できませんでしたので、この日のテープ起こしはあきらめました。

・午後4時過ぎに船越教会を出て早稲田に向かいました。京急田浦から金沢八景快速急行に乗り

換えて、幸い座席に座れましたので、そのまま品川まで行き、品川でJR山手線で高田馬場まで行

きました。この日は順調で午後5時半には高田馬場駅に着き、駅前からバスに乗りました。会は午

後6時からですので、十分間に合うと思っていましたが、何を間違えたのかバス停を一つ前で降り

てしまい、会場に着いたのは6時5分過ぎでした。しかし、私が着いた時にいらしていた方は数名

で、その後10分ほど経ってから十名ほどの人が集まり、会が始まりました。この日の会では聖餐に

ついての話し合いよりも、私の裁判支援の話が中心になりました。その関連で、現在の教団の現状

に対する意見がいくつか出ました。執行部側の攻勢に歯止めをかける動きが全教団レベルでは希薄

ではないかとう現状分析に立って、どうしたらということで、2,3意見が出ました。例えば現執行

部側の「改訂宣教基礎理論試論」に対して、「合同教会論」をどこかで話し合い、それをまとめて

教団全体に発信していく必要があるのではないかとか、教団の中の中間層への働きかけを丁寧にし

ていく必要があるのではないかとか、各教区・地区で現教団執行部の姿勢に疑問を持つ人たちが自

主的な集まりを開いて、そのようなグループの全国的な繋がりをもたなければならないのではない

かというような意見です。もっともな意見ですが、今の問題はそれらの意見を具体化していく担い

手が見当たらないということです。それを誰がどう担っていくのか、誰かがそこに主体をかけてや

って行くかが問われているわけですが、そういう人がなかなかいないということなのでしょう。こ

の日鶴巻に帰ったのは午後10時ごろでした。

・17(月)は鶴巻のパソコンのハードに入れておいた6月3日の報告集会の録音を聞きながら、テー

プ起こしをしました。ほぼ一日で私の担当部分は終わりました。翌日18日(火)の午前中に4人の

弁護士の方にそれぞれの発言記録を送り、手を入れていただくようにお願いしました。後で気づい

たのですが、どうもお一人の弁護士に送ったつもりが別の方に送ってしまったようです。この日午

後説教演習に出かけ、その後連れ合いとセンター南にいる私の姉の所を訪ね、そこから帰って来た

のが午後10時半過ぎでした。それからパソコンを開きメールを見ましたら、間違って送った方か

ら、私のところにこんなものが来たが、どういうことでしょうかというメールがありました。早速

その方には間違いを謝罪し、改めて弁護士の方に送信しました。

・17日(月)には、支援会事務局Kさんから、Kさんが担当して下さった6月3日の報告集会の質疑

応答と各地区からの発言の要約が私の方へ送られてきました。それぞれの発言者への確認を私の方

で取ることにしましたので、メールアドレスの分かる方にはメールでその方の発言部分を送り、分

量を増やさないで手を入れてもらい、私の方へ送り返してもらうようにしました。お二人はアドレ

スが分かりませんので、返信の封筒を入れて郵送で送りました。22日までにとお願いして出しまし

たが、22日の土曜日夕方までに、一人の方を残して他の全ての方から応答をいただきました。これ

で通信7号の原稿がほぼ揃いました。みなさんのご協力に感謝します。

20日(木)は鶴巻から船越教会に着いたのは午後4時ごろでした。この日は夜に聖書研究会があ

りました。上村静『旧約聖書新約聖書』の「終章:神学について」の部分を参加者私を入れて5

人で読みました。上村さんは、この本では聖書と神学の暴力性について熱く語っていますが、この

本全体を通して上村さんのいいたいことは、以下の上村さんの言葉に象徴的に示されているように

思われます。「神について語ることは人間について語ることである」(p.347)。「聖書には人間

による人間支配を認めないという思想がある」(同)。「〈神学〉は、人間について、〈いのち〉

について、語ることでなければならない」(p.353)。かつて田川健三さんが「現実と観念の逆

転」ということを言いましたが、上村さんの言う神学批判は、正に神学という観念を現実だとする

ことによって、現実が無視され、その神学が現実に対して暴力的であるのではないか、と問うてい

るように思われます。さて、この日で上村さんの本は終わり、上村さんの本は難しかったので

(?)、次回からはTさんの提案で、本田哲郎さんの翻訳と新共同訳聖書とを比較しながら、ガラ

テヤの信徒への手紙を読んで行くことになりました。どうぞご期待下さい。