なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(133)

        船越通信癸隠械魁 。横娃隠廓11月10日                

・11月3日(日)は永眠者記念礼拝でした。故Aさんの親族の方が12名出席され、この日の礼拝

出席者は30名でした。Aさん以外の遺族の方も、Hさんを含めて6名出席しました。その外に11月4

日の私の裁判支援会報告・討論集会に神戸から来られたMさんが、船越教会の礼拝にも出席したい

と言って、来ました。10月27日にありました兵庫の研修会でお会いして、Mさんには、京急田浦

らの簡単な地図を書いて渡してありますたが、何を勘違いしたのか、私の書いた地図には田浦小学

校が船越小学校になっていて、村瀬さんは大分迷って船越教会にたどり着いたようです。申し訳な

いことをしてしまいました。礼拝後「船越の丘から」を渡しましたら、11月4日の報告・討論集会

が終わってから、「船越の丘から」の地図も分かりづらいので、今後先生の教会に行きたいと言う

方もあるでしょうから、東芝のところを左に行く簡単で明瞭な地図を教えてくださいという注文を

受けてしまいました。そういうことで、この日の礼拝は、クリスマスの燭火礼拝以外では、2011年

の7月に私の就任式があった礼拝が確か30名の出席でしたので、それ以来という多くの方々の出席

がありました。

・Aさんの親族が礼拝に出席することは、前もってお連れ合いから言われていましたので、この日

の礼拝は、出来るだけ聖書の死生観について分かり易く説教をしたいと考えていました。そのため

に、説教は、初めての人を意識して説明的な話も多くなって、大分時間が長くなってしまいまし

た。また、死者との別離の悲しみを抱えて礼拝に出席されている方を意識して、自分の体験を踏ま

えてそのことにも触れましたが、私自身感情がこみ上げて来て、最後は言葉が出せずにつまってし

まいました。自然と涙があふれてきたりして、私自身は比較的そういうことのない方ではないかと

思っていましたが、説教を終えて、すぐには祈れずに、しばらく沈黙して感情が静まるのを待って

から祈りました。

・私は、パウロの復活体に関する復活信仰(汽灰15章)について、信仰の物語として、自分とし

ては大切なものではないかと思っています。イエスと同じように、私たちが死んで復活するという

ことは、荒唐無稽の話のようですが、私はこのように考えています。人間には、誰一人義人はいま

せんし、みな罪人です。これも信仰の物語として最後の審判があるとすれば、その時この地上で何

をしたかによってすべての人が裁かれるわけですから、その裁きに耐えうる人は誰もいるはずがあ

りません。それは、洗礼を受けたキリスト者も同じです。けれども、みな裁かれて、神のみ心にそ

わない罪人としての私たちに、新しい体が与えられて、神のみ心にふさわしい者に変えられ、それ

こそヨハネ黙示録21章3節以下の「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神

の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってく

ださる。もはや死もなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものが過ぎ去ったからであ

る」という世界に迎えられるのです。これが終わり(目標、完成)についての信仰です。とすれ

ば、その終わりにふさわしい者として、私たちは今を生きることへと召されているのではないでし

ょうか。上村静さんは黙示思想を否定的に評価しています(『キリスト教自己批判~明日の福音

のために~』41―42頁)が、少なくともヨハネ黙示録のこの21章3節以下の言葉は、私にとっての

大切な聖書の言葉の一つです。聖書に基づく教会の教えは、ドグマとなったときには、一つの暴力

になっていきますが、ドクマではなく、信仰の物語として再解釈することによって、積極的な意味

を見いだせるものも多いのではないかと、私は密かに思っている者の一人です。

・4日(月)には、私の裁判支援会の報告・討論集会が横浜駅東口崎陽軒・横浜ジャスト1号館8階

会議室で行われました。最初に一言感謝の言葉を原告として私が挨拶をし、その後岡田弁護士に上

告についてお話しをしていただき、質疑の後、4人の発言者から発題してもらいました。予定より1

5分遅れで午後2時15分くらいから発題に入りましたが、発題後のフロアーからの発言も途絶えるこ

となく、午後4時終了のところ、一時間延長して、午後4時半過ぎまで続きました。参加者は、雨気

味の天候にも拘わらず、約100名で、今回も遠くは九州から参加してくださった方もいらっしゃい

ました。現在の教団の執行部のあり方に対する批判は、参加者の殆どの方が共有していたと思われ

ますが、中には非常に激しい発言も出ました。東神大の神学に対する根本的な批判をはじめ、現教

団議長の石橋秀雄氏に対する批判も厳しいものがありました。また、私の裁判は、今の裁判所、特

最高裁の現在のあり方からして、必ず敗訴することを踏まえて、裁判を闘い抜くと共に、教団内

運動の形成にシフトを定めて、取り組んでいかなければならないこと。出来れば、私の免職撤回を

条件に現教団執行部と和解し、その上で批判すべきところは徹底的に批判して行くこと。聖餐論争

も大いにしていくことなどが提起されました。

・教団の現状に対する批判はいろいろと出ていますが、ではどうするかということの具体的な方向

がなかなか見えてきません。私の戒規免職問題が起こる前までは、現在の教団執行部との対抗軸が

教団の中にはっきりとあったように思いますが、わたしの戒規問題が起こり、また3・11以後の

状況の中で、かつて対抗軸にあった人たちも、様子見の状態にあるのではないかと思われます。も

しかしたら、現教団執行部もある種の寄り合い所帯ですので、いつかは内部分裂を起こし、自己崩

壊していくのではないかという予測において、「鳴くまで待とう」を決め込んでいるのかも知れま

せん。ただそれが果たして今後の教団を形成することになるのかは、はなはだ疑問に思われます。

教団信仰告白、教憲教規遵守を錦の御旗にしている現教団執行部のあり方に対して、現在教団で作

業を始めています「改訂宣教基礎理論」にしろ、聖餐問題にしろ、教師制度問題にしろ、論争を積

極的に仕掛けていくことが必要なのかも知れません。

・5日(火)は午後農伝の説教演習に行ってから、18:00から蒔田教会教育館で行われた教区常置

委員会に出席し、その後有志と会食して、鶴巻に着いたのは午前0時を過ぎていました。