なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(32)

       使徒言行録による説教(32)、使徒言行録8:26-40
              
使徒言行録8章26節に、「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った」と記されています。使徒言行録の著者ルカは、それまでサマリアで宣教活動していたフィリポが、「主の天使」つまり神の指示に基づいて、サマリアにおける宣教活動に終止符を打って、ここに記されていますように、「エルサレムからガザに下る道」に出かけて行ったというのであります。

・今日の使徒言行録の記事の中では、この個所だけではなく、フィリポの行動はすべて神の指示に基づいているように記されています。29節では、「“霊”がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け』と言った」とありますし、39節では、「主の霊はフィリポを連れ去った」とあります。「主の天使」「霊」「主の霊」が主導して、フィリポはそれに従って行動しているように描かれているのです。

・この記述の仕方からも分かりますように、使徒言行録の著者ルカは、イエスの福音宣教において、その主体は神御自身であって、フィリポはその神の働きに仕え、従っているだけだと言うのです。使徒言行録は聖霊行伝と言われることがありますが、使徒言行録において、最初期の教会の歴史について記しているルカは、教会の歴史を導く聖霊の働きについて記していると言ってよいでしょう。

・このことは、イエスの福音宣教において、その働きの主体は神御自身であり、神は「主の天使」や「主の霊」を通して自ら人を動かし、その人を通してイエスの福音を人々に伝えていくということを意味しているのであります。

・フィリポは、そのように神の指示に基づいて、サマリアからガザに導かれ、そこでエチオピア人の高官と出会ったというのです。フィリポがエルサレムからガザに下る道を歩いていると、「折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった」(27,28節)というのです。新共同訳で「折から」と訳されているところは、原文では「すると見よ」となっています。この冒頭にある「すると見よ」という言葉は、二人の出会いが、全く予想外の巡り合わせであったことを示しています。人里離れた「寂しい所」(=荒野)において、事もあろうにエチオピアの高官に出会うとは、思いもよらないことでありました。

・私たちも、おそらく自分自身がイエスの福音と他者を介して出会った時のことを考えてみますと、ちょうどフィリポとエチオピア人の高官との出会いのように、思いもよらないことであったと言えるのではないでしょうか。私自身高校3年の時に家庭の事情により大学進学が閉ざされて、自分の将来について悩んでいた時に、たまたま友人が声をかけてくれて、紅葉坂教会の礼拝に導かれました。確か11月の第一日曜日が初めて紅葉坂教会の礼拝に出た日です。それから2カ月も経たないクリスマスの礼拝で、当時の紅葉坂教会の牧師の平賀徳三先生から翌年のイースターにしたらと言われましたが、自分の決心は変わらないのでと先生にお願いして、洗礼を受けさせてもらいました。少なくともこの私自身のイエスの福音との出会いの体験は、他者である友人を介してであり、また、文字通り思いもよらないことでありました。ですから、フィリポとエチオピア人の高官との出会いが思いもよらないことであったということが、よく分かるように私には思えるのです。

・人が他者を介してイエスの福音と出会うということは、思いもよらぬ出来事なのではないでしょうか。そこには人の思いを越えた、神さまの導きがあるということではないかと思うのです。人がイエスの福音を語り伝えるということも、そしてその他者によって語り伝えられたイエスの福音を別の人が信じ受け入れるということも、共に人の思いを越えた出来事ではないかと思うのです。ですから、「それ
行け伝道」と言われるように、教会の教勢が落ちているので、受洗者が沢山与えられるようにという目的で行なわれる伝道は、ある種の営業活動のようで、人間の側の思いが優っていて、神主導によるイエスの福音宣教だろうかという疑問を持ってしまうのです。

・問題は、私たち自身の中で、イエスの福音を、自分が生きて行くためになくてはならない命そのものであると、どれだけ深く受けとめているかということではないでしょうか。それだからこそ、イエスの福音を他者と共有して、その福音によって「神の国」の完成をめざして他者と共に希望にあって生きていきたいと願うのではないでしょうか。そのようなか形で、神は、私たちの中にイエスの福音を信じる人を起こし、その人を介してイエスの福音宣教が行なわれるように導いておられるのではないでしょうか。

・さて、フィリポとエチオピアの高官がエルサレムからガザへ行く寂しい道で出会って、そこでどのようなことが起こったのでしょうか。まずフィリポがエチオピアの高官に出会って、その人が「エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた。エチオピア人の宦官」であることを知った時、フィリポは恐らくかつてユダヤ教徒として律法に記されています「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない」(申命記23:1)という戒めを想い起したに違いありません。この戒めについては、エジプト人の宦官も知っていたのではないかと、高橋三郎さんはこのように記しています。〈このような規定があって、正規のユダヤ教徒とは認められぬ定めであったから、この宦官は聖書に深い関心を抱き、求道のためにエルサレムまで、はるばる旅するほど熱心を持っていたが、正規の信徒として受け入れてはもらえぬという悲しさを、心に抱いていたと察せられる。尤も律法の書とは別に、イザヤ書の中には、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで/わが契約を堅く守る宦官には、/わが家のうち、わが垣のうちで、/息子にも娘にもまさる記念の徴と名を与え、/絶えることのない、とこしえの名を与える」という慰めに満ちた言葉があり(56:4-5)、「見よ、私は枯れ木だ」(56:3)と言って嘆くな、というはげましの言葉もあるから、あの宦官がこの聖句を愛誦したであろうことは、疑問の余地がない。彼の心の中には、このような内的準備ができていたとしても、最終的な救いに至るまでには、なお最後の一歩が残されていた。この一歩を推し進めるために、伝道者フィリポが召し出されたのである〉と。フィリポの方も、このイザヤ書の宦官について記されている言葉を知っていたかも知れません。

エルサレムからガザに下る寂しい道(荒野)でのこの二人の出会いそれ自体が、思わぬ出来事でありました。更に、馬車の中で恐らく声を出してイザヤ書を読んでいた宦官に、ここも「霊がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け』と言った」(29節)ので、フィリポが馬車を追いかけて行き、宦官が馬車の中でイザヤ書を朗読しているのが聞こえたので、〈「読んでいることがお分かりになりますか」と声をかけたというのです。すると、宦官は、「手引きをしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ」〉というのです。

・二人の出会いがこのように展開したことも、また、思わぬ出来事だったと言う事が出来るでしょう。そして二人の間でイザヤ書53章の苦難の僕の一節についてやり取りがあって、フィリポは、イザヤ書の言葉を説き明かし、イエスの福音を告げ知らせました。すると、エチオピア人の宦官はフィリポから洗礼を受けることになるのです。水のある所に車を止めて、二人は水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けたというのです。

・彼らが水の中から上がると、主の霊はフィリポを連れ去り、宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けました。一方フィリポは、アゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイザリアまで行った」というのです。

・「喜びにあふれて旅を続けた」エチオピア人の宦官は、エチオピアに帰って、ただ自分の中にだけイエスの福音の喜びを留めていることはできなかったでしょう。フィリポとの思いもかけない出会いによって、与えられたイエスの福音信仰を、彼を介して他の人々にも伝えられていたに違いありません。エチオピアは、6世紀にアフリカで最初のキリスト教国になった国と言われています。エジプトの教会であるコプト教会と回教徒(イスラム教徒)が3対1の比率と言われています。エチオピアにイエスの福音がどのような内容として、どのように伝えられていったのかは、良く分かりませんが、このエジプトの宦官の存在が、エチオピアの最初期の教会の設立に大きな力を発揮したのではないかと想像します。

・一方フィリポは、カイザリアに定着してイエスの福音の宣教活動を続けたようです。20年余りを経て、パウロが最後のエルサレム上りを敢行したとき、(使徒20章以下)彼はその途中でカイザリアに立ち寄り、このフィリポの家に泊ったと、使徒言行録20章8節には記されています。フィリポの4人の娘は、預言の霊を授かっていたということですから、フィリポ一かを挙げてイエスの福音の宣教に励んでいたのでしょう。伝承によれば、彼は娘たちと共に、その後小アジアにあるヒィエラポリスに移って行ったと言われています。カイザリアに宣教の基盤を据えたことは、イエスの福音の前進に対して、決定的貢献を果たすことになりした。後にオリゲネスやエウセビオスのような教父がカイザリアを拠点として活動しました。

・このように最初期の教会は、イエスの福音に自由と解放の喜びを発見した一人一人の信仰者が他者との出会いによって、広がっていったものと思われます。それは上からの権力によるものではありませんでした。さまざまな痛みを抱えて生きていた人々が、他者である信仰者を介して、宣べ伝えられたイエス・キリストとの出会いによって、喜びと希望を与えられ、天に国籍を持つ神の国の住人として、それぞれの地域に教会共同体を形成していったのではないでしょうか。私は最初期の教会の進展の中には、現実社会を支配する抑圧差別からの解放の喜びが響き渡っていたに違いないと思っています。

・今日、私たち自身と私たちの教会も、最初期の教会を支配していたに違いないイエス・キリストの福音の圧倒的な解放の力に立つことができますように。