なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(283)復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(283)」を掲載します。


       黙想と祈りの夕べ通信(283[-22]2005・3・6発行)復刻版

 去る2月26日に神奈川教区総会があり、人事の選挙がありました。かながわ明日の教団を考える

会から推薦されて私は議長候補、副議長候補になりましたが、本選挙では1:2の比率でこれまで

の神奈川教区の体制をつくってきた側からの候補者が当選し、私は落選しました。それ自身は仕事

が増えなくてよかったと思っているのですが、沖縄教区が「距離を置く」としています現在の教団

の状況からしますと、なかなか厳しい状態です。神奈川教区は元来教区形成基本方針にも表されて

いますように戦責告白、万博・東神大問題の継承を大切にしてきた教区ですが、ここ10数年、特に

この7、8年は現在の教団の体勢に順応する教区として、第33.合同後18回教団総会での沖縄教区提

案の「名称変更」議案の審議未了廃案による沖縄教区の切捨てに加担しています。私が属していま

す教区の約三分の一はそのような教区の有様に批判的ですが、現執行部はなりふりかまわず聖書神

学校出身者の教職とその教会及び改革派の理念を教会形成の基本に据える連合長老会系の教会の結

合による数の優位を政治的に作り出し、それを基盤に教区政治を支配しています。この2年間で私

が提案者として教区総会に出しました議員提案の議案「沖縄教区との関係の回復を図る件」と「合

同のとらえなおしを引き続き日本基督教団の課題とする件」は賛成多数で可決されていますが、こ

の種の議案が実質的に教区政治に反映されるということはありません。しばらくはこの膠着状態が

続くでしょうが、為すべきことを為しながら、沖縄教区と共に歩める教団の教会としての実質を積

み上げていきたいと願っています。

 教区総会を終えて、少し気分が楽になったのか、気になっていましたイエスに関する本を2冊読

みました。『イエスとはなにか』(笠原義光・佐藤研編、春秋社)と『悲劇と福音』(佐藤研著、

清水書院)です。しばらく前に大貫隆さんの『イエスという経験』が出て、改めてイエスへの注目

がこのところ顕著になっていますが、一時期の歴史的な探求というのではなく、イエス解釈に焦点

が移っているように思われます。これはなかなか興味深いことで、歴史的な探求ということになり

ますと、文献学をはじめ聖書学による学問的な操作への依存が大ですので、なかなか私のような一

介の牧師の手には余りますが、イエス解釈となれば、相当想像力の領域が入りますので、私にも自

分なりのイエス解釈が可能ではないかと思ったりしています。そんなとき荒井献さんから2冊の本

を贈呈されました。つい最近岩波から出た『イエスと出会う』と『「強さ」の時代に抗して』で

す。実は前著には当紅葉坂教会での荒井さんの説教「共苦のしるし」と学びと語らいの集いでの講

演「新約聖書の聖餐」が入っているのです。そして巻末の初出一覧表の中で共に『『紅葉坂教会だ

より』日本基督教団紅葉坂教会、1998年10月号別冊と記されています。また後著の方には、私の前

任地御器所教会における秋の連続講演会での講演「共に変り合うために~隣人との交わりを支える

もの~」(御器所教会・秋の連続講演会〈1984年〉の記録に加筆)が入っています。そういうこと

もあって、贈呈してくださったのだと思います。私もいつか自分なりのイエス解釈をまとめてみた

いと密かに思ってはいますが、どうなるでしょうか。今は説教を通して創世記から黙示録までの聖

書の信仰(思想)の流れを追っています。そのために秋田稔さんの『聖書の思想』を参考にさせてい

ただいています。それが終わりましたら、もう一度福音書のイエスを取り扱ってみたいと思ってい

ます。そのためにも、もっともっとイエスの生に近づきたいと願っています。