なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(579)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(579)復刻版を掲載します。2010年10月のものです。

       黙想と祈りの夕べ通信(579)[Ⅻ-05]2010・10・31発行)復刻版

 25日(月)から28日(木)まで、3泊4日私は池袋にいました。25日(月)は、午後1時30分から午後

9時まで、第6回常議員会がメトロポリタンホテル3階光の間でありました。私は既に免職決定通知をも

らっていますので、教団側からしますと、教師資格も常議員資格も失効していることになります。けれ

ども、常議員席に座って最後まで常議員会に出ました。発言は全くできませんので、ただじっと座って

いるだけでした。議長は議事日程確認の時に、「北村さんは常議員ではありませんので、退席するよう

にお勧めします」と言っただけで、強制退去はさせませんでした。何時もは常議員資格のない者が常議

員席に座るなどとんでもないという他の常議員も私には何も言わずに、常議員席にじっと座っている私

の存在を無視し続けました。常議員の和田献一さんが議員提案議案として出してくれた、宗教法人日本

基督教団紅葉坂教会代表役員である北村の変更登記が済むまで、北村は紅葉坂教会の主任担任教師であ

るのだから、常議員でもあり、教団総会議員でもあるという確認議案は、反対16票で否決されました。

その日は、常議員会終了後、有志教区長および有志常議員による打ち合わせ会を行い、みんなで飲み会

に行き、夜中の0時ごろ、連れ合いが予約してくれていた池袋の東口近くにあるホテルに入りました。

 常議員会前にも有志教区長および有志常議員による打ち合わせ会が、池袋の駅前のレストランであり

ました。そこでの話し合いの中心は、京都教区が私の議員資格を認めなかった場合、その段階で教団総

会を退席するという教区としての方針を出していましたので、そのことをめぐって、京都教区の議員が

最後まで教団総会に出席できないかということでした。このことは、26日午前中の教団有志の会の打ち

合わせでも問題になりましたが、どちらも、私が以下のような発言をしました。京都教区は33回教団総

会以降、第34回から沖縄が教団との間に距離を置くということで教団総会議員を送ってこないという状

況で、沖縄不在のまま開かれてきた教団総会に参加してきたが、結局そのことは沖縄の切捨てに加担し

てきたことになる。京都教区は、今回も北村の免職を認めた上で、教団総会に出席するということは、

沖縄を切り捨て、北村を切り捨てた教団を認めてしまうことになるので、それはできないというので

す。そして京都教区は、今回の教団総会で北村の議員資格が認められなかったらその場で退場すること

を、話し合いで決めていたのです。私はそのような京都教区の主体的な決定を尊重したい。それぞれ信

じるところに従って進んでいくことではないかと申し上げました。

 26日(火)午後1時30分から教団総会は開かれましたが、その前に受付で議員登録がありました。私

は教団から総会議員の要請書をもらっていますので、受付にそれ見せ議員登録を迫りました。神奈川教

区や京都教区の方々が私の議員登録を支援してくれました。事務職が私は議員ではないと言うので、総

事を呼ばせ、総幹事に迫りました。教団総会の開会が迫り、総幹事は中で話し合うと約束しましたので、

議場に入りました。総会の組織会で私の議員資格が問題になり、議長席に詰め寄る人たちがありました

が、その流れの中で、議事日程の確認で私の免職無効に関わる議案は議案整理委員会の報告を受けて議

長は教憲教規違反に当たる議案なので上程しないことを議場にはかり、議場はそれを承認しました。そ

こで、京都教区の人たちと大阪教区の一人の議員が退場しました。私もその時は一緒に退場しました。

夜の議事からは議場にまた座り続けましたが。教規に保証された教区の議案提出権を踏みにじる議案整

理委員会の判断は、教団総会がますます強権政治の場になったことを意味します。事実その後の議事の

全てにおいて、諸議案は福音主義連合、連合長老会及びその親派から選ばれた全体の約55パーセントの

議員の横暴によって、すべて彼らの意図した結果になりました。退場した議員が票決に加わっても、議

決は変わりませんでした。常議員選挙のとき、常議員会が提案した全数連記に対して半数連記という議

員提案議案が対案として出されていて、その審議の中で東京教区から選ばれた西片町教会牧師のYさんが、

候補者名簿が総会議員に回され、それに従って行われる東京教区方式の選挙の欺瞞を内部告発し、また

別の方の動議によって無記名投票になりましたが、それでも全数連記が議決されました。議事日程から

最後の議案まで、全ての議案の票数はほとんど変わりませんでした。しかも教団総会議長が戒規申立て

者になれるという議案が可決されました。これは教団における恐怖政治の始まりを告げるものになるか

もしれません。今回の教団総会によって、私たちは教団に留まりながら、今後の教団の歩みとは別に、

特に沖縄教区との関係の修復に力を注ぎながら、宣教論・教会論においても、教団政治においても、自

分たちが創り出す方向に歩み出さなければならないと思います。今回の教団総会に議員として出席した

教会員のTさんをはじめ、傍聴された方々、ご苦労さまでした。
    

         「貧しい人々に焦点を合わせる」  10月31日


 この世のあらゆる組織と同様、教会も常に腐敗の危機にさらされています。権力と冨が教会に入り込

むや否や、ごまかし、影響力の悪用、誰の目にも明らかな腐敗にむかっているといえるでしょう。

 どうすれば教会の腐敗を防げるのでしょうか。答えは明らかです。貧しい人々に焦点を合わせること

です。貧しい人々によって、教会はその本来の召命に忠実であるよう仕向けられるからです。教会がも

はや貧しい人々の教会でなくなった時、教会はその霊的な本来の姿を失ってしまうでしょう。そうなる

と、不和や妬み、勢力争い、心の狭さなどに捕らわれてしまいます。パウロは言っています。「神は、

見劣りのする部分を一層引き立たせて、体を組み立てられました。それは、体に分裂が起こらず、各部

分が互いに配慮し合っています」(Iコリント12:24-25)と。これがまことのヴィジョンです。教会に

弱い苦しい立場の人々が与えられているのは、キリストの体である教会が、互いへの思いやり、愛と平

和の見出せるところとなり、そうあり続けることが出来るためです。


                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)