なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(338)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(338)復刻版を掲載します。2006年3月のものです。癸械械靴賄??

伝道師に書いてもらったものです。私が他の用事があり欠席した時のものですので、336から338に

なっています。



        黙想と祈りの夕べ通信(338[-25]2006・3.19発行)復刻版


 大分前に森有正の本を読んでいて、フランスの教育ではフランス語の習得に力を入れていることを教え

られました。例えば日本の小学生が学ぶ算数にしても、ただ数式を学ぶのではなく、言葉を使っての回答

が大切にされていると言うのです。どういうことなのか。私にはよく分かりませんが、1+1=2という

ことであれば、それを具体的なものによって言葉で説明させるということでしょうか。ここにリンゴが2

個あるとして、この1個のリンゴと別の1個のリンゴを加えると2個になる、というように。森有正の本

には具体的なことは書いていませんでしたので、私の想像です。ところが、現在の日本における試験の解

答はマークシートで正解が決まっているわけです。回答者は自分の創造性は全く求められず、決められた

正しい解答を答えるだけです。この場合、試験する側の枠組みが絶対で、試験される者はその枠組みを越

えて自由に解答を作り出すことは出来ません。それをすれば、不正解になります。このマークシートの構

造はメディアでも同じで、既にある枠組みの中のものしか発信されません。けれども、テレビのトップラ

ンナーという番組に出てくる若者には、ああこんな若者もいるのかと、感動させられます。そういう若者

は日本の教育のルートから外れてきた人が多いのです。以前不登校の子どもたちにこそ日本の未来がある

ということを聞いたことがあります。自分で考え、自分で選び、自分で表現する。その人間の創造性の大

切さを思わされています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から以下の発言がありました。私は何度もここで話しているが、自

閉の子のサポートとか、知恵遅れの方の作業所の昼食作りにボランティアとして関わっている。関わって

いていつも思うことは、自分がお手伝いに行くというよりも、逆に向こうからエネルギーをもらうことが

多い。先日作業所でディズニーランドに行くが、一人の子だけ早めに帰らなければならないので、その役

割をするために行ってもらえないかと言われて行ってきた。昨日作業所に行ったら、一緒に行った他の人

から「ありがとう」と深々と頭を下げられた。他の子も私に寄って来て、同じように「ありがとう」と言

ってくれた。作業所の職員が一人の子を連れて私が一足早く帰ったことを子どもたちに話していたのだろ

う。思わぬところで何かに触れて、持っているのか分からない賜物が相手から引き出されるということを

感じさせられる。イエスも同じだったのではないか。イエスは女に衣を触られて、イエスが知らないのに

エスからエネルギーが出て行ったという奇跡物語。今までの社会の既成の関係性だったら顧みられない

はずなのに、思わぬパワーが引き出されたよきサマリア人の譬えもそうではないか。私も人からパワーを

もらい、私からも引き出される。そういう人と人の関わりの面白さを思う。それは聖書にもあるし、自分

も体験しているように思う。

 別の方から発言がありました。今晩の聖書箇所(詩編35編)を聞いていて、セクシュアルハラスメン

トに苦しむ女性たちの叫びとして聞こえてきた。最近読んでいる「壊れる男たち」(岩波新書)という本

で、東京都の労働相談にたずさわる男性著者は、加害者の男性との面接で、彼らは女性たちの痛み苦しみ

を全く理解できないと言う。どんなに言葉にしても聞かれない、理解されない、逃げることに著者も困惑

している。今まで守られていた男性中心・終身雇用の労働形態、社会が変化しつつある現代、男性も変化

を求められている。最後まで読んでいないのでわからないが、そのことに鈍感な男性は壊れていくのであ

ろうか。また一人の人の中にも光と闇とが混ざり合っている。闇を見つめ続けること、そこに挑戦してい

くことが、無理解、無関心、想像力の欠如を乗り越えていくことにつながるのではないかと思い巡らして

いた。

 また、一人の若い方からの発言がありました。受験でつらかった時、印象に残った言葉があった。それ

は「人生は100で出来ている。人はハッハと笑う。ハッパ64。人はシクシクと泣く。シク36。合わ

せて100。笑いの方が多い」である。苦しいことがあってこそ、楽しいことがある。今世の中は廃れて

いる。事件や自殺も多い。しかし、「生きていれば、どんなに苦しくともどうにかなるさ」と、よく母と

話している。