なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(341)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(341)復刻版を掲載します。2006年4月のものです。この頃の名護市の

市長は岸本さんと言って、辺野古への基地受け入れの立場の人でした。私も、辺野古に行ったときに、名

護市庁舎前での抗議行動に参加したことがあります。昨日は名護市長選で稲嶺さんが(下記に出てくる稲

嶺知事とは違う人)再選されました。昨夜は紅葉坂教会で、かながわ明日の教団を考える会をしていまし

たが、ちょうど終わる頃の午後8時過ぎに、参加者の一人のTさんがスマホ(?)の???ニュースで稲

嶺さんの当選が報じられていると知らせてくれて、辺野古の新基地建設反対に関っている人が参加者の中

に多くいましたので、みんなで喜びました。会が終わって、8名ほどで会食した時には、テレビでも報道

されていて、その時も乾杯して喜びました。

 昨日の日曜礼拝の後でも、昨年7月以来金曜日には毎週国会前の反原発の集まりに行っているIさんが、

その集まりに行くようになり琉球新報を読むようになって、沖縄がいかに差別されてきたかを知ることが

できた、と言っていました。


         黙想と祈りの夕べ通信(341[-28]2006・4.9発行)復刻版


 イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコによる福音書1

章15節)という、神の国を宣べ伝える宣教の働きにおいて、一人一人の心に訴えかけられた。無理やり信

じさせようとはされなかった。そんなことが出来るとは、はじめから思わなかっただろうし、またそのよ

うな方法(洗脳だとか数の暴力)を最初からとらなかった。ご自身の振る舞いと言葉をもって、イエス

人々に神の国の宣べ伝えをなさった。

 昨日民社党の代表を決めるので、小沢一郎管直人が一日中テレビのニュース番組にゲストとして出て

いた。二人の発言を聞いていて、二人の資質の違いを感じた。小沢一郎は善かれ悪しかれ伝統的な政治家

である。一方管直人は大分伝統的な政治家の資質を養ってきてはいるが、元々市民運動家として政治に関

わり始めた最初の自分の在り様を、今も濃厚にもっている。その点で二人の話を聞いていて、テレビの視

聴者である私には、管直人の話の方が分かりやすかった。小沢一郎は視聴者に直接訴えるという方法では

なく、選挙で選ばれた議員の間での話し合いと意思統一を最重要視しているように思えた。小沢一郎には

その手腕があるから、今でも彼に期待する人々がいるのだろう。小泉純一郎のようなパフォーマンスは小

沢一郎には殆どない。

 どちらが政治家としてよいのか、私には分からない。多分理想的には両方備わっている人がいいのだろ

うが、なかなかそのような人はいないだろう。今回テレビで小沢一郎の発言を聞いて、今までの金と権力

による派閥政治の小沢一郎というイメージが少し変わった。それは、話し合いを大切にして多数決は最後

の手段だという民主主義の原則を繰り返し語っていたからである。もし談合のためではなく、政治理念や

それを実践していく戦術などの話し合いを十分して、一つの政治理念やその実践方法を共有するための話

し合いを、小沢一郎が大切だというならば、私もそう思う。

 イエスは人の心に訴えた。多数決で人を動かすという方法は、最初からとらなかったように思う。教会

では教勢(人数)の拡大を伝道の成果と考える考え方があり、私の所属している日本基督教団でもその考

え方は支配的だが、人の心に訴え、人を動かす真実がなければ、数の多さだけでは意味がないと思う。


     (4月7日のブログ日記より)

 このブログを書いた日に民主党の代表が小沢一郎に決まった。4月8日の新聞の一面には「小沢一郎民社

党代表に決定」という見出しの記事が来るものと思っていたところ、防衛長官額田と名護市市長岸本の話

し合いによって名護市がV字滑走路による普天間基地辺野古移設を受け入れの記事が朝日新聞の一面を

飾った。沖縄県知事稲嶺は地元名護市市長の決断を尊重するとした上で、この案には反対を表明してい

る。安全保障や防衛の問題は国の専決事項としながらも、なぜ普天間基地の移設が同じ沖縄の辺野古でな

ければならないのか沖縄の人には納得できないに違いない。作家目取真俊は『沖縄「戦後」ゼロ年』を書

いて、沖縄の現実は人権、政治、経済、文化、教育すべてが実質米軍支配の「戦時下」であることを訴え

ている。名護市の受け入れによって、普天間基地辺野古移設が具体的に動き出すかもしれない。今年1

月に神奈川教区基地・自衛隊小委員会主催の岩国基地ツアーに参加し、ほぼ80パーセントは完成している

新しく出来た滑走路の埋め立ての現場を見てきた。その時説明してくれた岩国市議の方がこの岩国でのノ

ウハウは必ず辺野古に生かされると言っていたのが気になる。