なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(64)

         使徒言行録による説教(64)使徒言行録17:16-21
                 
・今日の使徒言行録の箇所を読んでいて、ここに記されていますパウロが出会いましたアテネの町の状況は、
現在の東京のようなところと基本的には変わらないように思えてなりませんでした。私たちの興味と関心を
引き付けるものが、有り余るほど沢山、様々な分野で存在しているのです。

パウロは、使者に後から来るようにとベレアに残したシラスとテモテへの伝言を託し、一人アテネで二人
を待っていた時に、おそらくアテネの町を見て回ったのでしょう。「町の至るところに偶像があるのを見て
憤慨した」(16節)というのです。当時のアテネには、「3千にも及ぶ神殿や神々の像があったと伝えられ
ています」(高橋三郎、281頁)から、おそらくユダヤ教とその分派から出発したキリスト教という一神教
の世界で生きてきたパウロにとっては、アテネの宗教的な様相は異常に見えたに違いありません。

・それだけではなく、アテネは、ソクラテスプラトンアリストテレスという古代ギリシャの偉大な哲学
者の精神的遺産が蓄積されてきたところでありました。宗教と共に芸術、文化、哲学の中心地でもあったわ
けです。

・そういう意味で、アテネにたくさんの情報が集まっていたところでありました。細分化された情報は、ど
んどん広がっていき、時間が経過するとともに、その一つ一つの情報は古くなっていきます。古くなった情
報は、人々の関心を引かなくなっていきます。人々は刺激的な新しい情報を求めて彷徨(さまよ)います。自
分の外に新しい情報を求めて彷徨(さまよ)うとき、いつしか私たちは情報の奴隷になっているのではないで
しょうか。

・21節に「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけ
で、時を過ごしていたのである」と言われています。ここに記されていますアテネの人々の姿は、まさに情
報に対して受け身で、情報にふりまわされている人の姿ではないでしょうか。

・このようなアテネの姿が、現代都市東京のような大都市の様相に極めて似ているように思われるのであり
ます。銀座や渋谷・新宿・池袋に、六本木や秋葉原・新大久保にたくさんの人々が集まってきます。そこに
は人を引き付ける様々なツールがあるからです。そしてそのツールは、常に新しいものが加えられていき、
人々はその情報から取り残されるのを恐れるかのように、そこに集まっていくのです。私のような流行に疎
い者が、例えば数年ぶりに銀座などをふらつくと、以前にはなかったブランドの店が立ち並んでいるのに驚
いたり、中国人や韓国人のようなアジア系の人たちが多いのにびっくりしたりします。

・このような購買をあおる商業的施設だけでなく、演奏会や講演会のようなものも、毎日様々なところで行
われています。大学は沢山あり、そこでは様々な学問の研究が行われています。テーマパークのような家族
を引き付ける娯楽施設も多種類にわたって作られています。多様な私たちの関心と興味を満たしてくれる消
費の街がそこにあります。

・東京はそれだけではなく、政治の中心でもあります。国会前で座り込みをしていますと、日本の様々な地
方の自治体や団体からの陳情団と思われる人々の群れが議員会館に入っていくのを見ます。国会周辺に首相
官邸をはじめ様々な省庁の建物が集まっています。通産省前のテント村では原発反対の抗議行動が2011年の
3・11以後、毎週金曜日の抗議行動と共に、ずっと続いています。

・東京は、また経済産業の中心でもあります。大企業をはじめ様々な企業のオフィスが立ち並び、そこで働
く人が集まってくるところです。私は朝の電車に乗ることが余りありませんが、たまに用事があって乗りま
すと、そのすし詰め状態には気分が悪くなるほどです。毎日この電車に乗って仕事や学校に行く人の大変さ
を思います。

・このような東京の街は、アテネのように、「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいこ
とを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」とだけとは言えませんが、それに近い
面を持っていることも事実ではないかと思われます。

・そのようなアテネの町でも、パウロは、今まで彼が伝道旅行で立ち寄ったマケドニアのフィリピや、テサ
ロニケやベレアでユダヤ教の会堂や祈りの場に集まる人々にイエスの出来事としての福音を語ったように語
ったに違いありません。アテネの町の至る所に偶像があるのを見て憤慨していたパウロは、「(ユダヤ教の)
会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた」
(17節)というのです。ところが、アテネではパウロの宣べ伝えたイエスの福音を信じる人が生まれたとは、
ここには記されていません。22節以下のアレオパゴスでのパウロの説教を聞いて、「死者の復活ということ
を聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と
言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。
その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという夫人やその他の人々もいた」
(32-34節)と言われていますから、信仰に入った人もいたことはいたようですが、他の町のようにそこに
信仰者の集まりである教会ができるほどではなかったようです。

・それは、「エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、『このおしゃ
べりは、何を言いたいのだろうか』と言う者もいれば、『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい』と言う者
もいた」(18節)という反応からもうなずけるのではないかと思います。パウロは、「イエスと復活につい
て福音を告げ知らせていた」(18節)のですが、それを聞いたアテネの人々、特に哲学者たちは、「おしゃ
べり」としてしか、また「外国の神々の宣伝」としてしか聞けなかったのです。つまり、パウロの語るイエ
スの出来事としての福音が、アテネの人々には届かなかったということです。

・自らの欲望の充足と自己実現、自己追求という満足を求めて、様々な新しい情報の刺激に向かっていく者
にとって、パウロの語ったイエスの出来事としての福音は、そもそも彼ら・彼女らのアンテナには入らない
情報だったのではないでしょうか。なぜなら、イエスの福音は、それを聞き、受け止める者にとっては、根
本的な自己変革を求める情報だからです。今ある自分を前提にして、その自分の外側に様々な興味、関心の
あるものを求めて、それを得て満足しようとする者にとっては、そのアンテナの中にイエスの福音は入らな
いからです。そういう行き違いに、パウロアテネで出会ったのです。それでも、パウロは語り続けたので
しょう。

・清水博という人が書いた『場の思想』という本があります。その本の帯には、〈生命システム科学の発想
から生まれた、新しい時代の哲学。日本のもつ「場」の思想が、社会の経済の「危機」を乗り越える原動力
となる〉とあります。「場」の思想ということですから、西田幾多郎の影響を受けているのではないかと思
いますが、この人の考え方は大変魅力的です。

・その本の中で、イエスについて触れられているところがあります。イエスの十字架について、このように
言われています。

・「イエスの悲痛な絶叫は消滅の悲劇を締めくくって完成させる叫びである。新しい生命の力強い変態的生
成という新しい幕を挙げるためには、旧い消滅のドラマの幕を完全におろさなければならないのである。…
(中略)…イエスの場合を参考にして考えると、消滅即生成の変態的変化の場は、生死の場に他ならない
ことがわかる。人生の挫折は、もしもそれを率直に受け入れることができるなら、自分の心を縛ってきたさ
まざまな拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。それは自己の死の前では、それまでの人生の虚飾
が無意味なものとなるということと本質的には同じである。これまでの自己の『葬式』を自己がだし、その
自己の死の後で見えてきた真実から出発して自己自身を再構築していくことが自己創造の変態的変化である
。…・(中略)…・

・転換期における変態的変化に必要なことは、自己の内側からの声への強い使命感である。その声は自己の
生命と純粋生命の二重存在性によって、純粋生命から送られてくるものである。使命感をもって生きること
ができないものは、「人生はかくあるべし」という内側からの声を聞くことはない。そのために、常に目先
の利にしたがって生きようとする。自己中心的な観点しかもっていなければ、群れ合いの場に集まることが
できず、自分の周囲に出会いの場をつくることはできない。したがってドラマの転換点で迷う」。

・私たちは、アテネの人々と同じように様々な人間の欲望を煽る情報の氾濫の中で、「常に目先の利にした
がって生きようとする自己中心的な生き方に捕えられていはしないでしょうか。表面的な知識や欲望を喚起
する情報に、常に揺り動かされて、深いところから私たちに問いかけ、語りかける神の声に耳を傾けること
なく、状況に流されて生きているのではないでしょうか。

ヨハネによる福音書では、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる
者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(3:16)と言われています。この神に愛されてある、
かけがえのない自分と他者の存在に、私たちが気づくことができるのは、イエスという方によってです。
エスは、多くの情報を持っていたわけではあません。むしろ、ガリラヤの片田舎ナザレの村出身のイエス
は、情報の量からすれば、少ない情報の中で育ったと思われます。けれども、イエスは「あなたはわたしの
愛する子、心にかなう者である」ろいう、自己の内側から聞こえてくる神の声に耳を傾け、その声に従って
生きていこうという強い使命感にあふれていたのではないでしょうか。清水博さんが言うところの「純粋生
命」から送られてくる声であり、その声に従って生きようとする強い使命感です。

・日常的には隠れていますし、私たちもこの世の情報に心が向けられていて、自分からはなかなか聞き取る
ことのできない深いところから、純粋生命である神から、イエスを通して私たち一人一人に対しても語りか
ける声があるように思います。その声を聞くとき、私たちは古い自己の死を経験するのではないでしょうか。
清水博さんが言うところの、「人生の挫折は、もしもそれを率直に受け入れることができるなら、自分の心
を縛ってきたさまざまな拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。それは自己の死の前では、それま
での人生の虚飾が無意味なものとなるということと本質的には同じである。これまでの自己の『葬式』を自
己がだし、その自己の死の後で見えてきた真実から出発して自己自身を再構築していくことが自己創造の変
態的変化」を生きていくことではないでしょうか。

・そのような自己の死の後で見えてきた真実から出発して自己を再構築していく信仰の生を、自らの内面と
歴史的現実の只中の深みから聞こえてくる声に促されて、一歩一歩歩んでいきたいと願います。その道は、
「喜ぶものと共に喜び、泣く者と共に泣く」(ロマ12:15)共生へと私たちを導くに違いありません。