なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(432)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(432)復刻版を掲載します。2008年1月のものです。私が第一回

の教師退任勧告を山北さんから受けた時の回答が記されています。


      黙想と祈りの夕べ通信(432[-14]2008・1・6発行)復刻版


 あけましておめでとうございます。みなさまの新年の歩みの上に神さまの導きをお祈りいたしま

す。

 さて私は暮に風邪を引いてしまい、今回は年末年始の寿越冬には一日も参加できませんでした。

お正月休みは殆ど外にも出ずに、眠れるだけ眠ったという感じで過ごしました。年末の30日の礼拝

後、私の教団教師退任勧告書への応答期限が31日でしたので、役員会の総務委員の方と対策委員の

方に、私がどのように応答するのか文書で示し、意見を伺いました。前々から山北議長から一方的

に常議員会の議題にされて、常議員会でもまともな議論もなく多数決で可決された勧告書ですので、

応える必要がないと思っていました。しかし、何も応答しないと、それをまた何かの理由にされて

もいけませんので、一応回答できないという応答をすることにしました。以下が山北議長への私の

応答です。

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  日本基督教団総会議長
  
      山北 宣久  様

 去る10月末に私に対する「勧告書」を受け取りました。その中に「この勧告に対する応答を2007

年12月31日までにご連絡ください」とあります。しかし、以下の理由により、この勧告書への私の

回答は出来かねますので、その旨お伝えいたします。

1)少なくとも現在私が牧師をしています紅葉坂教会役員会の公開質問書(2007年10月1日付)及び

同教会抗議文(2007年11月6日付)、また、私と紅葉坂教会が所属する教区であります神奈川教区常

置委員会、神奈川教区総会議長高柳竜二名による「第35回総会期第3回常議員会議題『15、北村慈

郎教師に対して教師退任勧告を行う件』についての抗議と要望と質問」(2007年10月10日付)に述

べられています抗議と要望への教団総会議長であるあなたと常議員会の見解、及び質問への回答を

いただいていない以上、いくら常議員会決議とは言え勧告書への私の応答も出来かねます。

2)山北議長は第35回総会期第3回常議員会議題「15、北村慈郎教師に対して教師退任勧告を行

う件」の提案理由の中に、第35総会期第2回常議員会で行われた記録をとらず自由な発言を保証さ

れた懇談会での私の「聖餐について」の発題の一部に触れています。しかし、私が同発題の中で出

しました、 崑35回教団総会で行われた聖餐式は『ふさわしくない仕方で行われた』聖餐式では

なかったか?」(「正しい聖礼典の執行とは何か?」)という問い、教憲・教規よりも日本基督

教団信仰告白で「信仰と生活の誤りなき規範なり」とされている聖書の優位性への言及、及びF

本基督教団宣教研究所発行『聖餐』の村山盛忠論文における村山提案の段階に戻して、論議を積み

上げてもらいたいという要望には一切触れていません。これら三つの私の問題提起にもきちっとお

答えいただいた上でないと、勧告書への私の応答も出来かねます。

3)そもそも日本基督教団に所属する個教会である紅葉坂教会が宣教のあり方を模索しながら決断

して一歩踏み出して行っている「開かれた」聖餐を、全教団的な論議を経ずに、一教師である私の

教師退任勧告という形で扱う山北議長及び常議員会の姿勢を、私は容認することはできません。従

って今回のような私への勧告そのものに疑問を感じている者としては、勧告書への応答を求められ

ても応えようがありません。

願わくは、山北さんが合同教会である日本基督教団総会議長として、日本基督教団の成立における

負の歴史を踏まえ、様々な異なる聖書理解、宣教理解、教会理解、聖餐(聖礼典)理解を突き合わ

せて、その先にあるであろう合同教会としての日本基督教団の可能性を信じ、忍耐強い対話を導い

ていかれることを希望します。         在主

 2007年12月31日

    日本基督教団紅葉坂教会牧師

          北 村 慈 郎

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私は暮からお正月にかけて佐藤研『禅キリスト教の誕生』(岩波書店)を読みました。いずれ何か

の形で取り上げたいと思いますが、佐藤研さんはこの書でこれからのキリスト教がどうなっていく

のかについての大胆な彼なりの見通しを述べています。興味ある方は是非お読みになってみてくだ

さい。
        


       「霊的な選択」            1月6日


 選択。選ぶことによって違いが生じてきます。二人の人がある事故で重傷を負いました。この二

人の人は事故に出くわすことを選んだわけではありません。事故が二人に起こったのです。しかし、

一人は苦しいものとしてこの体験を生きることを選び、もう一人は同じ体験を感謝の内に生きるこ

とを選びました。この二人の選択は、二人の人生と、家族、友人たちの人生に根本的な影響を及ぼ

しました。私たちは、自分の生活に起こることを管理することはほとんど出来ませんが、自分の生

活に起こるであろうことをどのように統合し、記憶するかは、十分コントロール出来ます。私たち

が尊厳をもって人生を送るかどうかを決定するのは、まさにこの霊的な選択です。


               (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)