なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(437)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(437)復刻版を掲載します。2008年2月のものです。当時の教団

議長山北宣久さんからの私に対する「教師退任勧告」のやり取りをしている頃のものです。この頃

からでも6年半の時間が経過しています。私が常議員会で聖餐についての発題をしてからだと、7

年間の時間が経過しています。下記には、私の常議員会での聖餐についての発題に対する東京神学

大学教授の山口隆康さんの批判に対する、私の逆批判のような内容も載っています。常議員会で私

が聖餐についての発題をしたときに、私の顔は笑い顔だったようです。それを見て、その時の常議

員会では教区議長として陪席していた東海教区のK氏は、要請陪席の席から「北村、いつまでも笑っ

ていられると思うな!」とヤジって叫んだようです。その常議員会に傍聴していた私の連れ合いが

それを聞いていましたので、K氏のそのヤジは確かです。私は、教団において教師退任勧告、そして

戒規免職処分を受けていますが、常議員会で聖餐についての発題をしたときと、自分の精神状態は

全く変わりません。このブログのプロフィールの私の顔は、今でも同じです。ただちょっと髪が薄

くなり、おでこが広くなっているとは思いますが・・・。


       
       黙想と祈りの夕べ通信(437[-17]2008・2・10発行)復刻版
 

 山北教団総会議長から私にまた配達証明つきの手紙がきました。

それは「ご通知」とあり、以下の内容の手紙です。「2007年10月26日付勧告書に対し、2007年12月

31日付のお返事を受領いたしました。しかし、『未受洗者への配餐を直ちに停止するか、さもなく

ば速やかに日本基督教団教師を退任されることを勧告する』との内容の勧告に対しては『私の回答

は出来かねます』との内容でした。従いまして、上記経過を常議員会に報告するとともになおこの

勧告に対する応答を求めます」(2008年2月4日)です。

 私の勧告書に対する返事は、この議長の手紙の中にもありますように、こちらの問いに一切正式

に議長は答えていないので、こちらも答えようが無いというものです。その理由として、〇笋所

属する教会から出した2文書による抗議・要望・質問と、私の所属する地域共同体としての神奈川

教区からの質問と要望への具体的回答がないこと。提案者の山北議長が教師退任勧告の議案説明

の中で挙げている理由に、その前の常議員会で記録も取らす、言質としないとの約束で行われた

「聖餐についての」私の発題の一部がありますが、その発題で議長の説明には触れられていない問

題提起を私は三つしていますので、それに対してきちっと答えないで強引に可決された退任勧告決

議には答えようが無いということ。0譴弔慮超飢颪宣教のあり方を模索する中で決断された開か

れた聖餐を、全教団的な論議もなく、一教師の退任勧告という形で否定するやり方は承認できない

ので、勧告にも答えられないということです。

 さて、私への教師退任勧告を支持する人たちとそれに賛同する東京神学大学が「『一致と再編』

協議会準備会」の案内を送ってきました。その郵送物の中に東京神学大学教授の山口隆康さんの

紅葉坂教会の違法な聖礼典の執行の問題について」という文章が入っていました。内容は私が去

年の7月の常議員会で、記録はとらない自由な懇談会ということで行った聖餐についての発題の内

容を逐一挙げて、それに対する違法性を事細かに書いているものです。それを読んで、この人の感

性はどうなっているのか? と思ってしまいました。もし私が山口さんの立場だったら、クロース

ドな聖餐にはどのような真理性があるのかを論述し、オープンな聖餐との違いを示し、お互いに信

じるところに従って宣教活動を続け、祈りをもって一致をめざしていこう、という論旨で書くだろ

うと思うのです。しかし山口さんは、私の発言の違法性を事細かに論って、開かれた聖餐を続ける

なら、勧告だけでは生ぬるく、私が必然的に処分に至るのが当然だというのです。とにかく神学校

の教授の務めにある人が、聖書についても、イエスについても一切触れずに聖餐に関わる問題を、

ただ教憲教規違反だと論っている文章しか書かないというのでは、神学の看板を下ろした方がよい

のではないでしょうか。神学とは、私が学んだ限りで言えば、自由で批判的な学問であるはずです。

20世紀の代表的な神学者バルトのものを読めば、いかに神学が自由で批判的な学問であるかがわか

るはずです。しかもバルトは教憲教規という教会の法や規則は勿論、信仰告白を含めた教会の教義

や伝統に基づいてではなく、聖書をどう読むかというところから自分の神学を構築しているのです

。そしてバルトは、自分の書いたものも後の人が自由に批判して乗り越えていくべき相対的なもの

に過ぎないという自覚をもっていたように思います。少なくとも神学者を名乗るのであれば、この

バルトの姿勢の一端でももってもらいたいものです。

私は現在の東京神学大学を卒業して教会の現場に出てくる若い方々を見ていて感じているのは、頭

も体もカチカチで自由で批判的な精神はもちろん、創造性が極端に萎縮しているということです。

今回の山口隆康さんの文章を読んで、東京神学大学を卒業して教会の現場にくる若い方々のステレ

オタイプ化した発言を、なるほど、さもありなんと、変に納得してしまいました。大変残念なこと

です。何故なら、東京神学大学日本基督教団立神学校であり、他の神学校と比べるとこの神学校

から日本基督教団の教職になる人が多いからです。
      


       「よく死ぬ」                 2月10日


 私たちはみな、いつの日か死にます。私たちが確かなこととして知っている数少ないものの一つ

です。けれども私たちはよく死ねるでしょうか。それはあまり確かではありません。よく死ぬとは、

他の人々のために死ぬこと、後に残る人々に対して私たちの生涯を実りあるものとすることです。

したがって重要な問いは、「遣わされた年数で何がまだ出来るか」ではなく、「私の後の世代の人

々の間で、私の人生が実をもたらし続けるためには、どのように自分の死を準備するか」というこ

とです。

 イエスはよく死なれました。というのもその死によってイエスは愛の霊をご自分の友人たちに送

られたからです。イエスの友人たちは、聖霊によって、よりよい生涯を送ることが出来ました。私

たちが友人から離れる時、愛の霊を友人たちに送ることが出来るでしょうか。それとも私たちは、

まだ何が出来るかを心配しているでしょうか。もし良く死ぬための準備をするなら、死は私たちの

最もすばらしい贈り物となり得ます。


                 (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)