なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

最高裁上告は棄却になりました。

   (船越教会ホームページは、http://funakoshichurch.wix.com/1954#!contact/c11m6 です。)

みなさんの裁判支援を心から感謝申し上げます。

 昨夜弁護士から連絡があり、私の最高裁上告は棄却になりました。理由は、以下の通りです。

 1、上告について

   民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民事法312条1項又は2項所定の場合に

  限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる

  法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

 2、上告受理申立てについて

   本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。



 弁護士さんによれば、最高裁の場合、棄却の時はこのように簡単な通知になるようです。

 ご存知のように、一審、二審の判決は、私の訴えが「争訟に該たらない」ということで、門前払いということ

です。教団の私に対する戒規免職が適切であったかどうかという問題については、一切踏み込んでおりません。

従って、最高裁上告棄却は、教団のやったことは正しかったというお墨付きにはなりません。ただ司法での闘い

はこれ以上できませんので、これからは教団内運動一本に絞って、免職撤回と教団の民主化(教団改革)をめざ

して、忍耐強く運動を続けていきたいと思います。

 今まで同様、これからも、ご支援をよろしくお願いいたします。

 以下に前回同様、支援会通信別冊3号掲載の関田寛雄代表世話人の挨拶文を転載いたします。


          「法廷の斗いを越えて」 支援会代表世話人 関田寛雄 


(3・29当日関田寛雄世話人代表は、集会に間に合わず、集会終了後に会場に到着しました。最後の挨拶

をお願いしていましたので、その挨拶を後日文書で書いていただきました。それをここに掲載します。)


 「主われを愛す」を歌います。
 
 只今、私どもの裁判の過程は最高裁の判断待ちという状況でありますが、私としてはその判断がいかなる

ものであれ、これからの私たちの働きは、教団内での運動に集中することになると思います。率直に申して、

本来の斗いは正にこれからだと思います。これまでも申して参りましたが、私たちの運動の目的は、

(1)先ずもって、北村牧師の教団教師としての復権にあります。その免職に至る現教団執行部の偏見と無

責任を糺すと共にその人権侵害についての謝罪を求めます。

(2)次に聖餐についての論議についての神奈川教区の三度にわたる提案の無視について糺すと共に、その

拒否の理由についての説明を求めます。私どもは聖餐の霊的意義を軽んずるのでなく、その恩寵的秘儀を重

んずればこその再検討を求めているのであって、これエキュメニカルな流れでもあります。それ故

(3)信仰職制委員会における聖餐式理解及びその執行方法についての慎重な論議の継続を求めます。それ

は一にかかって新しき時代に生きるキリストの教会の宣教と教会形成の使命に関わる基本的な課題を遂行す

るためであります。更に

(4)その根底には「戦責告白」によって自らの罪責を悔改め、キリストの憐れみのもとで許されて生きて

いる教団である事の確認を求めます。そして、

(5)今、申しわけない関係においてある沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。こ

れは「戦責告白」を重んする限り教団の示すべき必然的姿勢であると考えます。

 以上の5点について、私たちは新たな希望と勇気と愛をもって、教団の中に主にふさわしい教会にして頂

けるための努力を始めたいと願います。やがて終結すべき法廷での斗いを越えて、今や備えるべき課題とし

て提言しつつ、ご挨拶といたします。