一昨日の夜に弁護士から、私の上告が棄却されたとのメールをもらって、丸一日が経ちました。昨日は農伝に
説教演習にいきましたが、その時に私も寄稿した農伝の紀要をいただきました。昨年10月末に、兵庫教区の教師
研修会の講師を頼まれたときに話したことを、ほぼそのままで、最後に今後の日本基督教団がどのような教会を
めざすべきかという提言を加えたものを、私は紀要に投稿しました。昨年10月末のこのブログにも掲載したもの
です。
上告棄却で私の戒規免職撤回は、すべて教団内運動にかかることになりました。これからが正念場になります
が、現教団執行部が聖餐のことで戒規免職を乱発するようになりましたら、未受洗者の陪餐を可とする聖餐式を
執行している教会、教師は、自らた立場を鮮明にして、現教団執行部との対話に全力をかけていただければと願
っております。
黙想と祈りの夕べ通信(439[-19]2008・2・24発行)復刻版
今朝9時半ごろ突然中高時代の同窓生の一人が私を訪ねてきました。彼は以前に一度だけ当教会の礼拝に出席
したことがあります。昨夜同じ中高の同窓生が何人か集まって飲んでいたら、その中の一人から私の教師退任勧
告のことを聞いて、その人からインターネットを見ると分かると言われ、インターネットを見てびっくりして来
たというのです。彼は私が牧師を辞めさせられたら、教会にはいられなくなるだろうし、住むところにも困るの
ではないかと心配になって、どうなっているのか聞きにきてくれたのです。思わぬ来訪者に私もびっくりしまし
た。一応簡単に説明し、心配しなくてもいいからと、彼に言いました。たまたま彼の吉祥寺に住んでいる姉が宣
教師のいる教会に行っていて、自分の行っている教会でも洗礼を受けていなくても聖餐に与かっている人はいる
わよ、と言っていたというのです。彼は私のことを心配していろいろとお姉さんにも聞いたようです。うれしい
ことです。
上記の私の発言に続いて、ひとりの方からの発言がありました。先日朝早くに目が覚め、ラジオの深夜便をか
けた。鈴木健二アナウサーと禅の老師の話だった。すごく大きなスケールのお話で、引き込まれて深夜便の終わ
る5時まで感動して聞き入ってしまった。その話の中にも聖餐についの話題があった。次の日朝9時半ごろ、教会
員のIさんから電話があった。朝早くからごめんあさいねと言って、Iさんには色々な方の消息を尋ねられた。知
っている限りのことをお話した。Iさんとの電話での話しの中にも聖餐のことが話題になった。Iさんの妹さんが
京都の教会に行っていて、Iさんは開かれた聖餐がいいと思い、妹に聞いたら、妹は閉ざされた聖餐の方がいいと
言っているという。この聖餐のことが今キリスト教にとっての大きな問題であることを身を持って感じた。
続いてもう一人の方からの発言がありました。私はいつものように沖縄のことを話したい。少女暴行事件がま
た沖縄で起きた。米軍が沖縄に駐留している限り、また軍隊がある限り同じことが繰り返し起こるに違いない。
この少女暴行事件が起きて、辺野古では環境調査が延期された。延期されたことは良かったが、少女のことがな
ければと思うと、複雑な気持ちである。先ほどネットで見たら、辺野古のさらに北に位置するヤンバククイナが
住んでいる高江で、元々あったヘリポートに加えて、オスプレイのヘリポートを新しくつろうとしている。その
高江の反対運動の報告会が東京であり参加した。高江には150人ほどの住民がいて、反対運動をしているのは、
数家族である。協力をしてくれる家族もあるようだ。ヘリの演習で低飛行をすると、家がガタガタするため子ど
もが恐がるので「怖くないよ」と親が抱きしめていたら、その子の初めての言葉が「こわい」だったという。そ
ういう子は一生トラウマを抱えて生きていくだろうなあーと思うと、世界中の戦争地域の子どもたちがどんなに
大変であるかと思う。沖縄のヤンバルでのことも今度の少女の暴行事件のことも米兵および米軍によって起こっ
ている事件の氷山の一角に過ぎない。伝えられない事件が多く起きているし、恐ろしい思いをしている女性や子
どもたちがいることを思うと申し訳ないが3~5名しか座っていない国会前座り込みを続けていこうと意を強く
している。そして平和を造り出すために用 いさせてくださいと、神に祈っている。
また別の方からの発言がありました。今日の黙想箇所の詩編123:3「主よ、私たちを憐れんでください。私た
ちはあまりにも恥に飽かされています」を聞き、飽きるほどの恥を背負わされて生き続けなければならない人々
の痛みを思った。痛みを与えている側は全く気づきもしないか、その事を重く受け止めず、無関心、無視である。
先日早稲田の「女たちの戦争と平和資料館」に行き、壁面の写真を見ていた。この方々は戦時中の日本軍性奴隷
制の中で慰安婦を強いられ、戦後は人に知れれば恥とされるのでひた隠しにして生き、近年歴史的事実を抹消し
ようとする動きの中で立ち上がり証言をした女性たちである。しかし日本はそれを無視し、彼女たちを飽きるほ
どの恥の中に置き去りにし続けている事を本当に悲しく思う。私自身、人の痛みに敏感なものでありたいと思う。
「秘密を明るみに」 2月24日
私たちの誰もが秘密を持っています。心に秘めた考え、記憶、感情。「もし私が感じていることや考えてい
ることを人々が知っていたら、私を愛してはくれないだろう」と私たちはしばしば考えます。用心深く隠された
秘密は、私たちにとって大いに害あるものとなります。こうした秘密によって、私たちは罪の意識を持ったり、
恥じたり、自己受容が出来なくなったり絶望してしまうこともあります。また、自殺への思いや行動に走ること
さえあります。
秘密をどうするかで重要なことの一つは、信頼している人と、安全なところでそれを分かち合うことです。
秘密を明るみに出すよい方法があって、他の人々と共にそれを見つめることが出来るなら、秘密をもっている
のは自分一人だけではないこと、そして信頼している友人たちが以前にもまして私たちをさらに深く親しく愛
してくれる、ということを発見するでしょう。秘密を明るみに出す時、人々との親交と内なる癒しが作り出さ
れます。秘密を分かち合うことで、人々が私たちをもっと愛してくれるばかりでなく、私たちが自分自身をよ
り豊かに愛するようになるでしょう。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)