なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(539)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(539)復刻版を掲載します。2010年1月のものです。

 今日は朝から忙しく、ブログ掲載がこの時間になってしまいました。


       黙想と祈りの夕べ通信(539[Ⅺ-17]2010・1・24発行)復刻版


 今日の聖書朗読の聖書の一つは詩編92編でした。この中に悪(人)について書かれています。例えば、

「主よ、あなたに敵対する者は、必ず/あなたに敵対する者は、必ず滅び/悪を行う者は皆、散らされ

て行きます」(10節)。「神に逆らう者が野の草のように茂り/悪を行う者が皆、花を咲かせるように

見えても/永遠に滅ぼされてしまいます」(8節)。そして神に従う人の幸いが歌われます。有名な言葉

です。「神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。/主の家に植えら

れ/わたしたちの神の庭に茂ります。/白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし」

(13-15節)。このような聖書の言葉を読みますと、悪や悪人の存在が究極的には滅亡すると言われてい

ます。反対に神に従う人は命に溢れると。このような聖書の記述を、私たち信仰者は神に従う人だから

後者に属すると読むのは、短絡した読み方ではないかと思います。神に従う人がいるとすれば、イエス

さま以外にはいないのではないかと、私は思っています。どんなに立派な信仰者であっても、私たちの

中には神に従う自分と神に逆らう自分が混在しているように思います。もしかしたら、イエスさまも私

たちと同じだったかもしれません。ただ神によって悪や悪人が滅ぼされるということに、悪や悪人を内

に抱え持っている私たちにとっての希望があるのではないでしょうか。悪や悪人がうじゃうじゃしてい

て、神に従う人はどこにいるかわからないような現実の世界に生きる私たちは、神の可能性を信じ、神

に従って生きる道に希望を見出し、それぞれの場で志を同じくする人びとと連帯して生きていくことで

はないでしょうか。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。ずっと胃の具合がよくない。吐き気が

し、食べても胃がむかつく状態が続いている。食道と胃がつながっているところのカーブが直線になっ

ていて、逆流するのではないかというのが医者の診断である。もしそうだったら、改善は出来るが、元

通りになることはないのではないかと心配である。朝から夜まで、気持ちが悪くつらくて、参りかけて

いる。胃カメラで調べることになった。自分は小心なので、胃カメラを入れることがこわいが、やらざ

るを得ないと思っている。先週から今週にかけてお米は食べていない。自分がこのような状態なので、

人が死んだとか、怪我したとかというニュースに敏感になっている。野球選手の小林繁投手の死もそう

だ。かつて江川の巨人入団により、小林が阪神にトレードされたことが騒がれたが、お互いにつらかっ

たと思う。小林本人は、生前一生背負っていかなければと言っていた。江川が悪かったわけではないだ

ろうが、政治と同じで周りで仕組まれたものではないか。人間はいろいろなものを背負って生き、最後

はある意味で、自分の生き方に殉ずるようにして、死を迎える。そういう気持ちの備えは、今の自分に

はない。

 続いて別の方の発言がありました。飼い犬の介護が昨年の年末から続いていて、その犬は腎臓が悪く、

認知症になり、夜中に泣くので、自分も寝られないので疲れ切っている。犬がそういう状態なので、留

守番してくれる父も不安のようだ。今日の午後父に電話で連絡したところ、弱った犬はもううめき声も

でない状態のようで、いよいよである。その犬の介護でいろいろ教えられた。この犬は子を難産の末産

み、子育てを一生懸命した。猟犬なので、子供を守ろうとして、いろいろなことをした。その犬の姿を

見て、自分も教えられ育てられた。創世記にいろいろな動物がでているが、人間のパートナーとはなれ

なかったとある。行き過ぎかもしれないが、人間とペットとの間には創世記を越えられるよう交流があ

るように思う。 


        許し~共に生きる生活を結ぶもの」   1月24日


 互いに七の七十倍許そうとする気持ちがなければ、人と人とが共に生きることは出来ません(マタイ

18:21参照)。許しは、人が共に生きる生活を繋ぐものです。許しは、よい時も悪い時も、私たちを一

つにし許すことで、私たちは互いに愛し成長することが出来ます。

 しかし何を許し、何に対して許しを求めるのでしょうか。完全な愛を渇望する心を持った人間である

私たちは、日常の生活においてそのような完全な愛を与えることも、得ることも出来ないことを、互い

に許し合うことが大切です。私たちの様々な要求は、無条件に他の人のためにありたいという思いを絶

えず遮ります。私たちの愛は、口にされた条件や暗黙の条件によって制限されています。何を許したら

よいのでしょうか。私たちは、お互いが神でないことを許し合うことができるでしょう。


                  (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)