なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(542)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(542)復刻版を掲載します。2010年2月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(542[Ⅺ-20]2010・2・14発行)復刻版


 先日Mさんからお手紙をいただきました。その内容はMさんの妹さんが本を出したので、私に読んで欲

しいということでした。翌日その本が送られてきました。Mさんの妹さんには2歳4ヶ月くらいの赤ちゃん

がいます。お産の時にへその緒が切れてしまって脳死状態で生まれてきました。半年以上集中治療室か

ら一般病棟と病院での生活を続けました。妹さんは夫とも相談して、その子を自宅で生活できるように

と準備をして、在宅看護という形で自宅での家族3人の生活をするようにしました。その自宅での生活を

ブログにしていて、そのブログを編集して本になったようです。妹さんの子は、今回の臓器移植法

A案ですと、臓器提供者にさせられる可能性があるそうです。私も詳しいことは分かりませんので、これ

から学んでいきたいと思っていますが、脳死状態にあってもその子の命は生きて成長しているわけです。

この妹さんの子も、髪の毛は伸び、歯も8本も出てきているそうです。その子と両親との間には親子の交

流も豊かにあります。脳死状態ということによってその子がかけがえのない人格として見られるのでは

なく、移植のための臓器提供者として部品のように見られるのは、その子にとっても両親にとっても大

変辛いことだと思います。一方臓器移植をしなければ命の継続が難しい人にとっては、臓器の提供を容

易に受けられるようになることが望ましいでしょう。なかなか難しい問題です。Mさんの妹さんの本を紹

介しておきます。西村理佐著『~長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活~ほのさんのいのちを知って』

エンターブレイン発行)。

 上記の私の発言に続いて一人の方の発言がありました。2泊3日で一年ぶりに沖縄で神奈川教区の沖縄交

流委員会と基地・自衛隊問題小委員会が企画した集会に16名の一員として参加した。久しぶりに辺野古

も行った。その時に、近所の方が亡くなっとの知らせが入った。かつて基地の推進派の一人だった人で、

60歳くらいの漁師である。その方が病気入院でお連れ合いが飼っていた犬の世話ができないというので、

その方の犬を辺野古基地反対協のテント村で可愛がっている。亡くなったという連絡が入ったとき、テン

トの人たちが犬を連れて行き、お別れをしてきた。その方は元気だった頃船で反対派の人たちに罵声を浴

びせたこともあった。反対派の人たちは非暴力で、罵声を浴びせてくるその方に向って、「おじさん、入

れ歯が飛ぶよ」と応対したことがあると言う。弔問に行った時に、その方のお連れ合いが、これから時間

ができるから、テントの座り込みに行くからと言われたそうだ。敵と思われる方にも豊かな関係を持つ姿

勢に関心させられた。しかしまだまだ辺野古漁港から調査船が出ているし、名護市市長選で反対派の市長

が誕生したとは言え、厳しいことには変わりがない。辺野古の海に隣接しているキャンプ・シュワブ米軍

基地が様変わりしていて、辺野古沖にV字型滑走路ができるという前提で、兵舎など新しい建物が日本の

思いやり予算で建っている。この経済不況の中で税金が無駄使いされている。私たちが馬鹿にされている

感じである。かつて辺野古の海にはヤグラができて攻防をしていた。今はそのようなことはないと思って

いたが、実は違った形で今もあると言う。アセスの調査船の前に飛び込んでスクリューにしがみついたと

いう人もいて、体を張って阻止しているということだ。PC映像を見せてもらってその闘いを知らされた。

自分たちは国会前に座り込んでいるだけだが、辺野古での闘いの姿勢に学ばせられる。普天間基地の移設

先が決まるという5月には、辺野古のテントをたたみに来るわと言って、帰って来た。

 もう一人の方の発言がありました。以前生命倫理の講義を聞いたことがある。講義を聞いた後に、参加

者の一人が「寝たきりになって生きていたくないわ」という言葉を語った。今、来週の日曜日のメッセー

ジ(いのちをテーマ)を準備中である。ハンセン病の療養所で飼われていた犬を引き取って飼っていたが、

最近亡くなった。いのちを全うできてよかった。自然の災害以外は、戦争、殺人によって人の命が奪われ

ている。いただいたいのちを最後まで全うしたい。何にもできなくても、そこに存在することそのものを

素晴らしいと思えたら、自殺する人も少なくなるだろう。支えていけたらと思う。自分のことだが、北村

牧師の免職のこともあって、動揺しているが、ちゃんと現実を直視しながら歩んでいきたいと思っている。


      「私たちの目の前にある美しさとよさを見る」  2月14日


 探している宝物をみつけるために、遠くへ行く必要はありません。私たちがいるまさにその場所に、美

しさ、よさはあります。ごく身近にある美しさやよさを見る眼があって初めて、遙か遠くの旅に出て、美

しさやよさが分かるのです。木々や花を楽しみ、絵画や彫刻などを鑑賞することが出来ますが、とりわけ、

微笑み、たわむれ、親切や優しさを分けてくれる人がいます。この人たちはみな私たちの周りにいて、感

謝の内にいただくことの出来る無償の贈り物です。

 私たちには、周りにあらゆる美しいものやよいものを自分のしたいことに役立つ知識として集めておき

たいという誘惑があります。しかしそうすると、集めたものを楽しむことが出来なくなってしまいます。

そして再び、自分を取り戻すために休息を必要としていることに気づきます。どこか別のところへ探しに

出かける前に、私たちの目の前にある美しさやよさに気をとめましょう。


                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)