なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(221)

           船越通信癸横横院 。横娃隠鞠7月26日    

・19日(日)は礼拝にはじめての方がいらっしゃいました。Y人さんという方です。Yさんは以前私が

紅葉坂教会の牧師であったときに、紅葉坂教会の礼拝に時々いらしていました。礼拝後のYさんの自己

紹介によれば、紅葉坂教会の礼拝で20回くらい私と会っているということでした。その頃紅葉坂教会に

は伝道師がいましたが、Yさんはその伝道師とは親戚関係の方で、伝道師との関係で紅葉坂教会の礼拝

に来ていたのでした。今回横須賀に住んでいるので、その紅葉坂の伝道師だった方から、北村が船越

教会にいるから行ってみたらと言われて来たということです。

・19日は礼拝後12時半からビデオ鑑賞会がありました。その前にHさんがつくってくれたおにぎりを

いただきました。おにぎりだけかと思っていましたら、大皿におにぎり二つと漬物や惣菜も添えてあり、

豊かなお昼を皆でいただきました。12時半からドキュメンタリー映画「福島六ヶ所 未来への伝言」を

鑑賞しました。使用済み核燃料の処理が技術的にはまだ未完成でありながら、原発を稼働させて放射性

廃棄物を六ヶ所村の再処理・処分施設に集めていますが、未来が見えないまま、とにかく原発稼働を進

めてきた電力会社と政府の施策の矛盾がどんな結果をもたらすのか。東京電力福島第一原発事故によっ

てその不安が増大しています。それでも政府は原発再稼働に動いているのですから、大地と自然、そこ

に住む人の命や生活のことなど何も考えていないとしか思えません。まさしく「アベ政治を許さない」、

それがビデオ鑑賞後の私自身の思いでした。「戦争法案」反対のために澤地久枝さんの呼びかけで、

18日午後1時に「アベ政治を許さない!!」を掲げる運動に加わるべく、船越教会の道路崖網と教会の

看板に2枚掲げましたが、この思いは「原発再稼働」にも通じるものです。

・さて、19日の説教の中でも触れましたが、教団議長石橋秀雄の名前で教会に送られてきた「戦後70年に

あたって平和を求める祈り」をここに全文掲げます。まず石橋議長名によるこの祈りの「送付について」

という文章を記します<平和の主イエス・キリストの御名を賛美いたします。/さて、去る7月13日~14日

に第39回第3回常議員会を開催しましたが、その際、現在の日本の政治状況を深く憂い、常議員会におい

て平和を求める祈祷会をもちました。/さらに、常議員から提案があり、教団内諸教会・伝道所および関

係学校・施設・団体におきましても、ぜひその祈りを共にしていただきたいということで、常議員会にお

いて、「戦後70年にあたって平和を求める祈り」を作成し、それをお送りすることを議決しました。/皆

様すでによくご存じのように、去る16日の衆議院本会議におきまして、集団自衛権行使容認のための法整

備である安全保障関連法が可決されましたが、私共はこのことを深く憂えると共に、キリスト者の使命と

して、国の為政者と、痛みを負っている人々を覚えて祈ることが求められていることを思います。そのた

めに、ぜひこの平和を求める祈りを共にしていただきたいと思います。/皆様に主の御守りが豊かにあり

ますようお祈りいたします。/在主>。<「戦後70年にあたって平和を求める祈り」/私たちは今、世界

の主なる神に祈ります。/私たちは戦後70年にあって、アジア・太平洋戦争時、日本の戦争遂行に協力し、

多くのアジア諸国の民に多大な苦しみを与えたことを悔い改め、二度と同じ過ちを犯すことがないために

、真に平和を造り出すことができる知恵と力を与えてくださるように、今この時、神の憐みと導きを祈り

願います。/今、日本は、多くの憲法学者憲法違反と指摘しており、多くの国民が懸念しているにもか

かわらず、集団自衛権の行使容認を閣議決定し、そのための安全保障法案を国会で議決しようとしていま

す。私たちはそのことを憂い、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2章4節)

平和の実現を願い、為政者が謙遜になり、国民の思いに心を寄せ、秩序をもって政治を司ることができる

よう切に祈ります。/また、国政に責任を負う者の中に、多くの重荷を負わせられている沖縄の人々のう

めきや痛みをかえりみず、言論を封じようとする発言があることを心が痛むと共に、為政者のおごりを感

じます。異なる意見に耳をかさず、懲らしめなければならないとうそぶいている権力の担い手たちが、異

なる意見を真摯に聞く心を与えられるように祈ります。為政者が、権力を担うことは民意の委託であるこ

とを覚え、民に聴き、民を尊び、民に仕える心が与えられるよう祈ります。/私たちは、私たち自身が経

済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無

関心となっていたことを悔い改めます。私たちに他者の痛みや嘆きを自らのものとして受けとめる心を与

えてください。/平和の君イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン>(傍点北村)。この傍

点の部分は、現在沖縄教区が教団と距離を置いている現実を、また、まともな話し合いもなく戒規免職処

分を私に下したことを踏まえての祈りだとは、とても思えません。自らに刃を向けないまま、あたかも自

分たちはまともであるかのように思い込み、その鈍化した感性の常議員たちの、全く行為を伴わない言葉

だけの祈りにはなんの力もありません。ここまで教団執行部は退廃してしまったのか。この祈りからはそ

のことへの悲しみしか感じられません。私は、2011年の福音と世界1月号に随想メッセージ・聖書と現実か

らの往還から「ただのひととして、もうだめか」を掲載しました。今度の新教出版社から発売された私の

説教集『食材としての説教~聖書と現実の往還から~』にも収められていますが、その「はじめに」で、

2010年秋に開催された教団総会で一部議員に配布された「議案ガイド」なる冊子によって「賛成反対を投

ずる過半数を越える議員によって構成されていた教団総会を振り返って、改めて退廃した教団の死滅を予

感しました」と記しました。今回のこの祈りを読んで、その私の予感が現実になっていることを実感させ

られました。

・23日(木)には基地・自衛隊問題小委員会に出席しました。24日(金)19:30から船越教会でヤコブ

の聖書研究会がありました。私はそれに間に合うように、聖書研究の準備を鶴巻でして、船越教会には

19:00頃つきました。