なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(263)

            船越通信癸横僑魁 。横娃隠暁5月29日    

・22日(日)は2年前に一度船越教会の礼拝に出席した茨城県常総市在住の方が、平塚に転居したという

ので、二度目になりますが船越教会の礼拝に出席しました。礼拝後お茶を飲みながらの懇談では、私は主

に彼と話をしていましたが、皆さんは庭の梅ノ木にカイガラムシ(?)が繁殖し、その駆除についてもい

ろいろと知恵を出し合っていたようです。この日は午後4時半から教区の第一回オリエンテーションが教区

事務所で行われましたが、私はその前に横浜スタジアムの近くの病院に入院している方をお見舞いしまし

たので、懇談後皆さんが帰った後、来週の日曜日の準備をしてすぐに船越教会を出ました。見舞いのため

にJR石川町に行きますが、オリエンテーションのための荷物が多かったので、京急上大岡駅の構内にある

ロッカーに荷物を入れてから、横浜に出てJRに乗り換え石川町に行く予定を立てました。ところが京急

大岡駅構内のロッカーは全部使用中で空きがありませんでしたので、急遽上大岡で地下鉄に乗り蒔田駅の

改札を出たところにあるロッカーに荷物を入れて、JR石川町に向かいました。後で気づいたのですが京急

上大岡駅構内のロッカーは、サミット開催との関係で閉鎖されていたようです。

・さてオリエンテーションは神奈川教区の教会・伝道所に赴任してきた新任教師、按手・准允志願者、神奈

川教区内教会・伝道所に出席している神学生などを対象に行われていますが、毎年第一回は神奈川教区形成

基本方針についての学びと神奈川教区の諸制度についての説明を行っています。今回は教区形成基本方針に

ついては、前副議長の蒔田教会牧師古谷正仁さんに講師をお願いしました。委員を含めて15名の参加者があ

り、16:45から20:00少し前まで、間に夕食が入りましたが、発題に対する質疑及び参加者一人ひとりの感想

を述べあって終えました。私は二つのことを申し上げました。一つは1963年に神学校に入学し1969年に卒業

して牧師になった私にとっては、1967年の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

(戦責告白)は、文面についての問題を感じつつも、それが出た時に、これで牧師としてやっていけるとい

う思いを与えてくれたのです。戦責告白はそれほど私には大きなことだったということです。もう一つは、

日本基督教団に属する者のアイデンティティーは、現教団執行部が主張するように「信仰告白と教憲教規」

ではなくて、諸教派が国家の力によって合同し、成立した日本基督教団の成立の問題にこそあるというこ

とです。日本基督教団に所属する教会は、たとえ成立以後に日本基督教団に加入した教会であったとしても、

この日本基督教団の成立の問題を共有しているのです。国家に屈服して成立した日本基督教団の諸教会・

伝道所が、その負の歴史をどう克服して、国家に対峙して福音宣教をすることができるかという課題です。

午後8時にオリエンテーションが終わり、委員でいつも行く中華料理店で少し喉を潤して、鶴巻には午後11

時30分過ぎに帰りました。

・この週も火曜日の24日には農伝に行きました。学生の中には70年前後のことについて関心のある人がい

て、以前にも東神大全共闘の『死せる言葉の終焉』を読みたいと言うので、私が友人から借りて持って行っ

てあげたことがあります。今回は農伝の他の授業で60年代後半から70年にかけて山谷伝道に取り組んだ伊藤

之雄さんを紹介されて、伊藤之雄さんの『神なき時代』を読んだと言うのです。実は私も東神大の学生の頃

友人と二人で山谷に伊藤之雄さんを訪ねたことがありました。当時伊藤さんは玉姫館というドヤの一室を住

居にしていました。そして山谷労働会館の一室で集会を開いていました。玉姫館にも集会にも伺いました。

玉姫館で印象的だったのは、伊藤さんの2~3畳の部屋の壁上の棚にはドイツ語の宗教事典RGGが並んでいたこ

とです。また、集会では、集会後一緒に運動している人が捕まって警察の留置場に入っているので、これか

ら差し入れに行くといって出かけて行ったことです。そんな話を農伝の学生にしましたら、当時の生き証人

がいるのだと言って、喜んでくれました。伊藤之雄さんの遺稿集も持っているよと言いましたら、ぜひ借り

たいというので、来週持って行ってあげようと思っています。

・26日(木)には午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり出席しました。この委員

会では委員会独自の活動ではありませんが、厚木、座間、横須賀の現状報告があります。基地の状況や他団体

の活動などが報告されます。私も横須賀の報告をしています。今回は、林間つみの教会牧師のY・Sさんから、

3月まで沖縄のうぶざと伝道所の牧師で、4月から藤沢大庭教会牧師になったY・Hさんを委員に推薦があり承

認されました。Y・Hさんも辺野古で新基地建設反対行動の一環としての抗議船を運転していた方です。また

、Y・Sさんから沖縄で起きた米兵による女性暴行殺害事件の抗議声明を、6月の教区総会に議員提案議案とし

て出す提案があり、さっそく賛同者を募ることにしました。

・28日(土)には寿地区センターの講演会が紅葉坂教会でありました。私は寿地区活動委員会で横断幕を

書いていく役割を与えられていましたので、10メートルの模造紙を購入し、金曜日の夕方に船越教会に来て、

横断幕を準備しました。今回の講師は仁藤夢乃さんという方です。チラシのプロフィールには以下のように

記されていました。<高校中退後、予備校で出会った故・阿蘇敏文氏(牧師・講師)との出会いから農業、国

際活動にふれ社会活動を始める。2009年明治学院大学社会学部に進学。友人らが路上を彷徨う生活から抜け

出せずにいることから高校生に目を向けた活動を始める。現在「居場所のない高校生」や「搾取の対象にな

りやすい青少年」の問題を発信するとともに、日常的な関わりを通して少女の支援を行っている。2015年よ

り、第30期東京都青少年問題協議会委員を務める>とあります。現在協力者と共に女子高生サポートセンタ

ーColaboを運営しています。仁藤さんが自分自身の体験に基づいて書いた『難民高校生』の表題「難民」が

表わしているように、学校にも家庭にも地域社会にも居場所がなく、秋葉原や渋谷で彷徨う女子中高生は正

に日本社会の難民なのかも知れません。仁藤さんのお話を聞きながら、彼女の働きと寿での働きは、一見無

関係のように見えますが現代社会の貧困という点で通底しているように思えました。