なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(305)

昨夜は紅葉坂教会で第73回かながわ明日の教団を考える会がありました。今回は新しく参加してくだ

さった5名(その中の2名はこの4月から神奈川教区に来た新任の方です)を加えて、総計25名の方々の

出席Sがありました。この日の中心的な議題は6月総会に出す二つの議案(戦責告白50年の教区主催集会と

私の免職撤回と聖餐論議の場の設定を求める声明)についてです。話し合いの結果6月総会の議案にする

ゆに今後準備をしていくことになりました。この会が終わって有志で会食をし、鶴巻には午前0時頃に

なってしまいました。

 下記に船越通信癸械娃気魴悩椶靴泙后


船越通信癸械娃機。横娃隠掲3月19日    北村慈郎

・12日(日)礼拝後しばらくお茶を飲んで懇談の時を持ち、私はSさんと二人で富士宮青木平のN・Sさ

んN・Mさんのお二人をお訪ねしました。京急田浦から金沢八景まわりで京急逗子まで行き、逗子からJR

で大船乗り換えで富士駅まで行きました。富士駅身延線に乗り換え、富士宮駅に着いたのは午後4時半

過ぎでした。富士駅でSさんがN・Sさんに電話連絡をしていましたので、富士宮駅を出たところでN・Mさ

んが私たちを迎えに来てくださっていました。

・お二人はこの日午後、富士宮市総合福祉会館ホールで「3・11を忘れない菅野みずえさんのお話し

会」を主催者側として準備から最後まで参加してから、私たち二人を迎えに駅まで来てくださったという

ことでした。お疲れになっていたのではないかと思います。菅野みずえさんという方は、いただいたこの

集会のチラシのプロフィールによれば、「64歳。2人の子の母で、2人のお孫さんがいらっしゃいます。/

『権利としての社会福祉』を基本的態度として福祉職の資格を生かし現場で働いてこられました。/福島

第一原発の事故当時、原発から27劼力温渉津島地区に居住していました。帰還困難区域となってしま

い、現在は兵庫県に避難しています」という方です。どんなお話をされたのかはわかりませんが、原発

故のために住み慣れた土地を去り、避難生活を余儀なくされている方の言葉は重いに違いありません。私

は「飯館村の母ちゃんたち土とともに」という映画に出て来た菅野榮子さんと菅野芳子さんという二人の

方の存在とその言葉から、原発事故とは何かということを、その深い所で知らされたように思いました。

富士宮駅でN・Sさんが運転する車に乗せていただき、富士宮市浅間神社で車を降りて、境内を案内し

ていただきました。神社の本殿はかやぶきで、そんなに大きな建物ではありませんでしたが、見事なもの

でした。この浅間神社富士宮では唯一観光バスが止まる観光スポットだそうです。その後車でN夫妻が

懇意にしているお店で夕食をごちそうになり、青木平のN宅に着いてお茶をいただきしばらく懇談し、そ

の日はお風呂に入って、午後8時前には就寝ということで、布団に入って寝ました。こんなに早い時間に

布団にはいることは普段はありませんが、土曜日の睡眠時間が短かったせいか、しばらくしたら寝付いて

いました。

・翌日は朝8時過ぎに、薪ストーブで温かくなっているリビングに行き、朝の挨拶をして、用意して下

さった朝食をゆっくりいただきました。リビングの窓からは真正面に富士山が見えます。その日は頂上の

所に雲がかっていましたが、雄大な富士の姿が見事でした。その後、庭でまき割をN・Sさんに教えてもら

い、実際に短く切った丸太に斧を振り下ろして割るのですが、私もSさんもなかなかうまく割ることが出

来ませんでした。その後里山を案内してもらいながら、生えかけている竹を根元から鎌で刈り取ったり、

落ちている枯れ木を集めたりして、N・Mさんが普段している里山を維持するための仕事を、ちょっとだけ

体験させてもらいました。手入れしている所は光が入りますので、様々な草花も育ちます。私は枯草の間

から春蘭の花を見つけました。まだこの時期は枯草で覆われている感じですが、これからいろいろな草花

が咲いて美しい里山になっていくのだろうと思わされました。私もSさんもそんなに作業はしませんでし

たが、一通りNさんご夫妻に里山を案内していただきました。その後SさんはN宅の庭で薪割にしばらく挑

戦し、お昼になりましたので、帰り支度をして車に乗り、途中やはりNさん夫妻が懇意にしているお店で

昼食をご馳走になり、富士宮駅に送っていただき、午後2時過ぎの電車で帰路に着きました。里山の自然

に親しみ、その作業を体験するということで、Nさんのお宅に伺いましたが、今回はほとんどお客様とし

て歓待されて帰って来ました。Nご夫妻、ありがとうございました。

・この週は17日(金)に寿地区活動委員会があり出席しました。この日は1時間ほど委員会をして、そ

の後4月から鹿児島の志布志教会に転任するなか伝道所牧師のIさんと農伝の学生で寿地区センターの仕事

をしてくれていたN・Hさんの送別会ということで、鍋を囲んで会食を共にしました。4月からのIさんの働

きの上に主の導きをお祈りします。

・18日(土)には私の支援会の第5回総会が紅葉坂教会でありました。第5回総会ということは、支援会

ができて6年ということになります。支援会は裁判をするということで立ち上げましたが、2014年6月に私

の訴えは訴訟に値しないという判決が最高裁で確定しました。その後2015年から「北村慈郎牧師の処分撤

回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」と名称を変更し、5項目(1、北村慈郎牧師の免職処分の即

時撤回と教団教師としての復権を求めます。2、聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。

3、「戦責告白」の教団史における意義を踏まえ、歴史に向かい合う教団となることを求めます。4、沖

縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。5、一方的な「公同教会」の主張を再考して

「合同教会」の形成を求めます。)を掲げて、宣言賛同の運動を続けています。約2年間で賛同者は3,294

名になっています。今度の総会で承認された活動計画は以下の通りです。「*北村慈郎牧師の免職撤回を

求める活動を継続し、その原則を踏まえた上で教団との和解の道を模索します。*「北村慈郎牧師の処分

撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」の賛同者をさらに募ります。*「宣言5項目」による具

体的な運動を、他団体との連帯を模索しながら展開すると共に、「宣言5項目」の内容的な展開を文書に

して発行します。*新教コイノーニア31『戒規か対話か~聖餐をめぐる日本基督教団への問いかけ~』と

『合同教会の「法」を問う~北村慈郎牧師の戒規免職無効確認等請求訴訟裁判記録~』を用いて、この問

題の所在についての理解を広めます(各地集会等により)。*信徒・教職に拘らず、戒規による不当な除

名・免職等あらゆる処分・抑圧に反対します。*会員をさらに増やし、活動を全国に広げます」。どこま

でできるかわかりませんが、7年目に向かって支援会の活動を続けて行きます。このためにもどうぞお祈

りくださいますよう、よろしくお願いいたします。