なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(63)

    「怒りの酒」エレミヤ書25:15-29、2017年4月30日(日)礼拝説教


・今日の説教題は「怒りの酒」です。先週は「怒りの鞭」です。このところ「怒り…」「怒り…」と、「怒

り」ばかりで、気が滅入る人もいるのではないかと思います。もっと明るい説教はできないのかと。大変申

し訳ないのですが、今扱っているエレミヤ書の箇所からは、明るい言葉はなかなか聞こえてきません。

・けれども、明るいとはどういうことでしょうか。エレミヤが批判した偽預言者たちのように、実際には

平和がないのに、「平和だ、平和だ」と語ることなのでしょうか。23章の16節、17節にこのように語られ

ていました。

《万軍の主はこう言われる。/お前たちに預言する預言者たちの/言葉を聞いてはならない。/彼らはお前

たちに空しい望みを抱かせ/主の口から出る言葉ではなく、自分の心の幻を語る。/わたしを侮る者たちに

向かって/彼らは常に言う。/「平和があなたたちに臨むと/主が語られた」と。/また、かたくなな心の

ままに歩む者に向かって/「災いがあなたたちに来ることはない」と言う》(エレミヤ23:16,17)。

・戦前の時代にはこのエレミヤ書の偽預言者が語ったようなことを、当時の教会も語っていたのではないで

しょうか。当時民衆の大多数は、天皇の赤子という意識を注入されて天皇の臣民として振る舞っていました。

ですから、特に太平洋戦争末期には絶対権力を持つ天皇をバックにして語られる大本営発表は、事実を覆い

隠して語られた虚偽の言葉だったのですが、民衆はその虚偽の言葉を信じざるを得ませんでした。教会も国

家に迎合して戦争協力のための言葉を語ってきたのです。結果的に民衆は皆それに騙されて、あの悲惨な敗

戦を迎えることになりました。ですから、どんなに明るい言葉であっても、それが嘘で固められた言葉であ

れば、その言葉に希望を託することはできません。

・現在の安倍首相の語るアベノミックスによる経済の繁栄も戦争のできる強い日本の国造りも、偽預言者の語

る言葉に等しいと思うのですが、安倍政権の支持率が余り下がらないのは、「国民」(括弧付きの言い方で

すが)の多くがその幻想に絡め取られているからでしょう。その幻想に酔ってしまう「国民」であるとすれ

ば、かつてと同じ破局を迎えることにならないとも限りません。

エレミヤ書の今日の箇所には、このように語られているのです。《それゆえ、イスラエルの神、主はわた

しにこう言われる。「わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを

飲ませよ。彼らは飲んでよろめき、わたしが彼らの中に剣を送るとき、恐怖に悶える。」》(15,16節)。

ここでは、エレミヤは神ヤハウエによって、《わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わ

すすべての国々にそれを飲ませよ》と言われているのであります。そして、《わたしは、主の御手から杯を

取り、主がわたしを遣わされた国々にその酒の杯を飲ませた。また、エルサレムとユダの町々、その王たち

と高官たちに飲ませ、今日のように、そこを廃墟とし、人の驚くところ、嘲るところ、呪うところとした》

(17,18節)というのです。

・19節以下にはエジプトからはじまって、最後はバビロニアまでさまざまな国々の王が、エレミヤの差し出

す杯から酒を飲むというのです。そして27節では、《あなたは彼らに言うがよい。「イスラエルの神、万軍

の主はこう言われる。飲んで酔い、おう吐し、倒れて起き上がるな、わたしがお前たちの中に送る剣のゆえ

に・・・」》と言われているのです。

ヴェスターマンは、「この描写は、歴史の中で度々繰り返される謎の事実、すなわち諸国民の滅亡、繁栄

からの没落、そして歴史的破局を指し示している」と言っています。そして「後になれば、このような没落

の原因は、はっきりとわかるはずである。しかし、謎はいつも残される。例えば、その国民全体を言わば地

獄にひきずりこむような、ひとりの独裁者を、人々がどうして多数で選び出し、彼に服従し、彼に権力を掌

握させてしまうことが起こるのか。だがそうは言っても、その事例も、全く起こりそうにないとは言い切れ

ない。ただ説明できないだけなのである。エレミヤの「よろめきの杯」も、容易に説明のつかない、このよ

うな謎を指し示している」と言うのです。そして「しかし、」と続けて、「ここではそれ以上のことが言わ

れている。つまり、諸国民ともろもろの国々に起こる大いなる破局と滅亡をもたらす者は、他ならぬ神であ

ると主張しているのである」と。その意味でこの箇所は、神が怒りをもって諸国を裁き滅ぼすという宣言に

なっているのであります。

ヨブ記12章にもこのような言葉があります。《(神は)国々を興し、また滅ぼし/国々を広げ、また限ら

れる。/この地の民の頭たちを混乱に陥れ/道もなく茫漠としたさかいをさまよわせられる。/光りもな

く、彼らは闇に手探りし/酔いしれたかのように、さまよう》(23-25節)と。

・このところアメリカにトランプ大統領が誕生して、シリヤ空爆が行われ、北朝鮮との緊張も深まっており、

核兵器使用によって人類の滅亡につながりかねない第三次世界大戦へというシナリオも全くあり得ないとい

うわけにはいかなくなってきているように思われます。北朝鮮の軍隊のパレードをテレビで観ますと、あの

姿は70年前のドイツであり日本の姿でもあったのです。現在世界が、イギリスのEU離脱アメリカにトラン

プ大統領が誕生し、諸国が自分の国を守るという保護主義的な自国主義に回帰しようとしています。そうい

う中で国家間、民族間、宗教間のトラブルを軍隊や力(暴力)で解決しようとすれば、大変なこと、即ち

世界が破局的な状態に陥る危険性がないとは言えません。恐ろしいことです。

・科学技術の進歩と産業革命以降人間が手に入れた膨大な富によって、エレミヤの時代の古代社会とは比べ

ものにならない程の破壊力を持つ軍事力と核兵器を現代人は手に入れてしまったのです。こういう現代の

世界状況において、エレミヤの「神が怒りをもって諸国を裁き滅ぼすという宣言」をそのまま当てはめて、

「諸国民ともろもろの国々に起こる大いなる破局と滅亡をもたらす者は、他ならぬ神である」と言うこと

が出来るでしょうか。

新約聖書をみますと、マルコ福音書13章の小黙示録と呼ばれている箇所には、世の終わりである終末の

徴として、破局的な状況が語られ、キリスト者もイエスが受難を受けたように、イエスのために「総督や

王の前に立たされて、証しをすることになる」(マルコ13:9)と言われています。その後に、「しかし、

福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り

越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい・実は、話すのはあなたがたで

はなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わた

しの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」

(13:10-13)と語られています。

・また、ヨハネによる福音書の著者は、有名な3章16節以下で、このように語っています。《神は、その独

り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るた

めである。神は御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためであ

る。御子を信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じないからである。光が世に来たのに、

人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は

皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を

行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるためである》

(3:16-21)。

・この二つの新約聖書の言葉からすれば、イエスを信じる私たちキリスト者は、審判を通した神の救済を

信じ、現代の国家や資本の無謀や支配力による世界的な破局と滅亡の恐れの中で、どんな状況において

も、主イエスに従って、平和を求め、いのちを大切にし、為すべきことをこつこつと行って生きていく

ことへと招かれているのではないでしょうか。