なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(324)

     船越通信癸械横粥。横娃隠掲7月30日    北村慈郎

・23日(日)は礼拝後、DVD鑑賞会の準備をみなでしてから、Tさんが用意して下さったお握りをいただ

きました。12時30分からDVD「横浜事件を生きて」を上映しました。礼拝に引き続きDVD鑑賞会に参加され

た方に、DVD鑑賞会だけに参加された方が加わり、今回は総勢18名の参加者でした。横浜事件は「第二次

世界大戦中の1942年から1945年にかけて生じた、雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞

記者ら約60人が逮捕され、約30人が有罪となり、4人が獄死した事件である。戦後、無実を訴える元被告

人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた。2005年に再審が開始され、罪の有無を判断せず裁判を打

ち切る免訴判決が下された」(ウキペディア)。戦前の治安維持法の恐ろしさを如実に示している事件です。

現代の治安維持法ではないかと言われる共謀罪が成立してしまった直後でしたので、タイムリーな企画

で、参加者も多かったのではないでしょうか。DVDの最後のところで、横浜事件で逮捕拷問を受けた木村

亨さんが、現在も生きている二人の特高の方と電話で話す場面があります。その場面を観ながら、国家権

力によって私たちが分断されて、片や特高警察官に、片や逮捕拷問を受ける人にならざるを得ない戦前の

社会って何なのだろうか。これからも共謀罪の運用次第では、同じようなことが起こるのではないかと思

うと、逮捕拷問に自分は耐えられるだろうかと自問自答しながら、そうならない社会をつくらなければな

らないと、強く思わされました。

・私はDVDの上映が終わると、みなに挨拶もせずに、すぐに一人で午後3時からある鎌倉恩寵教会のW牧師

の就任式に向かいました。梅田からバスで田浦駅まで出て、JRで鎌倉まで行く予定でしたが、バスが出た

ばかりで、16号線の船越のバス停まで歩き、そこからバスで田浦駅に出ました。JR横須賀線は田浦から逗

子乗り換えで鎌倉まで行きました。鎌倉恩寵教会に着いたのは10分前で、もう礼拝堂はいっぱいで、最後

列の席になんとか座ることが出来ました。就任式終了後、一度皆が庭に出て、その間準備して、礼拝堂が

来客者の茶話会の場所になり、教会員の方は階下の集会室で礼拝堂の様子もビデオで観れたようです。茶

話会で私はW牧師から祝辞を頼まれていました。私の他にはW・H牧師とTさんで、祝辞は3人だけでした。

W・H牧師の後に私が祝辞を述べました。Wさんが免職牧師の私を選んでくれたことと、鎌倉恩寵教会の

方々はレベルが高いので、私が何を言っても驚かないからとWさんに言われていましたので、祝辞も真剣

勝負の気持ちで話さなければと、私は思っていました。そのことを前振りで話して、私は二つのことを申

し上げました。一つは、今祝辞を述べられたW・Hさんは、私が以前に牧師をしていた紅葉坂教会やこの鎌

倉にある鎌倉恩寵教会のような教会を「住宅街の教会」と言われた。鎌倉恩寵教会は寿地区センターをボ

タンティア派遣と献金とで支えてくださっている教会ですが、教会の志向性として、イエスがめざした

(中森幾之進「下に登る」、深津文雄「底点志向者イエス」)方向性を堅持し、誰と共に生きていくかを

大切にしてもらいたいこと。もう一つは、私は聖餐の問題で教団から免職されていますが、聖餐の問題で

私自身が一番問題と感じているのは、聖餐の政治性ということで、戦時下の教会が聖餐式をしていたと思

いますが、その教会が兵隊に行く人のために戦勝祈願をして、戦争協力を積極的にしたのです。そういう

教会で行われる聖餐式って何でしょうか。戦時下国家の要請によって日本基督教団が出来、日本基督教団

は戦争協力をしたわけですが、各個教会も日本基督教団の戦争責任を共有しているのだから、戦時下の教

会の罪責をどう克服していくか。今安倍政権によって怪しい時代になっているので、そのことを鎌倉恩寵

教会が教会の課題として担っていって欲しいと申し上げました。そして、W牧師の就任をお祝いし、W牧師

と鎌倉恩寵教会の上に祝福をお祈りいたしますと結びました。就任式後鎌倉の駅前で、9人でのどを潤し

て、鶴巻に帰りました。

・24日(月)14:00に秦野日赤病院泌尿器科前立腺生検の結果を聞き、癌でないと告げられ一安心しま

した。ただこれからも薬を飲み、様子を見ながら、3か月に一回の受診は続けることになりました。皆さ

んにご心配をおかけしましたが、どうぞご安心ください。

・27日(木)、この日は連れ合いが教区の委員会があり行かれないので、私が国会前辺野古新基地建設反

対の座り込みに参加しました。午後1時から4時まで、曇天で今にも雨が降りそうな感じでしたが、最後ま

で雨も降らずに終えることができました。その後私は、18:30より横浜開港記念会館の会議室で行われる

辺野古新基地NO!海兵隊の撤退を!7・27映画と講演の集い」に参加しました。講演は猿田佐世さんと

いう弁護士の方で、ワシントンでロビー活動をしている方です。この人が事務局を引き受けているシンク

タンク「新外交イニシアティブ」(ND)は、「米海兵隊の運用を見直すことで名護市辺野古を含め、国内

への新基地を造らずに普天間飛行場の返還が可能だとの提言を発表している」ということを知りました。

その会場で『辺野古問題をどう解決するか~新基地をつくらせないための提言~』(新外交イニシアティ

ブ編、岩波書店、2017年)を販売していましたので、購入してきました。また、この集会の中で辺野古

埋立てに使うケーソン三重県津に在るJFEエンジニアリング(旧日本鋼管)と鶴見のJEFエンジニアリン

グが作ると言われていて、その反対運動も起きています。ところがJEFにはまだ発注も来ていないそうで

す。辺野古の海の海底が柔らかくてただケーソンを置くだけではダメなようで、その工事の見通しが立て

られない状態なのではないかということです。最初の計画では今年中には出来上がっていなければならな

いにも拘わらず、今の状態なのは、やはり反対運動による工事の遅延が功を奏しているからではないかと

言っていました。28日(金)18:30より同じ開港記念会館の講堂で地位協定の集会があり、私はその集会

にも参加しました。米軍関係の犯罪を現在の地位協定によって日本に裁判権がないため日本の司法で裁け

ないのです。