なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(348)

 風邪をひいたりして、しばらくこのブログは休止状態でしたが、またボチボチ記事を載せたいと思いま

す。


      船越通信、癸械苅検   。横娃隠固1月28日   北村慈郎


・21日の日曜日は、礼拝後何時ものように残れる人でお茶を飲み懇談し、そして散会しました。その後

私は船越教会に残って、来週の準備と、この日の夜に予定されている第76回かながわ明日の教団を考える

会の準備をしました。午後4時過ぎに連れ合いと船越教会を出て、明日の教団を考える会がある紅葉坂

会に向かいました。京急田浦駅から日ノ出町駅まで行き、日ノ出町駅からは歩いて、途中時間が少し早

かったのでモスバーガーに寄りコーヒーを飲んでから、紅葉坂教会に行きました。集会は午後6時からで

したが、20分前には集会が行われます紅葉坂教会の階下ホールに着きました。紅葉坂教会のTさんとIさん

がホールに机と椅子を並べて集会の準備をしていてくれました。感謝です。前回のかながわ明日の教団を

考える会は2017年7月末でしたので、この日の会は約5か月ぶりになります。寒い時期で体調を崩しておら

れる方もあり、数名の方からは前もって欠席の連絡ありました。この日の出席者は関田先生を入れて11名

でした。関田先生からは別件でいただいたお手紙の中に、「28日のかながわ明日の教団を考える会には参

加します」と書いてありました。私は敢えて会の日程は21日ですと連絡しませんでした。寒い時期ですの

で先生にいらしていただくのは申し訳ないと思って、もし日にちを間違えて21日に来られなかったなら、

その後先生にお電話して、かながわ明日の教団を考える会は21日で、28日には会はありませんのでと連絡

するつもりでいました。21日に先生にお会いした時に、その旨お話ししましたら、先生は私に下さった手

紙の中でこの会を28日と書いておられたことを全く自覚いていらっしゃいませんでした。ということで、

1月の大変寒い時期にも拘わらず、関田先生はこの会に出席してくださいました。この日の会では、戦責

告白50周年を覚える神奈川集会の報告(昨年11月23日開催)、教区常置委員会でのいくつかの情報を共有

し、2月の総会に出す議員提案議案の確認をしましたが、2月総会に出す議員提案議案はありませんでし

た。この日の会ではこれがメインの議題でしたが、提案議案がありませんでしたので、6月総会では私の

支援会を中心に秋の教団総会議案に免職撤回議案と聖餐論議の場の設定議案を議員提案議案として予定し

ていること、また、6月総会では教団総会議員選挙があることなどを確認し、後は今年のリフレッシュ@か

ながわ(福島の家族の保養プログラム)への協力、その他関連する運動体の報告をして、この日の会を閉

じました。比較的早めに会を終えましたので、有志6人で会食をしてから、鶴巻に帰えりました。


・22日(月)になり、喉がいがらっぽくなり、咳が出はじめましたので、いつもかかりつけの内科に午

後3時過ぎの患者の混まない時を見計らって検診に行きました。その頃大分雪が降ってきていましたの

で、私が行ったときには、何時も10人以上は必ずいる待合室は空っぽで、すぐに医者に診てもらうことが

できました。喉と胸を診てもらい、私には前立腺肥大がありますので、漢方の風邪薬5日分を出してもら

いました。風邪はほぼ26日(金)いっぱいまで寝込んでしまいました。22日(火)は農伝に行く日でした

が、21日夕方に高柳校長から雪のために明日は休講にしますという連絡をいただいていましたので、農伝

にも行かないで済みました。しかし25日(木)の教区基地・自衛隊問題小委員会は欠席せざるを得ません

でした。21日月曜日夕方から26日金曜日夜まで、ほぼ四日四晩寝込んだわけです。この時期毎年風邪をひ

いていますが、今年は何時もよりちょっと重い感じがしました。


・ということで他に報告することはないのですが、私の支援会の大阪出前集会での関田先生の講演の中

に、以下のような一節があります。「信仰告白そのものの教団の扱いは形式化しています。・・・教団の

場合にはもはや内容はともかくとして、要するに現告白文を認めるか認めないかという発想で教師試験に

おいても迫ってくる。それは、大変な間違いをもたらしていると思います。・・・ちょうど新教出版社

ら最近出ました『新教コイノーニア』の特集に『戦後70年の神学と教会』がありますけれども、その中で

八木誠一さんが言っているように、要するに教団の現在の信仰告白の取り扱いは記述(承認)の言語であ

る。本来ならば告白の言語であるべきなのに、記述(承認)の言語にしてしまっている。客観的な文言と

して認めるか認めないかということになる。そういう取り扱いでもって教師試験が行われている。これは

不幸なことだと思います」。この関田先生の文章との関連で八木誠一さんの論文の一節も紹介しておきた

いと思います。<・・・キリスト教ローマ帝国で公認され国教化してゆく過程で、キリスト教は、イエ

ス・キリストを中心とする、神による世界創造と人類救済という客観的事実と神の計画を宣教する宗教と

なった。換言すれば教会が絶対に正しいと定めた正統的教義(救いに関する客観的情報)を疑うことなく

信奉して教会の行事に参与する人間がキリスト者と定義され、それは宗教改革をへたプロテスタント

よっても現代まで持ち越されたのである。こうしてキリスト教言語は(事実性について検証不可能な)記

述言語となり、信仰は情報言語に直接依存する決断となった。生活も聖書と教会が与える実践的情報言語

に自我が服従することになる。ところでこの場合、情報言語は自我レベルでの言語だから、ここでは自我

を超えた深み(宗教的生の表現言語)は失われる傾向が強い。「世界と人間における神・キリストの内在

とはたらき」という内的経験の表現・伝達は、失われることはなくても、後退してしまう。/・・・その

結果、教会がキリスト教の唯一絶対を声高に叫べば叫ぶほど、教会に来る人は減り、同じ割合、あるいは

もっと大きな割合で、教職や役職について教会を指導し得る人材が減ってゆく。/それだけではない。確

かにかつてキリスト教は人格の尊厳の感覚を育み、民主主義を基礎付けた。しかしみずからが宗教的生を

知的情報に還元する傾向の強いキリスト教は、近代が啓蒙主義産業革命、都市化・情報化をへて現代へ

と進み、その間植民地主義帝国主義戦争をともないつつ、自我を超える深みの次元を喪失して自我を究

極化する文明となり、儲けること、勝つこと、楽しむことにしか関心を持たない世俗化に陥ってゆく趨勢

を、阻止することができなかった。新約聖書学は本来宗教的生の深みを発掘するという重大な任務を担っ

ていたのではなかったか>。