なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(82)

    「道しるべ」エレミヤ書31:21-30、2018年1月21日(日)船越教会礼拝説教


・第2代目の国連事務総長は、スウェーデン人ダグ・ハマーショルドです。1953年から国連事務総長を務

めていましたが、在職中の1961年9月18日、コンゴ問題にかかわっているさなか、飛行機事故に遭って帰

らぬ人となりました。彼は、困難な国際紛争の解決に尽力し、国際社会から高い評価を受けていたので 

死後ノーベル平和賞を贈られました。この人が書いた「道しるべ」という本があります。この本は、彼が

20歳から書き始めた日記です。日記といっても、日々の出来事を記す通常の日記ではなくて、自分への戒

めや、人間の本質の洞察、神との関わりについての分析や詩からなっています。私も随分前に読んだこと

がある本です。この『道しるべ』について、著者自身は「私の私自身との、そうしてまた神とのかかわり

合いに関する白書のようなもの」であると言っています。その言葉からすれば、ハマーショルドは日記を

自分の道しるべとしてつけていたということではなかと思います。

・今日のエレミヤ書の箇所の最初に、「道しるべ」という言葉が出てきます。<道しるべを置き、柱を立

てよ。/あなたの心を広い道に/あなたが通って行った道に向けよ。/おとめイスラエルよ、立ち帰れ。

/ここにあるあなたの町々に立ち帰れ。/いつまでさまようのか/背き去った娘よ>(21-22a節)と。

・エレミヤは捕囚のイスラエルの民に、神の言葉を取り次いでこのように語っているのです。エレミヤ

は、捕囚の民イスラエルを、「背き去った娘よ」と呼び、「いつまでさまようのか」と語りかけていま

す。神がその捕囚の民を再びユダの地に連れ帰ると言うのです。そのために「道しるべを置き、柱を立て

よ」と言われているのです。道しるべがないと、帰ることもできないからです。ハマーショルドが道しる

べとしてつけていた日記を、「私の私自身との、そうしてまた神とのかかわり合いに関する白書のような

もの」と言っているように、私たちにとっての道しるべは、神とのかかわり合い、イエスとのかかわり合

いと言ってよいのではないでしょうか。神とのかかわり合い、イエスとのかかわり合いをしっかりと結ぶ

ことです。この関係がぐらついて、心がさまよって、神・イエス以外のものを神のようにして生きていく

ことが、私たちの捕囚状態と言ってもよいでしょう。北イスラエルにしろ南ユダにしろ、王国時代のイス

ラエル人は、神との関係をないがしろにして、大国にくっついてうまい汁を吸おうとして、結局大国に滅

ぼされ、主だった人ちは捕囚となってしまったのです。

・23節以下に、神による新しい創造として、ユダの地に帰還するイスラエルの民の姿が、このように記さ

れています。<イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしが彼らの繁栄を回復するとき、ユダと

その町々で人々は、再びこの言葉を言うであろう。「正義の住まうところ、聖所の山よ/主があなたを祝

福されるように」。民も、群れを導く人々も、わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす>(23,

24節)と。捕囚の民が帰還するユダの地は、「正義が住まうところ」なのです。王国時代の正義に反する

状況は克服されて、イスラエルの民は神とモーセの契約、十誡に言い表された、神を神とし、隣人を自分

のように愛する者として、新しくやり直していくのです。

・エレミヤが語った捕囚の民イスラエルのユダの地への帰還と回復のこの救済預言を、この言葉が語られ

た時に、どれほどの人々が本気で聞いたのかは分かりません。けれども、このエレミヤの預言がこのよう

に聖書に残っているということは、これを大切に語り伝えた人々がいたことを示していますので、この言

葉に希望を見いだした人もいたに違いありません。

・「道しるべ」というと、山登りを思い起こします。山登りをする時には、道しるべ(道標)をしっかり

確認して、道に迷わないことが大切です。人がそんなに多く登らない山は、それまで登山した人の登った

行程を参考にしながら、頂上に到達可能な道を選んで挑戦していくのでしょう。そのような余り人が登っ

たことのない山には、通常の山のような道しるべの案内板がないでしょうから、自分で地図に道しるべを

描き、それを頭に入れて登るのでしょう。

・われわれ人間の歴史も、ある意味では山登りに譬えられるかも知れません。明治以降の近代日本の為政

者たちは、富国強兵、和魂洋才をモットーに日本の国の近代化を推し進めました。その結果、アジアの

国々を侵略し、アジアの多くの人々を殺し、苦しめました。それだけではなく、アメリカと戦争をして、

その結果、日本の多くの人々の命も失い、最後は敗戦という結果になりました。エレミヤの時代も、北イ

スラエルも南ユダも大国アッシリヤとバビロニアに滅ぼされ、主だった人々は捕囚の状態に置かれまし

た。それは為政者である王が道を踏み誤った結果です。北イスラエルや南ユダには、エレミヤのような預

言者が出現して、為政者である王やそれに従う民衆の誤りを指摘し、祝福と平和に至る道に立ち帰るよう

に訴えましたが、戦前の日本にはそのような人はほとんどいませんでした。基本的には現人神であった天

皇に逆らえず、その天皇を担いだ権力者の意のままに動かされたのではないかと思います。その為政者の

めざしたヨーロッパとアメリカの列強に伍する国造りという目標が間違っていたのです。破滅への道で

あっても、偽りによってそれが希望の道だと誤魔化されて、それを信じてしまって、人は全力で破滅の道

を進む場合があります。戦前の日本の民衆のほとんどはそうだったのではないでしょうか。

・悲しいかな当時の教会、キリスト者もほとんどそれに同調してしまいました。救いと命の道ではなく、

滅びと死の道を選び取らされ、自らも選び取ってしまったのです。

・戦後の歴史は、明治以降の日本の国の歴史が裁かれ、新しい憲法が与えられて、基本的人権の尊重・国

民主権(主権在民)・平和主義(戦争の放棄)という日本国憲法の三大原理に基づく歩みが始まったので

あります。日本の国の憲法は、戦後の日本基督教団という教会にとっての戦争責任告白に当たると考えて

よいかも知れません。日本基督教団の中枢は今戦責告白を戦後日本基督教団の道しるべとは考えていませ

ん。現在の日本政府が憲法改悪して、戦争のできる強い国家をめざそうとしているように、戦責告白以後

の40年の歩みを「荒野の40年」といって否定的に捉えています。現在の政府が憲法よりも安保法制を優位

に考えているように、戦責告白よりも戦前の教団の教義の大要を焼き直した教団信仰告白と教憲教規の方

を重んじています。教団執行部と安倍政権が連動しているように思われてなりません。

・私は最近日米合同委員会について書かれた本を何冊か読んでいて、砂川闘争の時の伊達判決を思い起こ

させてもらいました。ご存知の方も多いと思いますが、伊達判決の要旨はこのようなものです。

・【〃竫∥莇緇鬚蓮日本が戦争をする権利も、戦力ももつことを禁じている。一方、日米安保条約

は、日本に駐留する米軍は、日本防衛のためだけではなく、極東における平和と安全の維持のため、戦力

上必要と判断したら日本国外にも出動できるとしている。その場合、日本が提供する基地は米軍の軍事行

動のために使用される。その結果、日本が直接関係のない武力紛争にまきこまれ、戦争の被害が日本にお

よぶおそれもある。したがって、安保条約によりこのような危険をもたら可能性をもつ米軍駐留を許した

日本政府の行為は、『政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日

本国憲法の精神に反するのではないか。

・△修Δ靴心躙雲をもつ米軍の駐留は、日本政府が要請し、それをアメリカ政府が承諾した結果であ

り、つまり日本政府の行為によるものだといえる。米軍の駐留は、日本政府の要請と、基地の提供と費用

の分担などの協力があるからこそ可能なのである。この点を考えると、米軍の駐留を許していることは、

指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条第二項で禁止されている戦力の保持に該

当するものといわざるをえない。結局、日本に駐留する米軍は憲法上その存在を許すべきではないといえ

る。

・7沙?段緬,蓮∪掬?瞥?海里覆ご霖脇發悗領ち入りに対して、一年以上の懲役または2,000円以下

の罰金もしくは科料を課している。それは軽犯罪法規定よりもとくに重い。しかし、米軍の日本駐留が憲

法第九条第二項に違反している以上、国民に対し軽犯罪法の規定よりも特に重い刑罰をあたえる刑事特別

法の規定は、どんな人でも適正な手続きによらなければ刑罰を科せられないとする憲法第三一条〔適正手

続きの保障〕に違反しており、無効だ。したがって、全員無罪である。】

・伊達判決は一審での判決ですが、この判決は当時の最高裁判所長官田中耕太郎と駐日アメリカ大使マッ

カーサー(日本の占領軍のトップだったマッカーサーの甥)との密約で、高裁を飛び越えて最高裁でこの

伊達判決が覆されてしまうわけです。その結果現在まで日本における米軍の駐留が続いているわけです。

・戦後日本の道しるべは、憲法であり、伊達判決ではないでしょうか。日本基督教団に属するわたしたち

にとっては、それと共に戦責告白であり、沖縄の声に応えることではないでしょうか。関田先生は、戦責

告白50年を覚える神奈川教区集会の礼拝説教で、「沖縄からの声に聞くということを無くして、日本基督

教団の宣教のどこにテーマ(主題)があるのでございましょうか。苦しみ、痛み続けている沖縄の方々に

対する和解と連帯の責任があってこそ、戦責告白に生きる教団は、それにふさわしい歩みをするのではな

かろうか」とおっしゃっております。

・捕囚からの解放された者として、私たちは今を生きたいと思います。その道しるべである戦責告白、沖

縄からの声は、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)というイエスの言葉に通底

しているのではないでしょうか。