なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(411)

船越通信、癸苅隠院   。横娃隠糠5月5日   北村慈郎


・28日の礼拝後も、何時ものように残れる人でお茶を飲みながら懇談し、散会しました。今年のゴール

デンウィークは最大で10日間ということになり、28日の日曜日は既にゴールデンウィークに入っていま

した。テレビをつけると、「平成最後」という言葉が頻繁に語られていました。5月1日になると、今度

は「永和の始まり」が繰り返されています。元号による時間表記は天皇による時間支配を意味しますが、

そのことを深く追求することなく、お祭り騒ぎのようなイベントにして、元号の移行のこの時期を象徴天

皇制による国家観の定着という情報操作が行われているように思えてなりません。そして安倍政権は、自

らの政策の破綻を覆い隠すために、天皇の退位と即位を利用しているのでしょう。私は最近山本義隆

『近代日本150年』(岩波新書)を読みました。山本義隆はその本の「おわりに」でこのように記してい

ます。


・【日本は、そして先進国と称されてきた国は、成長の経済から再配分の経済にむかうべき時代に到達し

たのだ。この200年間の科学技術の進歩と経済成長は、強力な生産力を生み出したが、同時に地球を何回

も破壊できるだけの軍事力を生み、少数国による地球資源の収奪を加速させ、世界中の富をきわめて少数

の人たちの手に集中させることになった。/限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形

成し、税制や社会保障制度をとおして貧富の差をなくして行くことこそが、現在必要とされている。/か

つて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、そして福島の事故を起こした国の責任として、軍

需産業からの撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきりと否定し、経済

成長・国際競争にかわる低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべき

なのだ】(292頁)。


・この山本義隆のあるべき日本の未来の進むべき道からしますと、安倍政権は全く逆走しているとしか思

えません。その安倍政権の支持率が各種の世論調査で4月段階でも約45%もあるのというのですから、原

発再稼働、日米同盟の強化による軍事力増強、格差社会の亢進という安倍政権の政策のひずみが益々露呈

されていくに違いありません。それがこのまま続けば、1945年の日本の敗戦による戦前の天皇制国家の崩

壊と同じように、日本の戦後社会の崩壊へと突き進んで行かざるを得ないように思われます。そのような

現在において、「限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形成し、税制や社会保障制度

をとおして貧富の差をなくして行くことこそが、現在必要とされている」という山本義隆の指摘に応える

生き方を、私たちの身近な他者である隣人と共に選び取っていきたいと思います。


・この週はゴールデンウィークということもあって、連れ合いを訪ねて、4月30日には、小学校から高

校まで一緒だった連れ合いの友人が、連れ合いが病気であることを聞いて、私と会いたいという高校生時

紅葉坂教会に来ていた妹さんと一緒に鶴巻の自宅まで来てくれました。5月1日には、沖縄にいるKさ

んが連れ合いの私の支援会の事務局長をしてくれている夫のKさんと一緒に、5月4日には、紅葉坂教会

のメンバー3名も、連れ合いを訪ねてくれました。それぞれ話が弾んで豊かな交流の時を持つことができ

ました。


・昨年まで神奈川教区が主催する福島の家族の保養プロジェクト、リフレッシュ@かながわの保養に来る

福島の家族との連絡係を中心的に担っていた連れ合いが、今年は家でできる支援はしていましたが、直接

参加はきませんでした。私は5月2日の最初の日のホテルでの受付と、2日目5月3日の紅葉坂教会での

交流会に参加しました。ホテルでは2日の午後2時頃からフロントの近くで椅子に座って、「リフレッ

シュ@かながわはこちらです」という看板を膝の上に載せている係を担当しました。ホテルに到着した福

島の家族の方々がホテルの玄関から入って来ると、真正面に私が座っていますので、私の掲げている看板

を見て私の所にやってきます。そこで私が「受付はこちらです」と、私の座っているすぐ後ろにあるホテ

ルの集会室を案内するのです。午後2時から4時半過ぎまでに、途中の道路が混んで遅くなるという一家

族を残して、すべての家族が到着して受付を済ませました。その日の午後7時から、受付をした部屋で、

さがみ生協病院・内科部長の牛山元美医師による放射線内部被曝の講演と相談会がありました。講演会

には私も参加しました。牛山医師はご自身の豊富な実戦経験に基づいて専門的なお話をした後、最後に

「『未来のために今できること』臨床医としての提案のオマケ」ということで、「(福島に残るにしろ、

避難した土地で生きるにしろ、以上北村加筆)選択・決断した結果、今ここに生きていることを尊重。自

分は生きていいんだ! 生きて楽しんでいいんだ! ありのままの自分を認める、許す、好きになる=自

己肯定感を持つ」ことの大切さを強調しています。そして「やっちゃったことは、変えられない」。「失

敗は、次に同じことを繰り返さないための学び」、「できないことで悩まない。できることを考える」、

楽天的であることは人生に優しい(灰谷健次郎)」という言葉を添えています。3日の交流会では、恒

例の夕食(カレーとポテトサラダと杏仁豆腐のデザート)を、階下のホールと小部屋で、保養に来られた

福島の家族の方々とボランティアがそれぞれいただいた後、これも例年のように、子供たちは礼拝堂でお

楽しみ会があり、大人は階下ホールで幾つかに分かれて福島の家族の方々とボランティアとの交流会があ

りました。私の出たグループは福島の4家族(母親2人、夫婦2組)6人とボランティアは私を含めて3

人で計9人でした。たまたまその中にお父さんで消防士の方がいて、原発事故が起こり、バスで避難して

きた被災者の受け入れを担当された時の極限状況をお話してくださいました。私は、そのお話をお聞きし

てから、改めて、福島の原発で作られる電気を実際に使用している首都圏に住む我々の責任と共に、上記

山本義隆の本にも書かれていますが、原発推進経産省主導による国策事業として行なわれたことを思

うと、この国の責任の重さを問い続けなければならないと思わされました。