なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(565)

船越通信、№565 2023年5月6日(日)北村慈郎

 

  • 4月30日(日)は礼拝に耳の不自由なOさんが出席し、TさんがOさんのサポートをして下さいました。M・SさんやM・Hさんも、この日の礼拝に出席し、前週の23日(日)の礼拝と同じ8名の出席者でした。礼拝後N・Sさんを偲ぶ時を5月14日(日)の礼拝後にすることにし、H・TさんにN・Sさんの写真を準備してもらうことにしました。偲ぶ集いの内容については7日(日)礼拝後の役員会で確認することにしました。その後散会しましたが、私は皆さんが帰ってから、5月3日(水。祝)にご遺族から頼まれていました関田寛雄先生の埋葬(納骨)式の式次第を印刷しました。それでも、この日は12時38分のバス停梅田から追浜行きのバスに乗ることができました。何時もより早めに鶴巻に帰り、この日は3月21日のオンラインフェスタでした私の話を5,000字前後でまとめる作業をしました。その原稿は教区の社会員会通信に掲載するもので、4月中の締め切りになっていたからです。この日の夜8時ごろには、社会委員会委員長宛に原稿を送ることができました。
  • すでにゴールデンウイークに入っていますので、船越教会の行きかえりの電車や駅はいつもより人が多いように思われました。
  • 2日(火)は、毎年このころ帰天した連れ合いの千賀を憶えて訪ねてくれる、沖縄から帰省しているK・R牧師とその連れ合いのK・H夫さんが、今年はお弁当を買って来るのでお昼を一緒にしようということで、かつ弁当を買って、11時半過ぎに私の所に来てくれました。すぐに一緒にお弁当をいただき、その後午後1時半ごろまでいろいろと話しが弾みました。その後K夫妻は、例年のように、秦野に住んでいるHさんのお兄さんを訪ねた後、富士霊園に墓参りに行くと言って帰っていきました。
  • 3日(水・祝)は、K夫妻も有明である憲法集会に行くと言っていましたが、私は、この日午前11時に南武線の津田山にある川崎市の市営墓地の中にある墓地に関田寛雄先生の遺骨を納骨する埋葬(納骨)式を、遺族の方から頼まれていましたので、そちらに出かけました。午前10時に南武線武蔵溝ノ口駅前のホテルで関田先生のご遺族と待ち合わせていましたので、それに間に合うように鶴巻を出ました。午前10時15分前には待ち合わせのホテルに着きましたが、受付で聞くと、先生のご遺族の方はすでにチェックアウトしたということでした。電話で連絡し落ち合い、駅前に自動車で来ていた先生の長男の方の車で、先生のお連れ合いと次女の方と共に墓地まで行きました。この日は快晴で、日差しも強かったので、すでにいらしていた先生の長女のご家族と共に、木陰で皆さんが集まるのを待っていましたが、しばらくして全員(先生のご家族10名と私とK牧師の12名)が揃いました。埋葬(納骨)式の開始予定の時間まで未だ少しありましたが、墓地に先生の遺骨を納めて下さる石屋さんの人も来ていましたので、直ぐに式を始めました。最初に黙祷し、讃美歌第一編320番を歌っている間に石屋さんの方に先生の遺骨を墓地に納めていただきました。その後ヨブ記1章21節を朗読し、この聖句に基づいた短い説教をして祈りました。続いて先生の愛唱歌讃美歌第一編461番「主われを愛す」を歌い、主の祈り、頌栄、終祷、献花をもって埋葬(納骨)式を終えました。その後皆で会食をして散会しました。私は先生の長女のご家族の自動車で小田急登戸駅まで送ってもらい、登戸から小田急で鶴巻に帰ってきました。家に着いたのは午後2時半過ぎでした。この日の埋葬(納骨)をもって、生前先生から自分の葬儀は家族葬でするので司式を頼むと言われ、お引き受けした私の責任を果たすことができ、ほっとしています。青山学院大学神学科同窓会の先生の追悼礼拝が5月27日(土)に、神奈川教区の実行委員会による先生のお別れ会は6月17日(土)に、それぞれ行われることになっています。後者は、私も実行委員の一人として関わっていますが、午後1時から川崎朝鮮初級学校体育館で行われます。参加者には先生のお別れ会の費用の一端を担っていただくために、可能な方には会費(2,000円)をいただくことになっています。先生のお別れ会に出席される方は、6月17日(土)13:00-15:00、川崎朝鮮初級学校体育館で行われるお別れ会にいらしてください(案内は日本基督教団川崎戸手教会ホームページに出ています)。
  • この日から5日まで、今年も神奈川教区の「リフレッシュ@かながわ」(福島の家族の保養プログラム)が行なわれました。コロナウイルス感染拡大後は、この保養プログラムには交流集会がありませんので、実行委員会の委員のみで実施しています。この日の夜には、横浜YWCAで毎回行っている保養家族のための医師による内部被ばくのお話と相談会がありました。コロナウイルス感染拡大前には私もこの会に出ていました。今年はYWCAで開き、会場が広いので参加家族と実行委員以外にも参加できると伺っていて、できれば私も参加したいと思っていたのですが、残念ながら参加できませんでした。2011年3月の東日本大震災で東電福島第一原発事故が起こり、放射能が拡散し、その時に福島にいて、その後も福島に在住している子どものいる家族は、子どもの内部被ばくの問題を抱えざるを得なくなりました。この保養プログラムの中の医師の話と相談会は、保養プログラムの参加者家族にとっては、貴重な時となっています。このような現実があるにも拘わらず、原発再稼働及び新設を目論む日本政府は、人の命よりも経済を優先する愚かな道を突き進んでいこうとしているとしか思えません。
  • 4日(木)は祝日でしたので、辺野古新基地反対国会前の座り込みはありませんでした。そこで、大分前に約束していたのですが、コロナの感染が落ち着いていますので、現在パーキンソン病でほとんど自宅で生活している、私が神学生時代に大変お世話になった牧師の息子のKさんを、当時の彼の仲間6人と私とで訪ねました。お昼を共にし、中には何十年ぶりの顔合わせという人もいて、話に花が咲きました。私が1974年から3年間紅葉坂教会の伝道師だった頃、彼らは大学生で、最初は70年ごろの学園闘争のあおりもあり、教会には青年がほとんどいませんでしたが、このKさんのつながりから3年間で他教会とソフトボールができるほど多くの青年が集まりました。懐かしい思い出です。