なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(49)

「腸(はらわた)が痛む」,マタイ9:32-38

                2019年9月8日(日)、

 

  • イスラエルの牧者に向けられたエゼキエルの預言を読みますと、格差が広がっている現在の日本の社会のことが言われているのではないかという思いにかられます。
  • 古代イスラエル社会にとりまして牧者とは、指導者を意味しました。民と指導者たちが羊と牧者とに譬えられているのであります。ですから、牧者である指導者とは、現代の日本の社会に置き換えれば安部首相をはじめとした政治家を意味していると言ってよいでしょう。
  • エゼキエル書34章2節以下にこう記されています。「・・・・災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない」(2b、3節)。
  • 指導者は民の命や生活を守るために立てられているのに、民を守るどころか、自分の利益しか考えていないで、民から収奪、奪い取っているというのです。「お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない」とは、そういうことです。
  • 続けてエゼキエルは「お前たちは弱いものを強めず、病めるものを癒さず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。」(4,5節)と言っているのであります。
  • 格差社会の中で、取り残され、見捨てられていく人々が、飼う者のいない羊のように散らされて、命と生活が脅かされている現代日本社会のことが言われているかのようです。
  • マタイによる福音書8章、9章に記されています、さまさまな病や悪霊につかれた人を癒すイエスの奇跡物語では、このようなエゼキエルの預言とは真逆なイエスの振舞いが描かれています。イエスは、「弱いものを強め、病めるものを癒し、傷ついたものを包み、また、追われたものを連れ戻し、失われたものを探し求め、支配者の過酷な支配から人々を解放した」のです。
  • 先程司会者に読んでいただいた9章32節以下には、「悪霊に取りつかれて口の利けない人がイエスのところに連れて来られて、イエスが悪霊を追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は大変驚き、『こんなことは、今までイスラエルに起こったためしがない』と言った。」(32,33節)というのです。それに対して、「ファリサイ派の人々は、『あの男は悪霊の頭(かしら)の力で悪霊を追い出している』と言った。」(34節)というのですが、ここでもイエスは、口の利けない人を口が利けるように癒されたことが強調されているのです。
  • 9章35節以下のイエスの活動が総括的にまとめられているところでは、エゼキエル書の牧者とは対照的にこのように記されています。イエスは「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(36節)と。
  • このところは岩波訳によりますと、このようになります。「さて、彼は群集を見て、彼らに対して腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られた。なぜならば、彼らは牧人のない(牧者のいない)羊のように疲れ果て、打ち捨てられていたからである」。
  • 普通「同情する、憐れむ」と訳す原語のスプランクニゾマイは、「内臓」、すなわち腸や肝臓・腎臓などを指す名詞に由来します。内臓は人間の感情の座であると見なされていました。そこで、岩波訳のマタイによる福音書の訳者佐藤研さんは、新共同訳では「深く憐れまれた」と訳されているところを、「腸がちぎれる想いに駆られた」と訳したのです。
  • 「腸がちぎれる想い」とはどういう想いでしょうか。「断腸の思い」という言い方があります。広辞苑によりますと、「断腸」は「子を失い悲しみの余り死んだ母親の腸が細かくちぎれていた」という故事からきているとありました。
  • エスが「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群衆を見て、「腸がちぎれる想いに駆られた」ということを、私たちは忘れてはならないと思います。
  • ここで「弱り果て」と訳されていますエスクルメノイという原語は、スクルロー(皮をはぐ、悩ます)から派生した言葉で、権力者による収奪・抑圧という事情を、背後に持つ言葉であります。イエスの時代のユダヤ社会では、ローマによる支配と、ヘロデ王家による収奪は、民衆に苛酷な犠牲を強いたのであります。なおその上、祭司やパリサイ人など、本来民の精神的支柱たるべき階層も、民の困窮に本当に仕えることができませんでした。
  • この悲惨な実情を見て、イエスはその過酷な現実の中で苦しむ群集をご覧になって、「腸がちぎれる想いに駆られた」というのです。
  • そのような群衆への思いが、権力者を糾弾する預言を語った旧約の預言者と違って、直接民の困窮に仕える道をイエスに選ばせたのかも知れません。だからこそ、8章、9章に列挙されているような癒しの業を、「悔い改めよ、天の国(神の国)は近づいた」という神の国の宣教と共に、次々に行われたのです。
  • エスが人々と出会われるところには、人びとから収奪を繰り返すこの世の権力者とその同伴者たちの支配という、過酷なこの世の闇の現実を切り裂く光が差し込んでくるのです。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」という、マタイ10章35節のイエスの活動を総括するこの言葉は、権力者の収奪に苦しむ過酷なこの世の闇の現実に苦しむ人びとに、そこからの解放を告げる、光としての神の国の到来を示しているのです。
  • エスと弟子たちの活動は、神の支配としての神の国の到来を告げる福音宣教と共に、それにふさわしく人々が神を信じて生き抜くことでした。「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」人々が、癒されて神に愛された者として、与えられた命を喜んで他者と共に生きていくことです。
  • エスと弟子たちの下に集まった人々(群衆)の中に、そのような人間の再生、復活の出来事が生まれたのです。山上の説教の一節で、イエスが語った「幸い」が、イエスと弟子たちによる働きの中で、人々(群衆)の現実になったということでしょうか。
  • 「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」(マタイ5:4)とイエスが言われましたが、その幸いが、イエスと弟子たちの働きの中で人びとの現実となったのです。
  • しかしこのことは、イエスと弟子たちの働きで終わらせてはなりません。イエスはご自分が始めた神の国の宣教と病者の癒しが、イエスと弟子たちだけで終わらせてはならないということに自覚的だったと思われます。新しい後継者に引き継がれていかなければなりません。そのためには、弟子たち自身の心の中に、働き人を派遣していただきたいという、神への祈りが芽生えなければなりません。「そこで弟子たちに言われた.『収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』(マタイ10:37,38)と、イエスは弟子たちに言われたのではないでしょうか。
  • エスは、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群集を深く憐れまれた(腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られた)」と共に、弟子たちに「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」と言われたというのです。
  • 私は、マタイによる福音書9章35節で「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気を癒された」と要約されていますイエスの活動は、今見ましたような「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」者たちへの「腸がちぎれる」イエスの想いがあってなされていることに、深い意味を感じている者です。
  • それと共に、弟子たちに後継者が与えられるように神に祈れと言われたイエスは、後継者である、イエスを信じる者の群れとしての教会に、イエスと弟子たちの働きを引きつくことを期待しているのはないでしょうか。
  • ともしますと、教会は、イエスご自身の中にありましたこの「弱り果て、打ちひしがれている」人々、今日的に言えば人権と生存が脅かされている人々への「腸がちぎられる想い」をまったくもたないまま、伝道にしろ、宣教にしろ、考えてしまう危険性があります。
  • それは、一人一人の人間を超えて、教会の存立や維持、成長を自己目的にしてしまう危険性でもあります。
  • エスは、教会をつくろうとはしませんでした。弱り果て、打ちひしがれている人々が元気を出し、共に生きる仲間として支え合い、分かち合って、神の国を望み見て生きていくことを願い、そのために働き、そして権力者によって十字架にかけられたのです。
  • そして弟子たちには、「自分の十字架を負って私に従え」と命じました。そのイエスと弟子たちの働きを継承する教会は、十字架を負ってイエスに従って来たでしょうか。「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群集を深く憐れまれた(腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られた)」イエスに倣って。
  • 私たちが所属する日本基督教団は、1960年代に教会の体質改善の必要に気づきました。1941年に国家の圧力によって誕生した日本基督教団は、戦時下自分を守るために国家の戦争に積極的にしてしまいました。その反省のないまま戦後歩み始めた日本基督教団は、60年安保を契機に当時戦後に牧師になった若手の一部の牧師からの問題提起があって、日本基督教団の宣教基本方針をまとめました。ただ信徒を増やし教会を大きくすることだけではなく、「世に仕える教会」としての教会の体質改善と、各個教会が別々に伝道するのではなく、協力体制の中で複数の教会が一つになってその地域を伝道する伝道圏伝道が、宣教基本方針の柱になりました。その流れの中で1967年には戦争責任告白が、1969年には沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同が成立しました。2010年代に入って改訂宣教基本方針が出て来て、1960年代に出来た教団の宣教基本方針を否定する動きが教団の大勢を占めています。元教団議長の山北さんが「荒野の40年」と言って、この動きは、戦争責任告白以降の教団の歩みを全て否定したのに呼応しています。
  • 船越教会は1960年代の教団の宣教基本方針の「世に仕える教会」を志向して、現在に至っています。「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群集を深く憐れまれた(腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られた)」イエスに倣って。そのことは、以前にも紹介しましたが。船越教会創立50周年記念誌に記されています、2代目赤城昭二牧師の言葉によって示されています。短い言葉ですので、全文を紹介して終わりたいと思います。
  • 「私はキリスト教にたまらなく嫌気がすることがある。それと同時にイエスにたまらない愛着を覚える。私は悟りきったような顔をしている人に真実を見ることが出来ない。世界の矛盾に苦悩して生きている人に真実を見る。イエスを追求すればするほど、キリスト教がイエスとは異なることがはっきりしてきて、キリスト教を批判せざるを得ないのです。批判を通過して、イエスに立ち帰りたいのです。イエスキリスト教の先駆者ではなく歴史の先駆者でありました。我らの主とするイエスは逆説的反抗者の道を生きたが故に十字架に殺された。イエスが生き主張したこととキリスト教が教えてきた事は異なるのです。我らキリスト者がいまなすべきことは、歴史に生きたイエスに立ち帰る事です」。