19日(日)の日曜礼拝も2週目の自宅分散礼拝になりました。
4月19日(日)復活節第2主日礼拝(通常10:30開始):
(注)讃美歌はインターネットでHさんが検索してくれました。
⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう(各自黙祷)。
② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。
この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から
解き放つ神」。 (詩編68:20-21)
③ 讃 美 歌 18(「心を高くあげよ!」)を歌いましょう(各自歌う)。
讃美歌21 18番
https://www.youtube.com/watch?v=7xUI4h5XpQo
⓸ 主の祈り (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。
⑤ 交 読 文 詩編118編13-25節(讃美歌交読詩編130頁)
(当該箇所を黙読する)
⑥ 聖 書 マタイによる福音書14章13-21節(新約28頁)
(当該箇所を黙読する)
⑦ 祈 祷(省略するか、自分で祈る)
⑧ 讃 美 歌 476(あめなるよろこび)を歌いましょう(各自歌う)。
讃美歌21 476番
https://www.youtube.com/watch?v=zTtL9Mpw-m8
⑨ 説 教 「不思議な満腹」 北村慈郎牧師
祈 祷
- 今年は10月に教団総会が行われる年です。神奈川教区では2月に教区総会がありましたので、今回も教区総会で決議した教団総会議案として、私の戒規免職撤回議案と教団において聖餐論議の場を設定する議案を提出しました。ところが新型コロナウイリス感染の問題で教区総会は午前中で終えましたので、二つの議案は6月の教区総会で取り扱うことになりました。
- この二つの議案は、どちらも洗礼を受けた人だけではなく、誰でも希望すれば与ることのできる「開かれた聖餐式」に関係しています。私の戒規免職処分は、ご存知のように、前任地の紅葉坂教会で私が「開かれた聖餐式」を行ったことがその理由になっています。聖餐論議の場を設定する議案は、「開かれた聖餐式」を含めて、聖餐について1990年代半ばまでは日本基督教団の中でもその論議が行われていましたので、その論議を再開することが内容となっています。
- ご存知の方も多いと思いますが、このイエスの供食の物語はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書すべてに記されています。しかもマタイとマルコではほぼ同じ物語が2回出てきます。マタイによる福音書では今日のところの「五千人に食べ物を与える」箇所と、15章32節以下に「四千人に食べ物を与える」箇所です。
- それぞれの福音書の物語を比べて読んでみますと、微妙な違いがありますから、いろいろなバリエイションをもったイエスの供食の物語が、さまざま地域の教会に言い伝えられていたのでしょう。そういう意味では、初代教会では広くこのイエスの供食物語が受け入れられていたことを示しています。
- この物語が聖餐と関係するのは、「天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」(19節)という箇所です。これはマタイによる福音書26章26節以下の「主の晩餐」の中にあります、「イエスはパンを取り、讃美の祈りを唱えそれを裂き、弟子たちに与えながら言われた。・・・」と記されていますイエスの所作と全く同じです。
- 初代教会では、今の私たちのように礼拝の中で聖餐式だけが行われるのではなく、愛餐という食事の中で聖餐が行われたと思われます(コリントの信徒への手紙11章17節以下参照)。ですから、このイエスの供食の物語は、イエスと共に食卓を囲むことと聖餐とが一体となって行われていた初代教会の姿をよく示していると言えるでしょう。
- その5000人の供食物語を見てみたいと思います。
- 13節には、「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」と記されています。「イエスはこれを聞くと」と言われていますが、これは、バプテスマのヨハネがヘロデによって殺害されたことを聞いてということです(マタイ14:12)。ヨハネの再来と言われていたイエスは、自分にもヘロデの迫害が及ぶのを避けて、ひとり舟に乗って人里離れた対岸に逃れたと、マタイの記者は言いたかったのかも知れません。
- しかし、「群集はそのことを聞いて、方々の町から歩いて後を追って」、イエスが対岸に着く前に、そこに押し寄せていました。「イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」というのです。
- 日本語でも「憐れみ」は「人の苦しみや悲しみに、深く同情すること」を意味します。「イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て深く憐れんだ」というのですから、イエスは群衆ひとりひとりの苦しみや悲しみに心を動かされ、それをご自分の苦しみ、悲しみのように感じられたと言うのです。原語のギリシャ語(スプランクニゾマイ)は、「腸(はらわた)のちぎれる想いに駆られた」と訳される言葉です。
- 日本語にも中国の故事からとられた「断腸の思い」という言葉があります。「断腸の思い」の意味は「腸がちぎれるほど、悲しくて辛い思い。深い悲しみ」です。 「腸」は「はらわた。大腸と小腸」を、「断腸」は「はらわたが分断すること」を意味します。 とても悲しくて辛い心情を表す語です。 本当に腸がちぎれるわけではありませんが、それほどまでに辛くてきついことを表します。
- イエスは押し寄せてきた群衆を見て、「腸(はらわた)のちぎれる思いに駆られて」、その中の病人をいやされたのです。イエスは群集を追い払うことはしませんでした。群衆の一人一人の痛みや苦しみに共感されて、その中の病人を癒されたというのです。
- けれども弟子たちは違いました。群衆を追い払うことを考えていたのです。「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群集を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう』」と。
- この弟子の言動には、常識的には間違いは何もありません。夕暮れになって、このまま群衆を解散させなかったとすれば、皆お腹をすかせたまま夜を迎えなければならなくなるからです。弟子たちは、そうなることを避けようとして、イエスに群衆を解散させて、各自近くの村に行って食べ物を買わせようとしたのです。
- 弟子たちの判断は、現実的な判断でありました。またこの状況ではある意味で適切な判断だったと思われます。しかし、群衆を解散させるという弟子たちのイエスへの進言は、結果としてイエスと群集の間に入って、両者を引き裂くことになります。そして空腹のまま群衆をその場から立ち去らせることになります。言わば弟子たちの言動は、群衆一人一人の自己責任において、自分で村へ食べ物を買いに行かせるというものでした。
- この弟子たちの言動は、腸(はらわた)がちぎれる思いに駆られるほどに、群衆の一人一人の痛みや苦しみに共感されたイエスからすると、自分とは対照的な言動と思えたに違いありません。イエスにとって、人間として最も大切なことは、神を愛することと自分のように隣人を愛することでした。神の前における一人一人の尊厳をベースにした隣人との共生です。これはモーセの律法に示された神の定めでもありました。弟子たちの自己責任論は、それとは相いれない考え方でした。
- 群集を解散させてくださいと言う弟子たちに対して、イエスは、「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」(16節)と言われます。このイエスの言葉は、自己責任論によって自分の責任から逃れるのではなく、隣人との共生を貫きなさいと、弟子たちを教え諭しているかに思われます。弟子たちは予想外のイエスの言葉にびっくりしたに違いありません。とっさにでた弟子たちの応答は、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」でした(17節)。
- イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになりました。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。弟子たちはパンを群衆に与えました。するとすべての人が食べて満服しました。そして、残りが12の籠いっぱいになったというのです。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと(18~21節)言うのです。
- この物語は、「五つのパンと二匹の魚」という少しのものですが、それを一部の人で独占するのではなく、みんなで分かち合う時に、みんなが満腹になって、有り余るほどの余剰が生まれることを言い表しています。分かち合いという共生の豊かさを示している物語とも言えます。
- この物語は、元来は聖餐とは関係のない、群衆と食を共にされたイエスの奇跡物語の一つとして言い伝えられていたのかも知れません。一方聖餐は、洗礼と共にイエスにおいて示された神の命に、一つのパンを分かち合って食べ、一つの盃からぶどう酒を分かち合って飲むことによって与る儀式のような形で初代教会において生まれていたのかもしれません。
- この二つは、元来は別々の伝承だったのが、ある時合体して一つになって、イエスの5000人の供食物語として伝えられているとも考えられます。もしかしたら、このイエスの供食の物語は、最後の晩餐のようないわゆる弟子集団としての信仰者に限られた聖餐を、群集と食を共にされたイエスという日常の生活の中に開いて理解しようとしたのかも知れません。
- この5000人の供食の物語をそのように考えらえることが出来るとすれば、寿で行われています炊き出しも聖餐と通底しているのではないかというのもうなずけます。伝統的な聖餐理解の人には考えられないことかも知れません。しかし、今日のイエスの供食の物語は寿で行われている炊き出しと、ある物を分かち合って共に食べるという点ではほとんど変わらないからです。
- 先週のイースター礼拝で行われるはずでした聖餐式は、コロナのことで教会に集まる礼拝が出来ませんでしたので、ありませんでした。船越教会では聖餐式は船越教会独自の交読文形式の礼拝式文に従って行っています。皆さんもご存知のように、船越教会の聖餐式の礼拝式文の中には、こういう項目があります。
- ≪司会:「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子達に渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」(マルコ6:41)。/主イエスは弟子達に「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」(マルコ6:37)と言われました。パンとぶどう酒はまず飢え渇いている人々にこそ与えられるべきものです。そのために私達は貧困と飢えを無くすべく、政治的、社会的改革に目を向けるように主イエスから問われ、依頼されました。人間の生命を維持するために日々必要とする食物がある人々には欠けている不平等な社会はイエスの神の国にふさわしくありません。
一同:主イエスの招きにあずかることによって私達は「万人の命が尊ばれる社会、生命の維持を保障される社会」の形成に向かっていきたいと願うものです。どうか主よ、この私達の祈りと願いに祝福と導きを与えて下さい。≫
- この船越教会の礼拝式文では、私達が聖餐に与ることと、貧困や飢えを無くすために、私達が分かち合いによって「万人の命が尊ばれる社会、生命の維持を保障される社会」の形成に向かって行動することが連動しています。そしてどうかそのように私たちが生きることが出来るようにと、神に祈り願っています。
- 最後に以前にも紹介したことがありますが、金芝河の「飯は天」という詩を紹介して終わりたいと思います。
- 【飯は天です/天を独りではささえられぬように/飯は互いに分かち合って食べるもの/飯は天です。/天の星をともに見るように/飯はみんなで一緒に食べるもの/飯は天です/飯が口に入るとき/天を体に迎えます/飯は天です/ああ 飯は/みんなが互いに分かち合うもの】
- 祈ります。神さま、今日も教会に集まって礼拝をすることができませんでしたけれども、この週の一人一人の歩みの上にあなたの支えと導きをお祈りいたします。 アーメン
- ⑩ 讃 美 歌 198(二ひきのさかなと)を歌いましょう(各自歌う)。
- この一言の祈りを、イエスさまのお名前を通して祈ります。
- 御言葉を聞き、祈り、賛美する時を与えられ感謝いたします。新型コロナウイリス感染拡大の中で、仕事が出来ずに解雇される方々も生まれ、ますます格差が広がろうとしています。この時に当たり私たちの社会が一人も切り捨てないで、互いに分かち合って共に生きる社会となるように、私達にできることを為す力を与えて下さい。一刻でも早くコロナの問題が終息し、日常を取りも戻すことが出来ますように導いて下さい。困難の中にある方々を支えて下さい。
讃美歌21 198番
https://www.youtube.com/watch?v=lOyOypT7M38
⑪ 献 金
(後日教会の礼拝が再開したら捧げる)
⑫ 頌 栄 28(各自歌う)
讃美歌21 28番
https://www.youtube.com/watch?v=3l91WrdhoAo
⑬ 祝 祷
主イエスの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。 アーメン
⑭ 黙 祷(各自)
これで礼拝は終わります。