なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(74)

メール配信による自宅分散礼拝の3回目になります。

 

4月26日(日)復活節第3主日礼拝(通常10:30開始):

 

(注)讃美歌はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう(各自黙祷)。

 

② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から

解き放つ神」。     (詩編68:20-21)

 

③ 讃 美 歌  6(つくりぬしを賛美します)を歌いましょう(各自歌う)。

讃美歌21 6番 (つくりぬしを賛美します。)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-006.htm

 

⓸ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

 

⑤ 交 読 文   詩編145編1-9節(讃美歌交読詩編158頁)

        (当該箇所を黙読する) 

 

⑥ 聖  書  マタイによる福音書14章22-36節(新約28頁)

        (当該箇所を黙読する)

 

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

 

⑧ 讃 美 歌    57(ガリラヤの風かおる丘で)(各自歌う)。

讃美歌21 57番 (ガリラヤの風かおる丘で)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-057.htm

 

⑨ 説  教  「逆風に悩む者に」          北村慈郎牧師              

祈  祷

 

  • 今日の説教題は、今日のテキスト、マタイ福音書14章22節以下の、舟に乗っていて逆風のために波に悩まされていた弟子たちのところに、湖を歩いて行ったイエスの物語からつけたものです。
  •  
  • 「逆風に悩む者」と言えば、今、新型コロナウイリス感染拡大で翻弄されている私たちの姿でもあるのではないでしょうか。マタイ福音書の物語は、舟でガリラヤ湖の対岸に行こうとして、逆風に悩まされている弟子たちの姿を記しています。一生懸命舟を漕いでいるのですが、逆風が強いためになかなか前に進まないのです。漕いでも漕いでも舟は前に進まない。そういう状況では舟を漕ぐ人、その舟の中に乗り合わせている人は、不安でたまらないに違いありません。

 

  • この弟子たちの場合は、ガリラヤ湖でしばしば起こる山から吹き下ろす強風という自然現象が原因になっています。今私たちが世界的に直面しているのは、新型コロナウイリスという病原菌による感染症です。

 

  • さて今日のマタイによる福音書の記事とマルコによる福音書の並行記事を比べてみますと、いくつか違うところがあります。ひとつは、マタイによる福音書にあるペテロが水の上を歩いてイエスのところにいくところは、マルコによる福音書にはありません。もうひとつ、最後のところですが、マタイによる福音書では、舟の中にいる人たちは、「本当に、あなたは神の子です、と言ってイエスを拝んだ」(33節)とあります。けれどもマルコによる福音書では、「イエスが舟に乗り込まれると、風は静かに静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」(6:51,52)とあり、弟子たちの無理解が強調されています。マタイとマルコではこの物語の最後の弟子たちの描き方が、信仰告白と無理解というように反対になっています。

 

  • マタイにおけるペテロの記事の挿入からしますと、マタイのこの物語では、水の上を歩き、嵐を静める驚くべきイエスと共に、ペトロの信仰と不信仰がテーマとなっているように思われます。

 

  • まず、5000人の供食の物語に続けて、「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群集を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」(22,23節)というのです。

 

  • すると、向こう岸に向かってガリラヤ湖を渡ろうとして、弟子たちが乗っていた舟は、「逆風のために波に悩まされていた」(24節)のです。

 

  • ここには逆境にあえぐ弟子たちの姿が示されています。彼らは舟に乗ってガリラヤ湖を渡ろうとしますが、折から激しい風と波に襲われ、一晩中、夜の湖に翻弄されます。聖書の中では、荒れる海は人間に襲いかかる悪の力にしばしばたとえられます。暗い夜の闇は罪のシンボルです。

 

  • そんな中で、湖上を歩いて近づいてこられるイエスを見て、弟子たちは恐怖の声をあげます。主イエスは、意表を突くような予期せぬ仕方でわたしたちのところにこられるのです。驚いたペトロは、イエスご自身のもとへ行かせてくださいと願い、自らも湖上に踏み出します。

 

  • しかし強い風に気づき、我にかえり、恐れたペトロはたちまち沈みかけました。・・・イエスは、助けを求めるペトロに、すぐ手をさしのべられました。

 

  • ここには、イエスを信頼して湖上を歩くペトロと「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけた」(30節)ペトロの相反する二つの姿が描かれています。そして「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けて下さい』と叫」(30節)ぶペトロに「イエスはすぐに手を差し伸ばして捕らえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた」(31節)というのです。「そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった(32節)と。

 

  • このところをルツはこのように言っています。「マタイにとって重要なことはこうである。つまり、神の救助的な臨在(イエスの助け)は、嵐など襲って来たりしないことにあるのではなく、嵐の中で人はそれを知るのである。敢えて神に服従し、自分自身の保証から抜け出る者は、それを知るのである。神の助けは、信仰が輝かしくまた悠々と人生の嵐を否定することにあるのではない。信仰は、・・・大胆さと不安とが、主に聞き従うことと風を見ることとが、信頼と疑いとが入り混じったものなのである。それは、マタイによれば、キリスト教的実存の基本的特徴であり続ける。「疑い」が信仰に属することは、・・・マタイにとっては重要なことである。それは、マタイが疑いを信仰の必然的な本質的特徴と説明するということでも、また彼がそれを間違いであると決めつけているということでもない。明らかに、そのことのうちに、まさに信仰者が得る経験が、すなわち、主が自分の疑いを受け入れ、それを克服してくださるという経験が存するからである」と(下線筆者)。

 

  • ペトロはイエスに叱責されますが、それでも他の弟子たちがなしえなかったペトロの冒険的な一歩は、注目に値します。

 

  • 「神の救助的な臨在(イエスの助け)は、嵐など襲って来たりしないことにあるのではなく、嵐の中で人はそれを知るのである」。

 

  • この言葉を現代の状況の中で読むと、「新型コロナウイリス感染拡大は私たちが神に見捨てられたことを意味するわけではない。新型コロナウイリス感染という厳しい状況の中で私たちは神の助けを知る」。そのように読むことができるでしょう。だから、神を信じる者は、この困難に立ち向かっていくことができるのだということを見失ってはならないと思います。

 

  • 現在の状況の中で私たちが出来ることは、出来る限り人との接触を避けて生活することであり、病院関係者や、どうしても皆が生活していくために人との接触を避けられないスーパーの店員さんのような職業の人たちを気遣うことぐらいかもしれません。或いはこういう状況の中で力を発揮することのできる政治的指導者が適切な行動ができるようにエールを送ることもあるかもしれません。或いはこういう状況の中で孤立している人に声をかけ励ますこともできるかもしれません。この状況の中でイエスだったらどうされるだろうかと考えながらです。

 

  • ドイツの首相メルケルは政治的指導者として、世界的な新型コロナウイリス感染拡大の中でもその存在感を強めています。各国の政治的指導者の中でも圧倒的な支持をえています。東京新聞の時事川柳に「メルケルを 466億で 雇いたい」というのがありました(25日朝刊)。

 

  • インターネットで「コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文」を日本語訳で読みました。コロナウイルス対策としてさまざまな個人の行動を大幅に制限する厳しい措置が取られることになったため、3月18日にメルケル独首相が国民に理解と協力を求めた「親愛なるドイツにお住いの皆様」という呼びかけではじまっている演説です。この呼びかけからしますと、ドイツ人だけでなくドイツに滞在している外国人や移民の人も含まれていると思われます。今ドイツにいるすべての人へ呼び掛けているのです。

 

  • 通常の教会での礼拝では長くなりますから演説全文を紹介できませんが、メール配信による自宅分散礼拝ですので以下に全文を紹介します。少し長くなりますが、ご了解ください。

 

【 コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。

私は今日このような通常とは違った(TV演説という)方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。

開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。もし、ドイツにお住まいの皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。

事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような事態がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。

私はここで、現在のエピデミック(伝染病)の状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。

エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められてはいますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。

これが私たちのすべての行動の指針です。それは、研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。

ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。

しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えて(医療崩壊して)しまうことでしょう。

これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命も、どの人も重要とする共同体です。

私は、この機会にまず、医師として、または介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いているすべての方々に言葉を贈りたいと思います。あなた方は、私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。

今、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。

しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを、今、減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があるのです。今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。

連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であることを実感している私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。

経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。今後何週間かは、いっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。

また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されるということを信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。

ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同じ国に住む皆様のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

さて、今日、私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。

私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは、私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今、誰もが皆協力する必要があります。

まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。

私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。

こうした要求がどれだけ難しいことであるか、私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは、好意というものを身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在は、その逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染拡大を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。

多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰一人孤立させないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便はまだ配達されているのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。

皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による発表のみを信じてください。発表内容は多くの言語にも翻訳されます。

私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。

たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。

皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。】(下線筆者)

 

  • メルケルキリスト者であり、自分の信仰に基づいて政治家としての行動をしている人です。新型コロナウイリス感染拡大という厳しい状況の中で、何故こんなことになったのかと恨めしく思い、ただ嘆いているのではありません。この困難な現実を受け止め、一人一人の人間としての尊厳を大切にしてそれに立ち向かっているのです。メルケルに倣って、この逆風に悩む私たちですが、今イエスだったらどうされるかを問いつつ、自分のできることをしていきたいと願います。

 

  • 祈ります。 

神さま、今日も礼拝することが出来、ありがとうございます。 

あなたの助けは、「嵐など襲って来たりしないことにあるのではなく、嵐の中で人はそれを知る」ものです。この困難な状況の中でも、あなたの助けを信じ、この現実に立ち向かっていく力を与えて下さい。そして他者との連帯の中でこの苦境を乗り越えていくことができますようにお導き下さい。

ウイリスに感染してお亡くなりになった方々、その家族の方々を覚えてください。また医療従事者やこの時にもみんなの生活を支えるために働かなければならない人々を憶えて支えて下さい。 

新しい週の全ての人の歩みを支えてください。

この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン

 

⑩ 讃 美 歌  462(はてしも知れぬ)(各自歌う)。

讃美歌 462(はてしも知れぬ)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-462.htm

 

⑪ 献  金

(後日教会の礼拝が再開したら捧げる)

                     

⑫ 頌  栄  28(各自歌う)

讃美歌21 28番

https://www.youtube.com/watch?v=3l91WrdhoAo

 

⑬ 祝  祷

  主イエスの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

 

 これで礼拝は終わります。