なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(440)

船越通信、№440    2019年12月15日   北村慈郎

・   8日(日)も礼拝後残れる人でしばらくお茶を飲みながら懇談し、その後12月役員会を行いました。役員会の報告の一つを記しておきたいと思います。報告事項の中で船越教会は今年も年度報告を県庁に提出しました。この報告義務が生じるようになったのは、確かオーム真理教の地下鉄サリン事件が起こった後ではなかったかと思いますが、宗教法人法が改訂されてからです。県庁に年度報告として提出する書類は、幼稚園などのような他の事業をしていない宗教活動のみの教会は、代表役員・責任役員の名簿、過年度の会計報告、財産目録です。宗教法人法の改訂でこのような報告義務が生まれましたが、その時教団では京都教区だったと思いますが、この報告義務を拒否すべきだという意見が出て、実際に拒否し続けている教会が今でもあるのではないかと思います。この報告義務を拒否すべきだという教団総会議案が京都教区から出された時もあったように思います。この報告義務を拒否すると、教会は罰則金を払うことになり、拒否している教会はその罰則金を払い続けにているのではないかと思われます。何故拒否すべきであるかというその理由は、恐らく政教分離の原則に照らして、宗教法人の所轄官庁への報告義務は国家による宗教法人である教会への干渉になるのではないかという意見だと思われます。ある意味でもっともな意見だと思いますが、私は紅葉坂教会の牧師時代から船越教会でも、年度報告書を県庁に出すようにしてきています。教会も一つの宗教団体として団体組織を持っている限り、その組織的運営に関しては他の一般的な団体と同じではないかと思うことが、ひとつ。もう一つは、宗教法人として無税という税制の優遇を受けていることです。信仰上のことでの国家による干渉は抵抗すべきだと思います。

・   このことと多少関係がありますが、私は教団による戒規免職処分をその手続きが余りにも不当と思われたので裁判に訴えました。私が世俗的な司法に訴えたということ自身を批判する教会関係の人もいました。教会の問題は教会の中で解決すべきで、裁判に訴えることなどはもってのほかだという考えからだと思われます。しかし、宗教団体と言えども、その内部で人権侵害が行われることがあり得ます。その被害にあった人の救済がその宗教団体内部では不可能だったとすれば、司法に訴えてその救済を勝ち取る道もあり得るのではないでしょうか。私の場合の司法の判断は、ご存じのように「争訟に値しない」ということで却下でした。「争訟に値しない」ということは、私が訴えた案件は宗教教団内部の問題で司法が関与すべきものではないという判断です。私の裁判の時に、いろいろな方が知恵を出してくださって、憲法学者の中には政教分離を理由に司法が宗教団体内部の問題に立ち入らないことによって、その宗教団体の独善性にメスが入らない場合には、敢えて司法が判断を出すべき事例もあるのではないかという意見もあることを知りました。が、実際には司法は政教分離を理由に宗教教団の問題にはなかなか立ち入らないようです。そうしますと、自浄能力を持たない宗教教団で人権侵害を受けた人の救済はほとんど不可能ということになってしまします。私の場合は教団の決定を不当とする私を支持してくださる方も多くいますし、船越教会はもちろん、神奈川教区が教団の決定を不当として、私の戒規免職撤回を支持してくださり、かつ一教師としての処遇を他の教師とほぼ同じようにしてくださっていますので、教区と教会での通常の一教師としての活動に困ることはありません。この私の問題も政教分離と関係があり、その意味で、県庁への教会の年度報告書の提出の問題と少し重なるものがあるように思います。

・   この週も教会や教区に関係する委員会や集会はありませんでした。9日(月)午前中に私の出来上がった部分入れ歯を歯医者に行き、はめてもらいました。上の左側奥歯の部分になります。その他はほとんど自分の歯で、おかげさまで食べ物をかむことで不自由することはありません。11日(水)は、支援会の通信第24号1,500部が、前日運送会社の佐川急便に連絡して12時から14時の間に船越教会に届くようにお願いしていましたので、私は鶴巻を午前9時半ごろ出て船越教会に向かいました。通信第24号に同封する印刷物もあり、船越教会でその印刷をするためでもありました。12時半ごろ荷物が届き、午後1時過ぎには船越教会を出て鶴巻に帰りました。

・   12日(木)は連れ合いの腎内科の受診日で、予約の時間が12時半でした。その前に血液検査をしますので、午前11時過ぎにタクシーで東海大病院に行きました。診察は午後1時近くでした。医師は血液検査の結果を見ながら、体がしんどくないか連れ合いに聞いていました。抗がん剤治療を始めて1年3か月半になりますので、 体全体の免疫が低下しているではないかと思われます。そうなると、体がしんどくなりますので、身近な人に当たり散らす人も多いようです。連れ合いからは、当たり散らしている様子がないので、先生には彼女が前向きに感じられたようです。彼女は、「病気になって、周りの人がこんなにも自分のことを思ってくれるのか、感謝の気持ちでいっぱいです」と、先生に答えていました。診察を終え、午後1時が過ぎていましたので、病院の食堂で昼食をとり、薬局で薬をもらって、タクシーで帰りました。この日は5日の抗がん剤投与の影響もあって、連れ合いがまだふらつくと言うので、往復タクシーを使いました。

・   14日(土)郵便ポストにクリスマスカードに混ざって関田先生から2通の封書が届きました。一通は先月23日開催の「合同」50年集会での先生の説教原稿です。前に私が送ったものに手を入れて送り返してくれました。もう一通は、私の復権を願う手紙を石橋議長に出したという連絡でした。感謝。