なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(485)

半年振りに船越通信を出しました。

船越通信、№485    2021年10月3日   北村慈郎

  • 4月18日(日)に船越通信(484)を出してから、ずっとお休みしていましたが、新型コロナウイルス感染の終息ななかなか見えませんし、おそらく今後相当長期にわたって私たちは新型コロナウイルス感染と向かい合いながら生活していかなければならないと思われます。
  • 8月末に前立腺の3か月に一回の定期診察に秦野日赤に行きました。この日は診察の前に血液と尿の検査をしました。その検査の結果を見て、担当の医師は数値が前々回、前回と少しずつ下がって来たのに、今回はまた上がっているので、検査入院を考えましょうかと言われました。私がこの緊急事態宣言が終わってからでよろしいでしょうかと言いましたら、その担当医は、これからはウイズ・コロナで、新型コロナウイルス感染が終息することは当分ないですよと言われて、では検査入院は次回に考えましょうかと言ってくれました。ということで、医者も言っていますように、新型コロナウイルス感染症は、現在のように緊急事態宣言が出るような状況はある程度収まっても、インフルエンザと同じようにずっと付き合っていかざるを得ない病気のようです。
  • 船越教会は、7月18日(日)まで会堂での礼拝をして、7月25日(日)から9月26日(日)まで会堂での礼拝はお休みにしました。
  • 9月中私は、教区の常置委員会、私の支援会世話人・事務局会、オリエンテーション委員会、寿地区活動委員会と、4回Zoom会議に参加しました。寿地区活動委員会の場合は、一部の委員はなか伝道所に集まって、私を含めて数名の委員は自宅からZoomで委員会を行いました。私のようなパソコンを使いこなせていない者には、Zoom会議への参加もうまく出来たり、出来なかったりで、少し苦になる面はありますが、この新型コロナウイルス感染拡大状況を考えますと、このようなツールに頼らざるを得ませんので、何とか対応している次第です。
  • ですから、この二か月間、月一回血圧で定期的に診察に行く近所の内科と前立腺肥大で3か月に一回診察に行く秦野日赤に8月に一回出かけただけで、後は買い物か散歩に鶴巻周辺に出かけるだけで、ほとんど自宅マンションで過ごしました。9月後半は、支援会とオリエンテーション委員会の作業があり、そのために多少時間を使いました。後はほとんどロマ書の説教準備をしているだけですが、そのロマ書の説教がなかなか難産で、苦しんでいます。日曜日の朝までに何とか説教原稿を無理矢理まとめて、その日の礼拝式他とメール配信にこぎつけるという状態を、ほとんど毎週繰り返しています。土曜日夜は徹夜に近いことが多かったのですが、ここ2週間ほど、5~6時間は土曜日夜も寝ることができるようになっています。
  • さてコロナ対策、オリパラ開催と、多くの「国民」からの批判を浴びて、死に体であった菅内閣自民党が、総裁選によって息を吹き返しているように思われます。しかし、4人の総裁候補の政治信念や政策をテレビ討論などで聞く限り、近代の終焉による現代の世界の閉塞状況への認識もなく、将来を展望できる理念も政策もないままに、既存の自民党政治の枠組みを越えられないことが明白になったように思われます。結局岸田文雄さんが自民党の総裁になりましたが、自民党の役員人事を見る限り、派閥の論理に囚われていますし、改革への意欲は全く感じられません。菅内閣の不支持により、野党への期待感が多少高まったのが、自民党総裁選によって嘘のよう引いてしまっています。格差や差別のない、みんなが生きやすい社会をつくるのが政治の役割だと思うのですが、利権が絡みついた資本家の方に顔を向けた自民党政治からは、政治本来の役割を期待するのは無理というものでしょう。下記に紹介している『人新生の「資本論」』の著者斎藤幸平は、テレビBSの夜のあるニュース番組で、1億円の収入がある人からは90%税金をとっても、1千万円あれば一年間生活するのに困らないと思うので、そういう政策を訴える政治家がいてもおかしくないと思うが、そういう人はほとんどいないという主旨の発言をしていたのが、印象深かったので覚えています。経済活動を含めて、相互互助という共同体をベースにした市民社会の形成に、政治が仕える形が理想の社会だと思いますが、疑似的な豊かさへの誘いを武器に大量生産・大老消費を目論んできた資本と政治権力の結託から、なかなか自由になれないのが私たちの現実です。そろそろその桎梏から解き放たれたいと思います。
  • 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑨

▼斎藤は「経済成長」はグローバル・サウスの人々には必要であることを認めている。「ただし、はじめにひとつ確認しておこう。電力や安全な水を利用できない、教育が受けられない、食べ物さえ十分にない、そういった人々は世界に何十億人もいる。こうした人々にとって、経済成長はもちろん必要だということである」。しかし先進国を含めて世界の国々がこのまま経済成長を続ければ、環境破壊による地球の滅亡は避けられない。「私たちが、環境危機の時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは、時間稼ぎはできても、地球はひとつしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。/今のところは、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。だが、この先、このままの生活を続ければ、グローバルな環境危機がさらに悪化する。その暁には、トップ1%の超富裕層にしか今のような生活は保障されないだろう」。「だから、グローバルな公正さというのは、抽象的で、偽善的な人道主義ではない。他者を切り捨てる前に、他者の立場に立ち、明日は我が身だということを想像してほしい。最終的に自分自身が生き延びるためにも、より公正で、持続可能な社会を志向する必要があるのだ。それが、最終的には人類全体の生存も高めることになる。/それゆえ、生存の鍵となるのは、「平等」である」。平等・公正さは資本主義においては不可能であることを斎藤は認めている。(続く)