なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(501)

船越通信、№501 2022年1月30日(日)北村慈郎

・ 23日(日)もメール配信による自宅分散礼拝でした。会堂で礼拝が行なわれる日曜日の説教は、最近は土曜日の夜には一応完成させて、土曜日の夜は5時間以上睡眠を取るようにしていました。そうでないと、年を取ったせいか、寝不足で講壇に立ちますと、声に力がなくなってかすれがちになるからです。土曜日の夜に睡眠を十分とりますと、日曜日の礼拝説教も声を楽に出して語ることができます。若い時は土曜日の夜はほとんど徹夜に近かったのですが、それでも説教の自分の声に影響があると感じたことはありませんでした。ところが最近になって、土曜日夜寝不足で過ごすと、日曜日の説教を語る自分の声がスムーズに出ていないことに気づき、できるだけ土曜日夜は寝るようにしていたのです。ところが、またメール配信による自宅分散礼拝になって、自宅にいる時間が十分ありますので、説教準備には相当時間を掛けているのですが、説教が完成するのが日曜日の朝に戻ってしまいました。23日(日)のメール配信も6時45分ごろになってしまいました。23日はメール配信後、ひと眠りして、午前10時半ごろに独りで礼拝を守りました。

  • 予想通りオミクロン株の新型コロナウイルスの感染が急拡大しています。蔓延防止措置にもなっていますので、教区の集会や委員会もリモートになっていますが、27日(木)午後6時半からなか伝道で行なわれた寿地区活動委員会には、一人リモート参加の人もいましたが、私もなか伝道所に行って、対面での委員会に参加しました。私は千賀が病気になってから、年末年始の寿の越冬には参加していません。今年は、今まで寿の越冬活動を準備段階から担ってくださっている方の中に、お亡くなりになった方や病気の方がいて、今までのように越冬活動ができるのか心配していましたが、この委員会での報告によれば、何とか最後まで行うことができたようで安心しました。以前の寿の越冬では、越冬期間だけ大きなプレハブを寿公園に2棟建てて、そこに住むところのない人に宿泊してもらっていましたが、その頃の越冬と比べると、最近の越冬は市が用意した自立支援センターはまかぜやドヤの部屋に泊まってもらうようになっていて、寿公園には実行委員会のテントだけが設置されています。現在ホームレスの支援が寄せ場だけではなく、様々な地域に広がっていることもあり、寿では今年の越冬で市が用意した宿泊場所に泊まった人が、思ったより少なかったようです。ただ今年は年末年始新型コロナウイルス感染が抑えられていたこともあり、去年の越冬のボランティアの参加数を大幅に越えて、多くのボランティアの参加があったということです。状況の変化に伴って、寄せ場寿での支援活動の在り方が問い直されているのかも知れません。今回の委員会では、第2回委員会内学習会として長年「ろばの家」に関わってこられたIさんに発題してもらいました。ろばの家は最初期の寿地区センターでの精神障がい者の憩いの場から発展して、作業所やグループホームを形成し、NPO法人として活動しているのですが、Iさんはその設立の段階から関わっている方です。今はろばの家の働きからは退いていますが、レジュメ【ろばの家と私 ①ろばの家のはじまり、寿地区センター(ろばの家)開所の前の一年、②市民の活動による精神障がい者の憩いの場「ろばの家」の開設、③ナイトケアからグループホームへ、④法人化への模索→NPO法人化、⑤障がい者地域作業所から、障がい者活動支援センター、就労継続支援B型へ、⑥「ろばの家」の活動から見えてきたもの】に従って、丁寧に話してくださいました。この委員会内学習会は、私が委員長の時に寿地区センターの主事が交代しましたので、寿地区センターの歴史やセンターから派生した「ろばの家」や「カラバオの会」、また医療従事者の委員の方には、医療の面からの現在の寿地区の状況、そして寿地位センターの宣教師としての働きを通して感じていることなどを委員のそれぞれから発題してもらい、新しい地区センターの主事と共にこれからの地区センターの課題を模索するために提案して行っているものです。新型コロナウイルス感染拡大により、本来ならば本年3月までにはこの委員会内学習会は終わる予定でしたが、まだ前主事のMさんとIさんの発題が終わっただけです。この日委員会は午後9時に終了し、私が鶴巻に帰ったのは午後10時半ごろでした。

★ 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑳

・ 「気候危機の将来予測が悲観的になってしまうのは、問題の巨大さのせいだ。自分ひとりではなにも変えられない。かといって、状況を大きく変える力を持っている政治家、官僚、ビジネス・エリートたちは、気候危機への対処を訴える人々の声に耳を傾けようとしない。だから、政治レベルでいきなりなにかを変えるような希望を見出すことは難しい。こうして、人々は絶望してしまう。だが、もしここで絶望して諦めてしまえば、待っているのは、「野蛮状態」である。今、それでも人々が当事者として、能動的になんらかの具体的アクションを起こせる場が残っているとすれば、それは生産の次元だろう。だから、変革に向けたはじめての一歩は、そこから始めるしかない」。斎藤はこのように述べた後デトロイトコペンハーゲンでの試みを紹介している。「デトロイトに蒔かれた小さな種」としての「都市農業」である。「この都市農業によって、荒廃した街に、徐々に緑の風景が戻ってきた。だが、それ以上に重要なこととして、治安が悪くなっていたせいで、疎遠になっていたコミュニティ・メンバーの絆がもう一度生まれてきたのだ。野菜の栽培、ローカルマーケットでの販売、地元のレストランへの食材提供といった形で、住民のネットワークが再構築されていったという。もちろん、新鮮な野菜へのアクセスは、住民の健康維持にも貢献する。こうした運動は、世界的に広がっている、例えば、2019年にデンマークコペンハーゲンは、誰もが無料で食べてよい、「公共の果樹」を市内に植えることを決めた。今後、市全体が都市果樹園(エディブル・シティ)になるのだ。これは、現代版入会地であり、「コモンズの復権」といっていい。資本主義の論理とは相容れない、ラディカルな潤沢さがここにある」と言うのである。「都市農業」や「都市果樹園」は面白い試である。(続く)