なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(526)

船越通信、№526 2022年7月31日(日)北村慈郎

 

  • 24日(日)は礼拝後、「ウクライナに平和を!」スタンディングを田浦駅前で行う予定でしたが、コロナ感染拡大とこの日は大変暑い日でしたので、急遽中止することにしました。8月も中止し、9月から再開することにしました。そこで次週31日(日)礼拝後に予定しています平和と人権を考えるDVD鑑賞会の準備を何人かを行いました。いつもDVD鑑賞会では、この4月から松山に行かれたMさんが準備してくださっていましたが、Mさんがいませんので、Nさんを中心に残った人で映像と音声がでるようにセットを試みました。色々試みてみましたが、なかなかつながりません。そこで松山のMさんに電話でその方法を伺いました。Mさんとの電話中にはつながらず、切ってから何とか映像も音声も再生することができました。Hさんがその旨Mさんにも電話で報告してくれました。DVD鑑賞会の準備ができましたので、その後散会しました。
  • この日私は午後4時から蒔田教会で、教区の2022年度の第一回オリエンテーション(神奈川教区形成基本方針について)があり、そのまましばらく牧師館で休んでいました。午後2時半過ぎに蒔田教会に出かけました。午後3時45分ごろ蒔田教会に着き、会場の礼拝堂の受付テーブルにその日の資料を置いて、礼拝堂で開会の午後4時までしばらく待ちました。この日はコロナ感染の急拡大中でしたが、予定通り対面の集まりにしました。出席予定者の一人の方からは、教会の中に濃厚接触者がいたので、オリエンテーションは欠席しますという連絡がありました。また連絡はありませんでしたが、出席予定者のうち2名は欠席でした。オリエンテーション対象者、委員、講師総勢15名での集まりでした。教区議長の蒔田教会の古谷正仁牧師が講師でした。古谷牧師は、ヘボンやバラによる日本宣教からの「関係年表」に基づき講演をしてくれました。そして最後に「心すべきこと」として以下の点に触れて講演を終えました。「・この教区が様々な困難な状況の中で重ねてきた20数年(1970年~1994年)の歩みを踏まえること。・その中で新しい展望を望むこと。・未解決で継続的に問われ続けている諸問題を忘れ去ったり、切り捨てたりしないこと。(その一つが、(按手・准允式前に必ず行う)「今回の教師試験は、神奈川教区から見て不当とまでは言えない」(という)議決)。ここには「2種教職制の問題」「教師とは何か」「教師を生み出すとはどの様なことか」などの問題(課題)が広がっている。・問題が新しい状況の中でどのような展開をうながすかを探り求めること。・上記の事柄を誠実に取り組むことの中で、日本基督教団が真の意味で合同教会になることに貢献することが出来ると信じる。この教団の負の遺産を真摯にみつめながら、真の合同教会に成長して行くためにも、教区形成基本方針を今後も大切にしたい。」と言われました。質疑の後、参加者全員から一言ずつ発言をしてもらって、午後6時半にこの集いを終えました。その後オリエンテーション委員に残ってもらい、第2回「合同のとらえなおし」(本年11月開催)、第3回「教師検定問題」(来年2月開催)の発題者の確認をして散会しました。私はその後入れ歯を置き忘れた船越教会の戻ってから午後9時半過ぎに鶴巻のマンションに帰りました。
  • 25日(月)10時から「沖縄から米軍基地鉄橋を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」(”もとすす”)の事務局会をZoomで開催し、私も参加しました。懸案の”もとすす”の全国集会を10月末から11月初めごろに、Zoomで開催する計画を最終的に確認し、私が二人の発言者に連絡を取ることになりました。その内の一人の方は文章での発言です。その上で世話人会を開き、Zoomの全国集会の開催にもっていくことになりました。Zoomの事務局会が終わってから、私は連絡を取る二人の発言者の方に、後日私の方からお電話するからとお断りして、それぞれに手紙を書いてこちらの意図を説明しお願いしました。
  • 28日(木)は午前11時40分過ぎの小田急鶴巻温泉駅発車の快速急行に乗り、代々木上原で地下鉄千代田線に乗り換えて、国会議事堂前で降り、地上に出たところが首相官邸前の交差点で、官邸とはちょうど道路を隔てた斜向かいです。この日は官邸の真向いの交差点では日の丸の旗を掲げたグループが4~5名で、一人の人がマイクを握って日本の主権と自主防衛の必要を、そう激しくはなくとくとくと語っていました。時々この時間帯に見かけるグループです。その同じ場所で、午後4時ごろになると、土砂投入に反対する沖縄出身の女性のグループが辺野古への抗議行動をしています。この官邸前の交差点の場所は、日差しを遮るものがなく、直射日光をまともに受け続えなければなりません。この日参議員会館前での私たちの座り込みを終えて、二人で国会議事堂前駅に帰ってきましたが、すでに終わっていたのか、この日は避けたのか分かりませんが、上記の沖縄出身の女性たちの抗議行動はありませんでした。この日鶴巻のマンションには午後5時半過ぎに帰りました。
  • その後午後6時半からは寿地区活動委員会があり、私はZoomで参加しました。こ日の委員会では、通常の議事の他に委員会内学習会がありました。2012年以来韓国長老教会の宣教師として寿地区センターで働いているCさんの発題がありました。Cさんは約10年間の活動を通して、寿に匿名のキリスト者の存在を見出すというか、伝統的なキリスト教理解・教会理解を超えた新しいキリスト教理解・教会理解に至ったこと。教区の教会や信徒を寿の働きに巻き込むことが必要なこと。特に寿の人達の住空間を、少なくともトイレ、風呂があり、炊事が自室でできる個室の確保などにつて語られました。寿ではドヤに住んでいる人がほとんどです。そのドヤの個室は炊事場もトイレも風呂もないところがほとんどだと思います。私も以前からドヤがプライバシーが守られる個室と他の住人と談話ができるスペースのある場所のあるアパートのようなものになったらと思っていました。
  • 29日(金)午後7時半から支援会の世話人・事務局会がありました。この日ちょうど臨時常議員会があり、9月末の教団総会開催について話し合い、その結果対面による教団総会の可能性を探るが、8月末にもう一度臨時常議員会を開催し、そこで最終決定になったようです。支援会もそれにどう対応するかを話し合いました。