なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(530)

船越通信、№530 2022年8月28日(日)北村慈郎

 

  • 21日(日)は礼拝後、コロナ感染者や濃厚接触者が教会員にも出ているので、今後の礼拝について、礼拝参加者で話し合いましたが、結論的には、礼拝は継続していくこと、体調不良の人は絶対に無理せず自主的に休むことなどを確認しました。教会までの往復で一番長時間なのは、現在の礼拝参加者の中では私になりますので、礼拝の継続が私に負担をかけることになるのでは、と心配してくださった方もいましたが、今のところ教会と自宅との往復で不安に感じることはありませんので、もし万が一私がコロナ感染者になるか濃厚接触者になった場合には、遠慮なく礼拝の休むことを確認して、礼拝を継続していくことにしました。この日も皆さんが散会した後、後片付けをして、12時28分の追浜行きのバスに、バス停梅田から乗って鶴巻に帰りました。
  • このところ日曜日は、鶴巻に帰りますと、居間のテーブルのいつも座る背もたれのある椅子に座って、夕方までは(場合によっては寝るまで)熱心に観ているわけではありませんが、テレビを観ています。土曜日夜の睡眠時間が説教準備のためにいつもより短めなことと、土曜日から日曜日にかけて鶴巻と船越教会を往復する時間が4時間かかることもあり、日曜日鶴巻に帰ると、どっと疲れが出るのかもしれません。その点では少し齢を感じてきました。日曜日の夕飯はこのところ早めに娘が準備してくれますので、私が作ることはありません。娘は夕飯を一緒に食べてから、横浜に帰ります。日曜日午後4時からのBSのテレビ番組に「ビフォーアフター」という、老朽化した家の建て替えの番組があります。司会は所ジョージです。これがなかなか面白くて、ほとんど毎日曜日観ています。立て替えする家の家主のニーズに沿った匠(建築家)が選ばれるのだと思いますが、毎回家主の期待以上の改築が行われ、感動させられます。
  • 22日(月)に関田先生から書籍用のレターパックが届き、『富阪キリスト教センター紀要 第11号』を送っていただきました。前回の船越通信に書きましたように、この紀要に記されています、大泉教会の礼拝参加者全員の聖餐授与が明記されています教会規則が1982年に教団に申請され、教団から受領・許可されたという横田幸子さんの発言録を、今後の支援会での私の戒規免職撤回の運動にどう生かせるかを考えるために、私の手元に持っておきたかったからです。先生にはお手数をおかけしました。ちょうどそのお礼の手紙を添えて、先生には、船越教会の教会だより「船越の丘から」第19号(関田先生のペンテコステ礼拝説教が掲載されている)と最近の週報を送らせていただきました。
  • 先生から送っていただいたレターパックすの中には、上記「紀要」と共に、8月6日に保土谷の英連邦戦死者墓地で行われた追悼礼拝でメッセージを語る先生の毎日新聞の記事のコピーと、その時に先生が語られたメッセージが、「小生は色々と弱さを抱えておりますが、まだまだ用いられることを信じ、動き続けて参ります」との私信と共に入っていました。下記に先生の語られたメッセージを転載させていただきます。
  • 【第28回戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞  関田寛雄(日本基督教団牧師)、聖書箇所:マタイ福音書5章9節 「平和をつくり出す者として」

 この度ここに第28回英連邦戦没捕虜追悼礼拝を捧げることができたことを何よりも主なる神に感謝いたします。/この時に当たり、三つのことを述べることにいたします。/まず第一に、1941年12月に始まり1945年8月に日本国の全面降伏による終戦に至る間、太平洋沿岸諸国の人びと泰緬鉄道工事に駆り出された捕虜の方々に対する日本軍の残虐な取り扱いについて、日本人として心より謝罪致します。そしてここに眠る1800余名の勇士たちの霊の上にまたその家族の方々の上に天来の慰めが豊かにあることを祈ります。あの国際条約を無視した日本政府の行ったような戦争は二度とあってはならないものです。私たちは私たちの平和憲法とともに不戦と共生の誓いを新たにするものであります。/第二に申し上げたいことは、現在進行中のロシア軍によるウクライナ侵略についてであります。現在ロシアが有無を言わせぬ形でウクライナで進めている侵略行為は15年戦争中の日本軍の行ってきた行為とそっくりであり、国際間の信義を裏切る暴挙であり、即刻停止しなければなりません。ただ単にウクライナに新鋭武器を送り込むのでなく、中立的諸外国を介して停戦をもたらす註解の努力をすべきであります。日本政府はアメリカの要請もあってメンバーではないのに、NATOに参加しようとしています。これは日本国としてまことに不適切な行為であるのみならず、自らの憲法の精神にも悖るものであります。日本政府としましては、大国間における新鋭武器製造の競争によって、対立と憎悪を深めるような流れにくみすることなく、相互の国が抱えている貧困や差別の問題に協力し合う、共生の文化を生み出す努力をすべきでありましょう。/最後に申し上げたいことは、人類史における最初の原子爆弾被爆国として、国連において圧倒的多数で採択された「核兵器禁止条約」に、日本政府が正式に加盟国となるように

強く要請いたします。日本政府はアメリカの核兵器による防衛という前提のために、いまだに禁止条約に加盟しようと致しません。私たちはかつてオバマ大統領が広島」において「世界で初めて核兵器を使用したことについて、道義的責任を感じている」と発言されたことを、ぜひ心強く受け止めて記憶にとどめましょう。この際アメリカへの核による依存関係から自由になって、最初の被爆国の面目にかけてぜひとも、「核兵器禁止条約」に正式に加盟することを日本政府に強く要望致します。/そのことがここに眠りたたもう1800の勇士たちの祈りと叫びに応えることであると信じて疑いません。/皆さんと一緒に聖フランシスコの「平和の祈り」を唱和いたしましょう。

聖フランシスコの平和の祈り:主よ、わたしを平和の器とならせてください。/憎しみがあるところに愛を、/争いがあるところに赦しを、/分裂があるところに一致を、/疑いのあるところに信仰を、/誤りがあるところに真理を、/絶望があるところに希望を、/闇あるところに光を、/悲しみあるところに喜びを。/ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。/理解されるよりも理解する者に、/愛されるよりも愛する者に。/それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、/許すことによって赦され、/自分のからだをささげて死ぬことによって/  とこしえの命を得ることができるからです。】