なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(539)

船越通信、№539 2022年11月6日(日)北村慈郎

 

  • 10月28日(金)夜9時ごろ鶴巻を出て、私は船越教会に行きした。京急田浦駅から教会まで歩いて行きましたが、何時ものように途中のファミリーマートで食料を買い込んで船越教会には午後11時ごろ着きました。翌日の29日(土)午前中に、教区のオリエンテーション委員会が印刷会社に発注した印刷物が船越教会に来ることになっていたからです。その印刷物とは、かつて教団が教師委員会と教師検定委員会と信仰職制委員会の三委員会で連絡会をつくり、教師検定問題について論議したその報告書があるのですが、それが絶版になっていますので、その『三委員会連絡会報告書Ⅰ~Ⅵ』に関係資料を加えたものを、一冊の冊子したものです。元々の紙資料をPDFにして、編集をして、冊子にしてくれたのは、大変な作業ですが、オリエンテーション委員の翠ヶ丘教会のI牧師です。現在私が委員長をしています教区のオリエンテーション委員会は、教区の教会・伝道所に赴任した、神奈川教区にとっては新任教師になりますが、主にその新任教師を対象にした戦責告白以降の万博・東神大問題、教師検定試験問題、合同のとらえなおし、聖餐問題などのオリエンテーションをしている委員会です。今回冊子にしたのは、教師検定試験問題のための資料として用いるためです。その冊子を運送会社から受け取るために、いつもより一日早く船越教会に来たのですが、その冊子を運動会社が運んで来たのは、午後3時ごろでした。この日、午前11時ごろNさんが教会のお掃除に来てくれて、午後1時半ごろ帰って行かれました。
  • 30日(日)は礼拝後の報告で、29日(土)午前中に横須賀市九条の会主催で開かれた、憲法カフェ「ウクライナ取材からみえた憲法9条」での講演(講師:ジャーナリスト志葉玲)を、出席されたK・Nさんに報告してもらいました。戦争の非人間的な実態、また、現在のウクライナにおけるロシアの軍事侵攻も、以前アメリカによって行われたイラク戦争も、主権侵害による侵略であるという点では同じであることを見失ってはならないなどの報告がありまし。その後、有志により11月6日(日)の永眠者記念礼拝のための準備をしました。この日礼拝に出席したMさんには、折りたたみテーブルを講壇のところに持ってきてもらいました。そのテーブルにクロスを敷いて、主にHさんとTさんにしまってあった永眠者の写真を並べてもらいました。その後散会し、私はしばらく作業をして、午後2時8分のバス停梅田からバスに乗って、追浜に出て鶴巻に帰りました。
  • この週は5日(土)10:30から蒔田教会で教区の宣教方策会議があり、そこに出席するだけで、後はずっと鶴巻にいました。この週も前半は、11月6日(日)夜にZoomオンラインで行なう「求め、すすめる連絡会」の全国集会(69年「合同」再考!)の発題の準備に時間を使いました。水曜日には、その準備もほぼ終わりました。沖縄教区から出ている資料を読んでいて、はっと思わされたのは、『第二世代牧師懇談会会議録』の中にあった、この会に招かれて発言しておられるバプテスト教会牧師の饒平名長秀さんの言われていることです。その部分を下記に引用します。
  • 「前回ですかね、皆さんの前回の記録だけを頂いたので、ずっとそれを繰り返し読んで、信仰告白共同体としての公同教会です。ということも言っているのに、読んでいて、その中でね、大城実さんが、ちょっと興味深いことを言っているんですね。これからどういうふうにしていけばいいのか?と、どういうふうに我々は進んでいけばいいのか?というふうなことを発言しているところがあったと思うんです。小さな共同体ですね、小さな交わり、小さなグループというふうなものをドンドン作っていく、そこから始めるのがこれから歩んでいく道じゃあないかなーというふうなことを、どこかでおっしゃっているんですね。大城さんはどういうふうな意味でおっしゃっていたのか、それ以上の深いことはおっしゃっていないんですけれども、その言葉にちょっと私は惹かれたんですね。教会というのは。私はある意味では神の国のひな型だと思うんですね、ある意味でですね。教会は神の国ではない、しかしやはり神の国を目指していて、これは多分いつ果てるともない働きかも知れませんけれど、目標としてはですねそういう共同体ですね。それが目指されていくとですね、神の国の形になっていくという、そういう小さな共同体が沢山出来る。沢山できて、その共同体のまさに共同体同士の連盟というんでしょうか、全体の組織ですね。そこには支配関係もないし搾取関係もないです。草の根的ですね、ドンドン広がっていくと。ですから勿論そこに経済も入っているわけで、相互扶助的に経済も入っているわけで、そこからやがて現在ある国家というものを無化していく、弱くしていく、国家体制というものは、ある意味で支配の組織ですから、こういうものは暴力組織ですからこれを無化していくと。それから経済の資本主義を無化していくというね、資本主義を無化していくという、そういうふうに組織がドンドンその小さな群れが皆一つになっていく、小から中、中から大というふうなのが、あるいはあるかも知れませんけれど少なくともそこには権力は存在しない、支配、被支配、搾取、被搾取の関係はないと、差別、被差別もない、そういう世界です。だから最終的には国家もなくなるし資本主義もなくなる。それが私の教会だと思っています」(『会議録』173-174頁)。
  • この饒平名さんが語っているこれからの教会のイメージは、私は大変重要な問題提起だと思っています。
  • 3日(木)は文化の日で祝日でしたので、国会前の座り込みはお休みでした。
  • 5日(土)は、朝8時過ぎに鶴巻を出て、午前10時半から始まる教区の宣教方策会議に、相模大野回り湘南台下車、地下鉄に乗り換えて蒔田に行くコースで行きました。このところ私は朝食を午前10時頃とっていますので、湘南台箱根そばで朝食のつもりで舞茸と鳥てんぷらのそばを食べました。午前10時半から蒔田教会で始まった宣教方策会議は、来年度の教区活動基本方策案および活動計画案と各地区、各部委員会の2023年度計画案・予算案についての意見交換の会です。そこで出た意見を参考にしながら、最終的には宣教部委員会がまとめて常置委員会に諮り、常置委員会が承認したものが教区総会の議案になるのです。今回は、安倍元首相の事件以来の状況を踏まえて、「今後、旧統一協会問題に、教区が一丸となって取り組む必要がある」との、旧統一協会対策委員会からの意見表明が際立っていました。