なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

4月16日(日)礼拝式と船越通信562

4月16日(日)の船越教会の礼拝説教は、生前関田寛雄牧師が川崎戸手教会の礼拝でした説教をユーチューブ視聴しました。その日の礼拝式は下記の通りです。

 

4月16(日)復活節第2主日礼拝(10:30開始)

 

(注)讃美歌奏楽はインターネットで平井さんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しま

しょう(各自黙祷)。

② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から

解き放つ神」。     (詩編68:20-21)

③ 讃美歌  205(今日は光が)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-205.htm

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編145編1-13節(讃美歌交読文158頁)

       (当該箇所を黙読する)

⑥ 聖  書  マルコによる福音書12章18-27節(新約86頁)

        (当該箇所を黙読する)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌   575(球根の中には)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-575.htm

⑨ 説  教  「復活の時」     関田寛雄牧師(ユーチューブ) 

  祈  祷

川崎戸手教会礼拝説教「復活の時」関田寛雄牧師(2017年11月12日)

を検索しますと、ユーチューブ視聴ができます。

 

⑩     342(神の霊よ、今くだり)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-342.htm

⑭ 献  金 

⑮ 頌  栄  28           

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑯ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

 

 

船越通信、№562 2023年4月16日(日)北村慈郎

  • 9日(日)はイースターで、礼拝ではコロナ感染拡大で控えていた聖餐式を3年ぶりに執り行うことができました。久しぶりの方の出席もあり、18名で礼拝を行いました。礼拝後出席者にはお菓子とお茶が配られて、しばらく互いに言葉を交わし、散会する者は散会しましたが、集会室に残った方々は、昔に戻っていろいろな話に花が咲きました。午後1時半ごろ皆が帰りましたので、私も後片付けをしてから鶴巻に帰りました。
  • 10日(月)は2023年船越教会定期教会総会資料を遠方の方々に郵送しました。また、教区のオリエンテーション委員会の2022年度報告をまとめて教区主事のI牧師にメールで送りました。I牧師から返信のメールがあり、オリエンテーション委員会の報告が教区に諸委員会の中で最初でしたとありました。
  • ここ2週間で2冊の新書本を読みました。一冊は斎藤幸平の『ゼロからの『資本論』』(2023年、NHK出版)です。もう一冊は成田悠輔『22世紀の民主主義』(2022年、SB新書)です。後者は私にはよく分からない所もありますが、現在行われているような選挙による民意の把握ではなく、様々な人々の情報発信からAI技術によって民意を把握し、それを政治に反映させるという考えのようです。技術革新によって選挙の在り方も根本的に変わってしかるべきではないかという考えではないかと思われます。前者は、『人新生の資本論』と基本的には同じで、マルクスの『資本論』には資本主義に代わる新しい社会が構想されているということです。しかもかつてのようなスターリンソビエト・ロシアや現在の中国のような一党独裁による党主導の政治体制ではなく、みんなで作り上げる「コモン」がベースの社会が構想されているのではないかと思います。斎藤幸平に言わせると、マルクスは晩年自然環境と共同体の問題に取り組んでいて、その膨大なメモを含めた資料が公刊されて、晩年のマルクスが考えていたことが明らかになりつつあると言うのです。もしマルクスが、みんなで作り上げる「コモン」がベースの社会を構想していたとするならば、マルクスユダヤ人ですから、世界の様々な共同体研究と共にイスラエルの契約共同体についても考えていたのではないかと、私には思われます。古代イスラエル契約共同体は自営農民が主体となったヤーウエ信仰に基づく契約共同体だったと思われます。女性と子供、そして使用人には契約共同体の構成員の資格はなく、彼ら・彼女らは自営農民の財産として自営農民に包含されていたと思われます。ですから、古代イスラエルの契約共同体はすべての人に基本的人権が認められた社会ではありませんが、現代で言えば、市民社会の上に政治権力としての国家権力のようなものはなかったと思われます。古代イスラエルで契約共同体の中に国家権力ができるのは王国時代になってからです。私は、そういう意味でモーセによる出エジプトからサウル王が出てくるまでの古代イスラエルの契約共同体が実際にどのように歴史を生きたのかに興味関心がありました。しかも新約時代では教会を新しいイスラエルと把えて、教会を契約共同体としてみる見方もあります。マルクスがみんなで作り上げる「コモン」をベースにした社会を構想していたとするなら、その社会と契約共同体としての教会が通底しているように思えるのです。教会という契約共同体は信仰の対象で終末論的な出来事ですか、マルクスの構想した社会は歴史的・現実的社会であるという違いはあるとしても、です。
  • 12(水)は昼過ぎに鶴巻から船越教会に行き、15日(土)開催の支援会総会資料の印刷をして、この日午後6時から大和でありました県央共闘会義に基地小の代表として出席し、午後8時過ぎに鶴巻に帰ってきました。13日(木)は国会前辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日は韓国の報道関係の方が私たちの座り込みで道路の壁に貼ってある横断幕やプラカードを見て、話しかけて来ました。その方も辺野古に行っていて、2004年ころに辺野古の海に建てられた櫓に反対者がへばりついて闘争したことも知っていました。座り込みの仲間の一人が、私がプロテスタントの教会の牧師だとその人に紹介しましたら、彼は既に帰天されていますが、沖縄の集団自決の証言者でもあった金城重明牧師のことを私に話してきました。現在は南西諸島の日本の自衛隊の基地強化の取材もしているようで、近い内に石垣と与那国に取材に行く予定だが、石垣に誰か知っている人がいないかと言われました。私は一人いましたので、後日その人の了解を取って連絡する約束をして別れました。彼は韓国も日本もアメリカを後ろ盾にした軍事力の強化によって中国や北朝鮮と対峙する危険性を語り、軍事力によらないで相互理解を積み重ねていく必要を語っていました。その点では私も共感しましたので、話が弾みました。
  • 15日(土)は午後1時から紅葉坂教会で支援会の第10回総会と協議会がありました。この日は朝から雨でしたので、参加者が少ないのではと思っていましたが、42名の方が参加してくれました。今回は協議で私が教師委員会の戒規免職処分を受けて、それを不服として上告して出来た審判委員5名の内の一人である兵庫教区のTさんにZoomで「最終審判委員会の審議について」話してもらいました。同じ審判委員の一人であるUさんにもZoomで参加してもらい、Tさんの発言を補足してもらいました。支援会の今後の運動に資する会だったと思います。