なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(568)

船越通信、№568 2023年5月28日(日)北村慈郎

 

  • 今日はペンテコステの礼拝です。使徒言行録のペンテコステの記事(2章)には、聖霊に満たされた弟子たちは、人々から「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざけられたと言われています(2:13)。それに対してペテロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めて、「この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われたことなのです」(2:15,16)と言って、「神は言われる。/終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。/すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。/わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。/すると、彼らは預言する。/…」とヨエル書を引用して答えています(2:17,18)。ペンテコステに当たり、私たちは神の霊を注がれて生きている者であることを、「預言し、幻を見、夢を語る」ことによって、現代の混沌とした時代の中で少しでも証言することができれば幸いです。
  • 21日(日)は礼拝後、京急田浦駅前で「ウクライナに平和を!」のスタンディングを40分ほど行いました。参加者は8名で、ユニセフを通してウクライナに送っている支援金は4,500円(5人と教会員)ありました。京急田浦駅前での人通りはそう多くはありませんが、ほとんどは京急の乗降客の方で、通行人はわずかです。今回は京急田浦駅の乗客の中に家族連れがあり、まだ3歳前後と思われる女の子が、私たちの「ウクライナにご支援を!」という呼びかけに応えて、改札に入ろうとする両親を促し、支援カンパをしてくれました。そのほほえましい光景に心温まる思いをさせてもらいました。40分でスタンディングを終えて、それぞれ散会しました。この日も私とSさんとNさんはその後教会の戻り、教会で別れました。私は後片付けをしてから船越教会から鶴巻に帰ってきました。
  • 22日(月)は、娘が休日だったので、自動車で平塚の花ガーデンに行きました。この平塚の花ガーデンは帰天した連れ合いとも何度か来ているところです。特にゴールデンウイーク前後はバラが見ごろです。この花ガーデンのバラ園は結構充実していますので、楽しむことができます。今回は、5月22日ということもあって、見ごろは過ぎているという感じでしたが、それでも十分楽しむことができました。この花ガーデンには、そんなに大きくはありませんが、モネの絵を連想できる睡蓮の池もあります。こちらはたくさんの花をつけた睡蓮を見ることができました。その後花ガーデンの中にある食堂のベジタブルなモーニングサーヴィスで朝食と昼食を兼ねて食事をしました。その後新しくできた平塚イオンモールを見てきました。一通り歩いて見ただけで、何も買いませんでしたが、食料品売り場も充実していて、自転車で来られれば便利なのだがと思っていましたが、とても自転車では無理でした。それにしてもこういう大きな商業施設がいろいろなところに出来ていますが、お金がなければ利用できない施設ですので、お金を持った人の消費を目当てにしているわけです。消費社会ということなのでしょうが、何だか浮ついた感じがしてなりません。第一次産業やモノづくりという労働が中心の社会の方が地に足を付けて、みんなが生きているように思われます。労働よりもお金が中心の消費社会は、富裕層は適応できても、お金のない人には生きづらい社会ではないでしょうか。そんなことを思いながら、モールを一回りして帰ってきました。
  • 24日(水)は16:30から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(基地小)があり、私も委員の一人として出席しました。この日は4人の委員の出席で委員会を行いました。2022年度は委員7名で、途中1名が牧師引退で欠けました。今年度はさらに1名ができないということで、5名の委員によって基地小を担っていくことになっています。その一人が仕事の勤務状況が昨年度と変わり、今回の委員会は欠席ということで4人による委員会となった次第です。この日の主な議題は、「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな!全国キャラバン」開催の件でした。その主旨は、沖縄をはじめとする琉球弧で、米軍と自衛隊の基地強化が進んでいる中、その事を映画監督として取材し続けている藤本監督のキャラバンに協力するものです。日程は9月23日(土)13:30~・・・・に決定しました。場所は候補として二つ教会を挙げ、これからお願いすることにしました。この企画は基地小単独での開催ではなく、各委員会にも協力をお願いすることにし、それぞれの委員会に当たっています。南西諸島の自衛隊のミサイル基地建設がどんどん進められています。「「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな!」は正に喫緊の私たちの課題です。この日は委員会を終えて、鶴巻に帰ったのは午後7時半過ぎでした。
  • 25日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みの日で、私も午後1時頃には座り込みの場所に着きました。ところがこの日も入管法改悪反対のグループが先に私たちがいつも座り込んでいる参議院議員会館前の場所で抗議行動を行っていました。そのグループの端の道路の石壁に辺野古新基地建設反対を示す横断幕やプラカードを、いつもより半分くらいのスペースに貼って、入管法改悪反対の人たちに挟まれるようにして、私たち4人は座り込みました。私たち4人の内2人は入管法改悪反対のプラカードも持っていて、それも掲げて、入管法改悪反対のグループの人たちの抗議行動に連帯の意志を示していました。午後4時になって、私たちの仲間の2人は、その後も抗議行動を続けていた入管法改悪反対のグループの人たちと行動を共にすると言うので、私とも一人は帰りました。私は、この日は午後6時半から寿地区活動委員会がなか伝道所でありましたので、国会前から直接なか伝道所に向かいました。この日の寿活動委員会はリモートの参加者はなく、ほぼ全員なか伝道所に来て委員会を行いました。定例の報告・議事の後、関内近辺の再開発が進む状況の中で、寿や野宿者への負の影響が案じられますので、今後の寿地区センターの働きについての話し合いを積み重ねていくことにし、この日はその端緒の話し合いをしました。