なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(570)

船越通信、№570 2023年6月11日(日)北村慈郎

  • 4日(日)は礼拝後しばらく懇談し、役員会の前に備蓄の期限切れカレーを使ってカレーライスを皆でいただきました。期限切れの備蓄食品を消費して、新しいものを買って備えるためです。その後役員会を行ないました。今回の役員会では特に議論しなければならない議題はなく、ほぼ確認事項でしたので、役員会は早めに終わりました。この日私は夕方二番目の息子の誕生日でしたので、その息子と娘と3人で横浜で食事をすることになっていましたので、午後3時半過ぎまで船越教会にいて、転入会者がありましたので、原簿の記載と整理やM先生にお願いしました代務者の教団への申請書や承認書及び法務省の登記関係の書類などを整理して、きちっと記録として残して置けるようにしました。そうこうしている内に3時半になり、3時39分のバス停梅田から追浜行きのバスにより追浜で京急の普通に乗り、そのまま横浜駅まで行きました。いつもは、追浜から金澤八景で特急に乗り舞えるのですが、この日は時間がたっぷりありましたので、普通で座って横浜まで行きました。金澤八景で特急に乗り換えた場合、追浜から横浜まで20分から25分で着きますが、普通で行きましたら小一時間かかり、横浜に着いたのは午後5時過ぎでした。約束の場所で待ち合わせた二人と食事をして、鶴巻には午後7時半ごろ着きました。
  • 6日(火)は私も原告の一人になっています神奈川の安保違憲訴訟の第2回控訴審が東京高裁でありましたが、この日は午後6時から常置委員会がありましたので、私は出席しませんでした。安保違憲訴訟は全国で取り組まれていますが、これまでは原告敗訴の判決が続いていますので、なかなか難しいとは思いますが、その流れをこの神奈川の訴訟で食い止められればと願っています。ですから、この日は午後3時過ぎに鶴巻を出て、横浜で早夕食を済ませて、午後6時から蒔田教会教育館で行われる常置委員会に出席しました。この日の常置委員会は、「教務教師登録に関する件」(1名)と「秋季正教師検定試験受験志願者の推薦に関する件」(5名)で6名の面接がありました。日本基督教団の場合、正教師・補教師という二重(二種)教職制は教団成立時に国家の要請によってつくられたものですので、二重(二種)教職制には、教会の国家権力への屈従という負の歴史が内包されています。日本基督教団の教職になる方は少なくともこの事実を認識しておくべきだと思います。また、現在私が日本基督教団から教師免職処分を受けていることも、日本基督教団の教職になる方は知っておくべきだと思います。今回も面接の質疑の中で、ある常置委員から志願者にこの二つが日本基督教団の教職の問題としてあることを指摘し、それぞれについて志願者の考えを問われました。それに対する志願者からの応答は、問題そのものを認識した上でのものとは思えないものが多かったように思います。聖礼典を執行できる正教師になることが目的で、日本基督教団の教師になるということがどういうことなのかということまで思いが至らないということなのでしょうか。常置委員会での教師の面接の度に、歴史を継承することの難しさを思わされています。そのことは、この日の常置委員会で継続審議となっていた教区総会での准允・按手式執行の時に、志願者の受けた教師検定試験は「不当とまでは言えない」と議場に問うて、賛成多数を持って准允・按手式を執行してきたことに対して前回の総会で疑義が出て、その件について次回総会までに常置委員会で検討することになっていた件も同じです。今回の常置委員会では、議長から、何故准允・按手執行の時に、志願者の受けた教師検定試験が「不当とまでは言えない」ことを議場に問うのかについて説明の文書の提出があり、その文書を議場に配布して「不当とまでは言えない」を議場に問うようにしたいという提案があり、審議した結果、次回総会からは、それを問う時に、賛成だけでなく反対もとり、その他の保留を除いた賛成と反対の総数をベースにした賛成過半数を持って按手・准允の執行をすることになりました。この問題も教団の歴史の継承に関わっています。この日の常置委員会は最後の議題が常置委員のみによるものでしたので、要請陪席者の私はそこで退席し、鶴巻に帰ったのは午後9時半ごろでした。
  • 7日(水)は12時から地下鉄のセンター南駅近くに住んでいる私の姉の義理の姉が召されて、仏式でしたが葬儀がお寺でありましたので、私もその葬儀に参列しました。その家は姉の連れ合いの実家に当たり、今その家の当主は姉の連れ合いの兄とこの度召された方の子どもで、私が若い頃姉の所で世話になっていた時に、まだ小学生の子どもでしたが、多少交流もあった方です。葬儀は1時間くらいで終わり、出棺を見送ってから、姪がタクシーを呼ぼうかと言ってくれましたが、それを断り、懐かし場所でもありましたので、歩いてセンター南まで行くことにしました。葬儀が行われた寺の近くに都筑の里という高齢者施設があり、紅葉坂教会時代には教会員の方がこの施設に入所していましたので、往きはセンター南からタクシーで、帰りは歩きでしばしば訪れていたからです。ところが、記憶を頼りに歩きましたが、どうも遠回りしたようでかつて歩いた時よりも大分時間がかかってしまいました。でもセンター南駅に着き、鶴巻には午後3時頃に帰ってきました。
  • 8日(木)は、先週は役員の方とM先生をお訪ねしたのでお休みした国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。ここ数週間は私たちがいつも座り込んでいる参議院議員会館前の道路には入管法改悪反対のグループが陣取っていて、参議院法務委員会の審議をスピーカーで流して、要所ごとに反対意志のアッピールとシュプレヒコールをしていました。この日は法務委員会で法案が通ってしまったためか、私が到着した時には撤収をしていて、私たちの座り込みはいつものように行うことができました。それでも入管法反対の方が個人的に座り込んでいました。私はこの日、午後3時過ぎに娘が来て、少し早めに失礼して、蔵前の画廊で彫刻家の方と二人個展をしている、名古屋時代のご両親が私と同世代のお子さんで、版画家の森田朋さんの作品を見に行きました。彼女は名古屋在住ですが、今までも何回か銀座の画廊で個展を開いたことがあり、娘は毎回行っていますが、私も銀座の画廊にも一度伺ったことのある方です。応援を込めて一点作品を購入して帰ってきました。