なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(572)

船越通信、№572 2023年6月25日(日)北村慈郎

 

  • 18日(日)は、礼拝後「ウクライナに平和を!」のスタンディングにすぐ皆で出かけました。今回で何回目になるでしょうか。ロシアによるウクライナ軍事侵攻は一向に終息する気配さえ感じられません。6月に入ってから、ウクライナの反転攻勢が報じられていますが、反転攻勢が言われているほど順調にいくとは思えません。戦闘が激化するだけで、その結果苦しむのはウクライナの民衆であり、ロシアの民衆ではないでしょうか。政治国家による分断だけでなく、両国民衆のつながりも両国家のプロパガンダによって寸断されて、敵意をもって相手を見るようになっていることは大変悲しいことです。どちらの国に属していても、個としての私たち一人一人は、神に造られ、神から命与えられた存在であり、互いに愛し合う者として造られているわけです。その人間としての秘儀を大切に、私たち一人一人が国や民族の枠組みを超えて連帯していくことができれば、戦争など起こりはしないでしょう。そういう意味で、私は、神の権威(サムエル)とこの世の権力(サウル)を同時に認める「二王国説」には否定的です。古代イスラエルの歴史からすれば、王国時代以前の神との契約共同体に可能性を感じている者です。そういう意味で、私は、思想的にはアナーキストに近いのかも知れません。そんなことを考えながら、この日もスタンディングに参加しました。スタンディングは今回も京急田浦駅前で12:00~12:40の40分間くらい行いました。今回は部活帰りか、中学生くらいの子どもたちが何人かカンパをしてくれました。お年寄りの方も人数としては何時もより多くの方がカンパをしてくれました。スタンディングを終えて、この日は8人の参加者でしたが、4人は京急田浦駅前で別れ、他の4人は私も含めて一度船越教会に戻り、船越教会で散会しました。その後私は洗濯をしてから鶴巻に帰りました。
  • 19日(月)は娘が仕事休みでしたので、車で秦野の日帰り温泉冨士見の湯に行ってくれて、その後秦野地産のお米などの買い物に付き合ってくれました。私は週日はほぼ一人の生活ですので、食事や掃除やゴミ出しもすべて私がしています。と言っても、ここ半年以上食事は一日2回(午前10時過ぎと午後5時過ぎ)で、副食のメインは、三週間14食の冷凍ものを取り寄せて、それをレンジで温めて食べるようにしています。時々自分で作ったり、外食することもありますが、外食の場合は、国会前の座り込みや教区の委員会がある日にするようにしています。日曜日の夕方は娘が作ってくれることもあります。そういう形で日常の食生活は何とかやりくりしています。帰天した連れ合いは、若い時から食事は手際よく、バラエティーに富んだ副食を用意してくれましましたが、60歳を過ぎた頃でしょうか、食事作りに疲れたと言ったことがありました。一日2回とは言え、ご飯を炊いて、副食を用意して、後片付けをするだけで、結構エネルギーが必要です。ただ私は戦後の貧しい時代、小中学生としてひもじさを体験して食べることにはこだわりを持っていますので、1日2回の食事はきちっとするようにしています。
  • 22日(木)、この日天気予報では東京都心は午後80%雨と出ていました。しかし、鶴巻の空は明るく、雨は降りそうではありませんでしたので、一瞬躊躇し、出かける時間が10分ほど遅くなりましたが、翌日の23日は沖縄慰霊の日でもありますので、国会前の座り込みに出かけました。午後1時10分過ぎに座り込みの場所に着きましたが、いつもは常連の3人が、私が着くころにはすでにいるのですが、この日は一人だけでした。私が加わり二人で座り込んでいましたら、もう一人の方もやっていき、午後1時半過ぎには3人で座り込みました。常連のもう一人の方は、この日電話をかけて来てお休みするということでした。この日は前日に国会の会期が終えていますので、私たちが座り込んでいる参議院議員会館前の道路も、行き来する人は少なめでした。また、国会会期中には他団体の抗議行動も頻繁に行われていましたが、この日は私たちだけでした。午後3時少し前から雨が降り始め、3人で相談して、この日の座り込みは午後3時をもって終了することにしました。それから私は地下鉄で明治新宮前に出て、副都心線に乗り換えて横浜に出ました。この日、午後6時半からなか伝である寿地区活動委員会に出席するためです。横浜に着いた時、まだ委員会までに約2時間ありましたので、船越教会に行って土曜日の教区総会に報告審査のために出す教会総会記録と役員会記録を取りに行くつもりで、京急に乗りました。乗ってから、どう考えても2時間では難しそうなので、上大岡で降りて、上大岡で早夕食をすませて、地下鉄で伊勢佐木長者町駅まで行き、そこから歩いてなか伝に行きました。この日委員会は午後8時頃に終了し、鶴巻には午後9時半ごろ帰りました。
  • 23日(金)は沖縄慰霊の日です。「沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日から七十八年の『慰霊の日』を迎えた。住民を巻き込んだ激しい地上戦で沖縄県民の四人に一人が犠牲となり、攻撃対象になりかねない基地の削減を求める民意は強い。だが、政府は米軍の新基地建設を強行し、軍拡を続ける中国や台湾有事を念頭に自衛隊部隊やミサイルの配備を推進。沖縄戦の経験者は『戦争前の様相に似てきた。再び戦場になるのでは』と不安を募らせる」。この沖縄戦の経験者は、「『政府が台湾有事を強調し、日本の国民感情が軍備増強容認の方向に流されるのでは』と危機感を抱き、こう訴える。『人は人でなくなり、軍は理性を失うのが戦争。二度と地獄のような戦争を起こさないため国のリーダーも国民も努力し、どうすれば恒久平和が実現するのか皆で考えてほしい』」(23日東京新聞一面の記事です)。この訴えに応えていかなければと思いを新たにしています。
  • 24日(土)は、娘の車で朝6時に鶴巻を出て、海老名インターで休憩し、7時半ごろ船越教会に着きました。総会記録と役員会記録を持って8時半過ぎに船越教会を出て教区総会の行われる清水ヶ丘教会に行きました。今回の総会は4名の「補教師の准允執行の件」以外は2022年度諸報告の議案と2023年度各種委員の選任に関する件が主な議案でした(来週に続く)。