なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(585)

船越通信、№585、2230年10月1日(日)北村慈郎

  • 24日(日)は礼拝後、何もありませんでしたので、皆さん早めに散会しましたので、私も12時過ぎのバスで追浜に出て、鶴巻に帰りました。この週は、木曜日の国会前に出かけただけで、後は鶴巻で過ごしました。
  • 27日(水)には、藤井聡太永瀬拓矢王座に挑戦する第3局の将棋が名古屋で行われました。私は小さい頃から将棋と囲碁を弱いながらも楽しんでいましたので、藤井聡太が将棋界に出現してからは、時々ABEMAで藤井聡太の対局を見ています。見ているといっても、将棋は二日制で争われる棋戦もありますし、一手を指すのに数時間考える場合もありますから、垣間見るくらいです。しかし、今回の王座戦第3局は、持ち時間5時間の一日制ですので、早夕食を終えて、ABEMAの中継を見ましたら、一分将棋(持ち時間が1分になること)になるところで、AIの評価値では藤井聡太が10パーセント、永瀬拓矢が90パーセントで、ほぼ藤井聡太の負けが濃厚の状態でした。しかも将棋は終盤に入っていましたので、そのまま終わるまでABEMAの中継を見続けました。藤井聡太は明らかに負けを意識しているようで、元気がなく、落ち込んでいる様子でした。ところが永瀬拓矢の一手を境に、AI評価が50パーセント、50パーセントに代わり、手が進むにしたがって、藤井聡太が90パーセント以上に、永瀬拓矢が10パーセント以下になり、遂に永瀬拓矢が投了しました。これで王座戦藤井聡太の2勝1敗になり、王座戦は5番勝負ですので、藤井聡太が後1勝すると王座を獲得し、棋戦の全て8冠制覇が実現します。将棋界ではこれは大変なことです。今まで全冠制覇したのは7冠時代に羽生善治がした以外には誰もいません。ということで、この日はABEMAで王座戦第3局を楽しく観戦しました。
  • 28日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この週は前半少し涼しくなりましたが、この日はまた真夏日ということで、日差しのある所では相当暑い日でした。前週の木曜日秦野は雨が結構強く降っていましたので、座り込みを休みましたが、一緒に座り込んでいる方に伺いましたら、前週の木曜日も、東京都心は雨ではなかったようで、座り込みをしたとおっしゃっていました。私はその方にメールで休むことを連絡していたのですが、その方はメールは見ないようで、私が休むことは伝わっていなかったようです。彼女は私に無理しないで、忙しい時には休んでくださいと言ってくれました。沖縄の玉城知事は、裁判に負けましたが、防衛省による辺野古埋め立て工事の変更申請の認可を出さないと思われます。そうすると国交省が県に代わって認可を出すことになります。それが法律ということのようですが、随分国の側に都合の良い法律です。安全保障の問題になると、地方自治はあってなきがごときものということでしょうか。
  • そんなことを思いながら、この週は比較的自由な時間がありましたので、本を2冊購入し読んでみました。内田樹白井聡の対談本『新しい戦前~この国の“いま”を読み解く~』(朝日新書、2023年)と斎藤幸平・松本卓也編『コモンの『自治』論』(集英社、2023年)です。前著は現代の世界や日本の現状に対する悲観的な論調が中心でしたが、後者はその悲観的な現実の中で世界の各地の都市で生まれている「コモン」を大切にする「自治」という可能性に希望を託するというものです。前著の中で「加速主義(accelerationism)」というアメリカの思想に触れているところがあります。そのとこを引用しますと、この「加速主義」とは、「資本主義の欠点を左翼やリベラルが補正しているせいで、もうとっくに滅びてもいいはずの資本主義がまだ滅びていない。むしろ資本主義を暴走させて没落を加速し、資本主義の『外部』へと抜け出るべきだとう思想です。/そのためには政府はできるだけ市民的自由に干渉しない。『夜警国家』に徹する。社会福祉や公教育や国民皆保険制度などは、公権力が富裕な市民の懐に手を突っ込んで私財を取り上げて、それを再分配して社会的弱者に分け与える制度ですけれど、これは市民的自由への介入だからなくしてしまう。医療も教育もカネもある人間は市場で調達する。カネのない人間は医療も教育も諦める」(108頁)と言われています。随分恐ろしい思想ですが、大阪の維新の政策を見ていると、この「加速主義」のようでもあり、その維新が全国的に伸びているというのも、この「加速主義」的な思いを持つ人が日本にも多くなってきているのかも知れません。他方後者の本は、「コモン」を大切にした市民の「自治」によって下から社会を変えて行こうとする運動について記しています。「…<コモン>の再生とは、他者と協働しながら、市場の競争や独占に抗い、商品や貨幣とは違う論理で働く空間を取り戻していくことだ。…水やエネルギーや食、教育や医療、あるいは科学など、あらゆる人々が生きていくのに必要とするものは、<コモン>として扱われ、共有財として多くの人が積極的に関与しながら管理されるべきものなのだ」(4頁)と言われています。資本や国家の支配を自由にさせるのではなく、むしろ自分たちで共有財を守り、下から社会を変えていく運動としての「自治」の大切さを強調している本です。
  • 私は以前にこの「船越通信」で斎藤幸平の『人新生の資本論』の引用による紹介をしたことがあります。『コモンの『自治』論』の中で斎藤幸平が、自分がマルクス研究を志すようになったきっかけについて触れているところがありました。それによると、もう大分前になりますが、北九州で餓死した人がいましたが、齋藤幸平はそのことがショックで、自分はマルクス研究をすることにしたと言うのです。ですから、齋藤幸平は研究と共に実践を大切にしているように思われます。この本の中でも「神宮外苑再開発反対運動」に触れて、「資本の論理から<コモン>を守るには、市民が反対の声をあげるしかない」と言って、「そう考えていた矢先に、神宮球場ラクビー場の移転・改革に反対する市民団体などから署名運動の賛同者になってほしいという相談があった。その後には、神宮外苑再開発の認可取り消しを求める訴訟の原告に加わらないかという誘いも受けた。もちろん、答えはすべて『イエス』だ」と述べ、また北九州の野宿者支援に取り組む「抱樸」の奥田知志さんからも話を聞いて、炊き出しと夜回りにも参加した」と記しています。