なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(591)

船越通信、№591、2023年11月19日(日)北村慈郎

 

  • 12日(日)は礼拝後役員会がありました。この日の役員会では、12月のクリスマスの準備が中心になりました。考えて見れば、もいう一月もすればクリスマスです。今年は暑い日が長く続きましたので、夏が長く、秋になったと思ったら、直ぐ冬ということで、もういクリスマス? という感じなのでしょう。そのクリスマスは、今年は12月24日が日曜日ですので、クリスマス礼拝も燭火礼拝も同じ日になります。クリスマス礼拝は午前10時30分開始、燭火礼拝は日曜日ですので、午後6時開始にしました。また、今年のアドベント第一主日は12月3日(日)になります。船越教会では、毎年アドベントの前の日曜日にアドベントローソクの準備をしています。通常アドベントクランツは、クランツは冠ですので、もみの木の枝納戸でクランツは円形に作り、四本のローソクを立てます。円には終わりがないことから、神の永遠の愛を象徴しているとも言われています。けれども、船越教会ではクランツではなく、ローソクを講壇の前のテーブルの上に四本横並びに立てます。その周りを古木や庭のカイズカイブキの枝を切って来て飾ります。待降節第一主日に一本のローソクに灯をともし、第二主日は二本、第三主日は三本、そして第四主日がクリスマス礼拝で四本のローソクに灯がともります。今年もその準備を11月26日の日曜日にします。ただこの日は「ウクライナに平和を!」のスタンディングがありますので、その後でできる人ですることにしました。その他クリスマスの準備として、クリスマス礼拝・燭火礼拝の案内は、例年のように私がすることにし、礼拝出席者で寄せ書きをして出すクリスマスカードについては、例年Iさんが担当して下さっていましたので、病気療養中のIさんに伺って役員の方に対応していただくことにしました。更に細かなことは12月の役員会で決めることにしました。また今回の役員会では、イスラエルの攻撃を受けているガザのパレスチナ人への支援として、イスラエル軍による爆撃を受けて、500人以上の死者を出したと言われるアハリー・アリ病院再建のための支援に、船越教会として3万円を、平和センター基金から献金することにしました。それと共に、礼拝堂の受付にカンパ箱を置いて、みなさんからのカンパも集めることにしました。ご協力よろしくお願いいたします。その他の役員会報告はみなさんにメールで送られていますので、それでご覧ください。この日の役員会は12時20分に終了し散会しました。私も午後1時8分の追浜行きのバスで追浜に出て、何時ものルートで鶴巻に帰りました。
  • 14日(火)は午後7時から支援会のZoomによる世話人・事務局会がありました。この集まりでは、ます教団・教区・沖縄などの現状報告が関係者からあります。特に教団常議員会には、ほぼ毎回事務局長のK・Hさんと世話人代表のK・M牧師が陪席しますので、その報告があります。それに神奈川教区の常置委員会で私の問題が議論された時には、常置委員会出席者からその報告があります。沖縄教区のことがK・Hさんから報告があります。その他の教区のことについては、なかなか情報が入りませんが、委員の誰かに入った時には、その委員から報告があることもあります。その後で支援会の今後の取り組みについて話し合います。今回は以下のことを確認しました。①キリスト新聞(2024年2月1日発行に意見広告を出す。②通信第32号を2024年1月20日に発行する。③「北村慈郎牧師支援コンサート」を企画実行する(第一回は2024年2月23日(金・休)に荻窪教会で、13:30-15:30、パイプオルガンコンサート1時間、演奏者:安 杏菜さん(紅葉坂教会員・桜美林大学音楽教師)、北村牧師支援のアピールその他で1時間)。④来年度の教団総会に向けて、神奈川教区総会決議議案を来年6月の教区総会に向けて準備する。私が教団から戒規免職処分を受けてから、今年秋に満13年が経ち、来年秋の教団総会では満14年になります。この間教団は常議員全数連記による一部の人たちの「信仰告白と教憲教規」遵守による教団政治支配が続いています。私の戒規免職問題も、どんなにその手続きの不当性を訴えても、最終審判委員によって最終決定されているからといって、取りあげようとしません。それでも「対話を続ける、土俵を割らない。希望を持ち続ける」という故関田寛雄先生の言葉を忘れないで、最後まで教団と関り続けていきたいと思っています。
  • 16日(木)は何時ものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は月の第三木曜日ですので、宗教者平和ネットの院内集会もある日でした。私の東神大時代の友人も毎月この院内集会に参加していますので、この日も彼が来て、座り込んでいる私に声をかけてくれました。何時も宗教者平和ネットの院内集会は私たちが座り込んでいる後ろにある参議院議員会館集会室であるのですが、今回は第二衆議院議員会館の集会室であると言って、彼はすぐにそちらに向かって歩いて行きました。この日の私たちの座り込みは午後4時少し前に片づけをして終えて、散会しました。ちょうどその頃、この日も院内集会を終えた宗教者平和ネットの方々が第二衆議院議員会館前の道路で妙法寺のお坊さんが数名太鼓をたたき、シュプレヒコールを繰り返し、抗議行動をしていました。彼もキリスト者平和ネットの旗を掲げて約10名のグループの端に立っていました。その彼を向かい道路から見ながら、私は国会議事堂前駅から代々木上原に出て、小田急で鶴巻に帰ってきました。
  • ボンフェッファーは『抵抗と信従』という獄中書簡の中で、大変有名な言葉を語っています。「僕たちの教会は、ここ数年間、ただ自己保存のためだけ戦ってきた。そしてそれこそがまさに自己目的であるかのように考えてきた。このような教会は、人間や世界のために和解と救いの言葉を担うものであることはできない。それゆえ教会のかつての言葉は、今日では、無力となり、教会は沈黙せざるをえなくなっている。今日、僕たちがキリスト者であるということは、次の二重のあり方の中でのみ可能であろう。すなわち、祈ることと、人々の中で正義を行なうことである。キリスト教の本質に関する一切の思考、言説、組織は、この祈りとこの行為から新しく生まれてこなければならない」。今も改めて噛み締めたい言葉です。