なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(592)

船越通信、№592  2023年11月26日(日)北村慈郎

 

  • 19日(日)は礼拝後何もありませんでしたので、比較的早く散会しました。私はこの日教区の新任教師オリエンテーションの今年度第3回が「性的少数者(LGBTQ)と教会」というテーマで、H・Aさんを講師に、午後4時から蒔田教会礼拝堂でありましたので、しばらく教会で休み、午後2時ごろ早めに教会を出て、上大岡のデパートの食堂で遅い昼食兼早夕食を食べて、午後3時半過ぎに蒔田教会礼拝堂に着きました。既に講師のH・Aさんは来ていました。この日の出席者は講師を入れて14名でしたが、出欠の返信がなかった方も来て、19名の出席者でした。H・Aさんの講演では、性自認性的志向性は一人ひとり違っていて、多様性があることを丁寧に語られました。ですから男女の二分法は、その立場にない人にとっては抑圧以外の何ものでもないということになります。どこにでも性的少数者はいて、多くの場合気がつかないだけであること。教会も同じで、性的少数者が打ち明けて相談できる教会でありたいと。講演の後は質疑応答と、最後に参加者一人づつ感想を一言発言してもらって、予定の終了時間午後6時30分を少し過ぎてしまいましたが、この日のオリエンテーションを終了しました。終了後オリエンテーション委員の打ち合わせをして、散会しました。私は重い荷物があったので、道路からエレベーターで地下鉄入り口に行かれるところから行くと言って、一人で帰り、午後8時半ごろ鶴巻に着きました。ちょうど娘も横浜に車で帰るところで、少し一緒にお茶を飲んでから、娘は帰っていきました。
  • 22日(水)は何時ものように遅い朝食を済ませてから、正午過ぎに鶴巻を出て、県庁に行きました。県庁の文書課の宗教法人係に船越教会の年度報告を提出するためです。コロナ以前は10月末くらいになると、県庁の文書課宗教法人係の方から年度報告の提出が遅延しているので、提出するようにという督促状が来ていました。以前はその督促状が来てから提出していましたので、提出は11月になってからでした。その提出時期はその後も11月になってからにしているのですが、コロナ以降督促状は来なくなりました。県庁への年度報告を提出して、バスで桜木町まで行き、横浜キリスト教書店に行き、溜まっていた私の支払いを済ませ、クリスマス用のはがき、プロるラム用紙、献金袋などを購入し、鶴巻に午後4時半ごろに帰りました。この日は午後7時半からオンラインによる教区の基地・自衛隊問題小委員会(基地小)がありました。基地小では9月に「沖縄・琉球弧を第3の戦場にさせない!全国キャラバン」を実施しましたので、毎年2月ごろの委員会で、委員会学習会として「神奈川の基地の1年の動き」を、厚木基地監視団のYさんと相模原補給廠監視団のSさんからスライドによる講演という形で行ってきていますが、その会は4月以降の2024年度の委員会活動にすることにしました。ですから、来年3月の2023年度末までの活動としては、基地小通信第2号の発行がメインになります。来年1月末までに原稿を集めて、2月に通信第2号を発行することにしました。その他、社会委員会が来年3月に「平和フェスタ」を開催し、そこでガザのパレスチナ人支援の講演会を計画しているというので、基地小も参加すること、平和フェスタで集まった献金の送り先として、アハリー・アリ病院を推薦することにしました。その他共同声明「能動的サイバー防御と関連する法改正に反対しますーサイバー戦争ではなくサイバー領域における平和を」の賛同団体になる事を承認しました。基地小の委員会は、1時間ちょっとで終わりました。
  • 23日(木・休)はお休みなので国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みはありませんでした。私は当初この日は、沖縄の那覇市で開催される「県民平和大集会」に連帯して行なわれる国会前の「辺野古」「南西シフト」反対全国集会に参加するつもりでいました。しかし、兄家族が引き継いだ私の実家が、兄の連れ合い一人になっていて、その実家のある場所ががけ崩れの危険があるので、12月初めには引き払うことになったので、川柳家であった私の父の遺品が少しあるので取りに来て欲しいと言われ、娘の休みに合わせて自動車でこの日に実家に行くことになり、国会前の集会には参加できませんでした。24日の東京新聞によれば、沖縄の集会は参加者1万人、東京の集会は2千人とありました。この日いつも国会前の座り込みに来ている方の一人が、沖縄の集会に参加すると言っていましたが、それにしても東京の集会参加者の2千人は、沖縄の集会参加者1万人と比べて少な過ぎるように思いました。ここには沖縄の方々とヤマトの我々の意識の差が露呈しているように思われます。政府は軍事力増強の邁進と日米軍事同盟の強化によって、戦争の準備を着々と進めています。沖縄と南西諸島を再び戦場にしては絶対にいけません。骨抜きにされている日本国憲法第9条(第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動なる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。)に戻って、軍事力によらない対話による外交努力で、国家間、民族間の対立を解消しなければなりません。拡大ないしは歪曲解釈によって憲法第9条を骨抜きにしないで、文字通りに憲法第9条を受け止める政治家が出現することを期待します。私の実家は横浜市西区浅間台にあり、保土ヶ谷区鎌谷町の境界の浅間台側にあります。前も後ろも小高い山間の場所で、三ツ沢側の山の崖を背にして、平坦な道路から階段十数段上った所にあります。100坪ほどの借地なのですが、裏の崖は竹が生い茂っていて、昔はその崖下に水たまりの池が出来るほど山からの水が出ていました。正面階段側は一部レンガをセメントで固めた崖で、それも一部亀裂が出来ています。私の小さかった頃は、その亀裂から夏になると青大将が現われていました。正面入り口の側のその他の崖は自然のままで、一部崖崩れがあったのでしょうか、青いシートがかけられていました。その場所に立つと、昔の思い出がよみがえってきますが、ここを離れて60年以上が経っていますので、周囲の風景は一変していました。