なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(597)

船越通信、№597  2023年12月31日(日)北村慈郎

 

  • 24日(日)には朝にはクリスマス礼拝、夜には燭火礼拝がありました。クリスマス礼拝には、クリスマス礼拝とイースター礼拝に年に2度船越教会の礼拝に出席される一組のご夫妻と、何時もたまに出席される一組のご夫妻の4人を加えて、16名の出席者がありました。昨年のクリスマス礼拝ではコロナ感染で聖餐式は出来ませんでしたが、今年はクリスマス礼拝で聖餐式も行ないました。礼拝が終わってから電車を乗越してしまったというIさんがいらっしゃいました。その後食事会をして、この厳しい時代状況の中での今年のクリスマスを共に祝いました。夜もありますので、比較的早めに食事会を終えて、散会しました。私は2階の牧師館に戻り、夜までゆっくり過ごしました。午後4時過ぎには、夜の燭火礼拝の後でも食事会がありますので、その準備のために数名の方がいらして準備を始めていました。私は午後4時半ごろに暗くなってから、外の街灯が電源が切れてつかなくなっていましたので、階段と階段を上がってから教会の玄関までを明るく照らすサーチライトを準備しました。それによって何とか教会の下の道路から会堂の玄関まで暗闇の中を手探りで来ないですみました。船越教会の燭火礼拝は、コロナ感染前までは、礼拝の後の祝会は沢山の料理が用意されて盛大に行われていましたが、コロナ感染拡大中は一年間燭火礼拝そのものもお休みせざるを得ませんでしたし、その後昨年再開しましたが、礼拝後の祝会はありませんでした。今年の燭火礼拝はコロナ感染前の状態に戻しましたが、今年は24日が日曜日で礼拝と燭火礼拝が同じ日でしたので、普段礼拝に出ている教会員の中にも朝晩と二度礼拝に来るのは無理な方もいて、今年の燭火礼拝は、礼拝が始まった時には参加者は10人弱でした。けれども礼拝が始まってから、少し遅れて毎年この燭火礼拝に参加する二家族、赤ちゃんを入れて9名の出席があり、総勢18名で燭火礼拝を行いました。礼拝後の祝会の食事会も、今年は何時もの燭火礼拝のように礼拝堂に机を並べて行なうのではなく、通常の礼拝後の食事会のように礼拝堂の隣の集会室と和室で行ないました。そのようにして、今年も主の降誕を喜びの内に迎えることができ感謝しています。午後8時過ぎには散会し、後片付けをして午後8時半過ぎには私も船越教会から鶴巻に帰りました。
  • 25日(月)から26日(火)にかけて、私は支援会の通信第32号の、既に集まっている原稿を整理し、支援会の世話人・事務局会の方々にメールで送り、校正をお願いして、通信第32号の原稿をまとめて、編集をお願いしている方に送りました。これで、1月中旬に予定しています、支援コンサートチラシを同封しての通信第32号の発送ができると思われます。この年末にしておかなければならなかった仕事を終えて、後は大晦日31日が日曜日ですので、2023年度中にしておかなければならないことは、礼拝説教の準備だけになりました。
  • 28(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加する日でしたが、今年の国会前の座り込みは25日(月)で終了していすので、この日も家にいて、たまたま下の息子が鶴巻にきましたので、彼との団欒のひと時を過ごしました。さてこの28日には、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、斉藤鉄夫国土交通相が、沖縄県に代わり工事の設計変更を承認する代執行に踏み切りました。地方自治法に基づき、国が自治体の事務を代執行したのは初めてと言われています。沖縄県辺野古新基地建設には反対していますし、大浦湾に軟弱地盤があることが分かり、防衛省の沖縄防衛局は工事設計変更を県に提出しましたが、沖縄県の玉城知事は辺野古新基地建設反対の民意に基づいて、工事の設計変更を認めませんでした。本来ならば、これで大浦湾の工事はできなくなるところですが、国は法のからくりを使って、沖縄県に代わって国土交通省大臣が工事の設計変更を承認する代執行に踏み切ったのです。これで防衛省沖縄防衛局は準備を本格化させ、来月12日にも大浦湾の軟弱地盤がある海域の工事に着手すると言われています。地方自治法は、国が自治体に委ねている「法定受託事務」の管理や執行で自治体に法令違反や怠慢があり著しく公益を害する場合、勧告や指示、提訴を経て代執行できると定めています。玉城知事は27日、判決を不服として最高裁に上告したが、代執行の効力は維持され、工事みます。逆転勝訴すれば、知事は3ヶ月以内に承認を取り消すことができます(以上、東京新聞29日朝刊一面より)。来年も国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加して、辺野古新基地建設反対の意志を表し続けていきたいと思っています。
  • それにしても国家の存在は、日本の場合にも、戦前は天皇制国家という形で、戦後はアメリカの占領下にあるかのようなアメリカ追随国家という形で存続しているわけですが、一般市民である私たちにとっては、解放的であるよりは抑圧的であるように思われます。国家がなくても秩序が保たれるならば、国家はない方がよいのかも知れません。私にはこういう国家の問題にぶつかる度に思い起こす聖書の記事があります。それは預言者サムエルとイスラエルの最初の王サウルの確執の物語です。イスラエルに王が誕生したのは、周辺の国々では既に王がいて、そのような周辺の国々との戦いを経験して、イスラエルの民は自分たちにも王が必要である思い、サムエルに頼んでサウルをはじめてのイスラエルの王として迎えたわけです。それ以来イスラエルの民は、イスラエルの神ヤハウエの支配と王の支配という二重支配の中で、バビロン捕囚までは生きることになります。バビロン捕囚以後、国家を失ったイスラエルの民はユダヤ教団(神ヤハウエとの契約共同体)として生き延びます。非宗教化して現在の社会を観ますと、私たちは市民社会と国という二重構造の社会を生きていると言えます。市民社会古代イスラエルの契約共同体の世俗化したものと考えれば、市民社会の成熟による国家の相対化をめざすことが、現在の私たちの歩むべき道ではないでしょうか。差し当たっては地方自治体の連合を基盤に、国には最低限必要な権限を残すというアメリカ型の政治形態への移行でしょうか?