なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(598)

船越通信、№598  2024年1月7日(日)北村慈郎

 

  • 新年あけましておめでとうございます! 2024年の門出から能登地震が起こり、飛行機事故が起きてしまいました。ウクライナパレスチナでは戦争が継続しています。世界では自然災害も続いています。大変厳しい状況の中で2024年が始まりました。そのような中で、新しい年も聖書から力をもらって、少しでも平和を造り出す者として歩み続けたいと願います。
  • 31日は2023年の最後の日でしたが、日曜日でしたので礼拝がありました。8人の方と共に礼拝を捧げ、その後クリスマスのグッズの後片付けをし、N・Kさんが準備してくださったおうどんを皆でいただいて散会しました。その後私も後片付けをしてから、教会を出て、途中横浜でクイーンズ伊勢丹横浜店の中にある魚屋で酢だこを買って、鶴巻に帰りました。お正月の準備は娘がしてくれて、おせちも通販で岐阜の中津川あたりのお店から取り寄せてくれていました。また、この日私が鶴巻のマンションに帰ってから、茅ヶ崎に住んでいる、帰天した千賀の従弟の連れ合いが、彼女が小さい頃から私たち夫婦と紅葉坂教会で一緒だったこともあり、独りになった私を気遣って夫婦で一緒に来てくれて、お正月の煮物などを届けてくれました。二人はしばらくよもやま話をしてから帰って行きました。娘も来てくれていましたので、大晦日の夜は二人で過ごすことができました。
  • 新年最初の日は、お昼ごろに下の息子も来て、3人でおせちをいただきました。お雑煮は、私がつくりました。おせちをいただいた後、しばらくしてから下の息子は帰って行き、娘と二人でのんびりしていましたところ、地震が起きて、部屋の電気が大分揺れて、横揺れを体で感じるほどでした。テレビでこの地震能登沖で起きたことを知りました。東北大震災の時の津波のことを想い起こして、今回の地震でも最初津波警報で「5メートルの津波が来るかもしれないので、早く高台に逃げて下さい」と繰り返していましたので、どうなるかと心配していましたが、5メートルの津波は出なかったようですが、それでも津波による被害に遭われた家屋も出ています。この日はすぐ夜になりましたので、地震の被害の状況はよく分かりませんでしたが、翌日から段々と被害の深刻さが伝わってきました。2日には、今度は羽田で飛行機の事故が起こりました。地震は自然災害ですが、羽田での飛行機事故は人災になります。テレビで観ていて、日航の飛行機が滑走路を火を噴きながら動いて止まった時には、大惨事が起こってしまったのではと思いましたが、後で皆脱出出来たことを知って、ほっとしました。その後海上保安庁の飛行機の操縦士が大けがをし、乗員5名がお亡くなりになったことを知りました。日が経つにしたがって、能登地震の被害の実態が徐々に明らかになって来ています。私たちも出来る限り今回の地震による被災者支援をしていきたいと思います。
  • 昨年末から新年にかけて寿では越冬活動が行われています。私はこの4~5年、病気だった連れ合いの看護から、コロナ感染拡大もあって、越冬活動には参加できていません。私を含めて今まで参加していたボランティアの方々もお年になって参加できなくなっているのではないかと思われます。越冬活動が支えられますように!
  • 4日(木)は、新年最初の国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。こちらは連れ合いの遺志を引き継いでということもありますが、国会前に行って座り込みをするだけですので、年を重ねても歩ける限りは参加できるのです。この日は何時もの4人に加えて、時々参加される2人も加わり、6人で座り込みました。新年が明けて4日ということもあって、国会前の人通りは、余りありませんでした。通りがかる方も旅行者ではないかと思われる方がほとんどで、仕事中と思われる人や陳情や国会見学の人はほとんどいませんでした。この国会前の座り込みは、「へのこっかい」と呼んでいますが、その「へのこっかい」の世話役の方から、この日2023年度会計報告をいただきました。その会計報告によると、24万円強のカンパが昨年度に集まり、沖縄で活動しているいくつかのグループに「へんこっかい」からのカンパとして送っています。このカンパは、私たちが座り込みをしている道路に置かれたカンパ箱に、通行人の方や何かの運動に参加した方が入れて下さったものです。そういう形でも「へのこっかい」は沖縄との連帯をめざしています。この日は時々強風があり、道路壁に貼った辺野古新基地建設反対の横断幕やプラカードが、何度もはがされそうになり、そのたびに貼り直しました。午後4時少し前に座り込みを終え、後片付けをしました。その後4人の方は、この日毎月一回行われている市ヶ谷の防衛省前の抗議行動に、大浦湾の埋立て工事を1月12日から始めると言われている辺野古代執行のこともあり、参加するというので、4人とは別れ、私ともう一人の方とで、国会議事堂前の地下鉄駅に向かいました。駅でその方とも別れて、私はいつものルートで帰り、海老名で、暮れから鶴巻に来てくれていた娘と落ち合い、早夕食を一緒にした後、娘とも別れて鶴巻に帰ってきました。
  • 4日の夜になって、支援会の通信第32号の編集をお願いしていた方から第一稿がメールで送られてきましたので、校正にかかりました。校正は支援会の事務局の方にもお願いし、5日の午前8時過ぎには第一稿の校正を編集をお願いしている方にメールで送りました。その後、支援会でキリスト新聞2月1日号に意見広告を出すことになっていますので、キリスト新聞社からの連絡を意見広告の原稿を作って下さる方にメールで転送してお願いしました。また、神奈川教区の第4回オリエンテーション「教団成立の問題と課題」の案内原稿をつくり、修正意見があればお願いしますと、委員にメールで送りました。この日の夜には通信第32号の第二稿が送られてきましたので、第一稿の校正箇所を確認して、編集して下さる方に第二稿で印刷に回してくださるようにお願いしました。これで支援会が予定しています、1月中旬に、支援コンサートのチラシも同封して通信第32号を支援者に発送することができます。説教の準備をしながら、上記の作業を新年早々に行なうことができました。