なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(607)

船越通信、№607  2024年3月10日(日)北村慈郎

  • 2月24日(土)の教区総会で按手礼志願者4名の中の一人の方に対し、按手礼保留の動議が出ました。この動議の理由は、所信表明の後の、按手礼を受けて(正)教師になるに当たって、教団から免職処分を受けている一人の教師がいることをどう思うかという質問に対する答えが余りにもひどかったからです。神奈川教区は教区総会決議教団総会議案として私の免職撤回議案を教団総会毎に出し続けています。しかし、この方は、「処分決定までのプロセスについて、教憲教規に則り正規の手続きを経て下されたものであるので、特に問題があるとは思っていない」(常置委員会面接で)と明言されました。この方は私の免職処分に至るプロセスについてどこまで正しく認識されているのか分かりませんが、私には、私が常議員会で聖餐についての発題をして、その後当時の山北宣久議長から教師退任勧告を二度受け、それを無視したら、山北議長は常議員会として私を教師委員会に戒規にかけるように提訴しました。しかし、この常議員会の提訴と教師委員会の受理の間に教団総会があり、その総会で常議員会が戒規の提訴者になることは、教師委員会で戒規処分を受けた教師がそれを不服として上告するのが教団議長(常議員会)なので教憲教規違反に当たるという議案が可決しました。その私を提訴した常議員会のメンバーを含んだ次期総会期の常議員会のメンバーである信徒常議員7名によって私は戒規申立をされたわけです。このこと一つをとっても、私の免職処分決定までのプロセスが教憲教規に則り正規の手続きを経て下されたものとは思えません。この方は、そういう私の戒規免職処分決定までのプロセスについて、どれだけ知っているのでしょうか。それとも誰かから言われたことを鵜呑みにしているのでしょうか。またこの方は、常置委員会の面接で、「(私が免職処分の対象になった)事案について、聖餐に与ることのできる者はバプテスマを受けた者であるということは、福音主義教会の教会的不文律であると思う」と述べました。この発言も、私を戒規免職処分にした人たちの論理であって、問題ある発言だと思います。教団が宣教協力を結び、経済的支援も受けているカナダ合同教会は、洗礼は受けていなくても希望者は聖餐に与ることができます。カナダ合同教会は福音主義的教会の教会的不文律を破っている教会なのでしょうか。そんなことはありません。教区総会での按手礼保留動議は少数で否決されましたが、私もその動議に賛成しました。それは、その方とはもう少し話し合いが必要だと思ったからです。教区総会でも出ていましたが、按手礼執行は教区が教団から委託された案件なので、教区が按手礼式を保留にしたり、執行を拒否することはできないのだという意見もあります。しかし、例え地域共同体である教区であっても、神奈川教区には対話を重んじる教区形成基本方針があるわけですから、教師の養成にもその基本方針を生かしていくことが必要ではないかと、今回のことで思わされました。今回の教区総会では、一人の方から、四国教区他数教区で教区総会に出ましたが、神奈川教区のようにいろいろな意見が出る教区総会は初めてで、それはよいことだと思いました、という主旨の発言があったのが印象的でした。いろいろな発言が出にくい空気の中で開催されている教区総会が多いということでしょうか。「信仰告白と教憲教規遵守」が異端狩りのような機能をしているということでしょうか。これではとても、日本基督教団という教会が、御言葉によって改革され続けるべき教会とはなり得ません。神学は教会の批判的な学です。正統主義を絶対化する神学は神学たり得ません。神の言葉の真理は、自分たちはそれを正しくとらえているとは言えないほど、深く豊かで、私たちには意外性をもった真理です。私たちができるのは、その探求の中で議論しながら、共に神の言葉の真理を求めていくことだけです。
  • 3日(日)は、連絡がうまくいかなかったようで、私は週報に礼拝後役員会と記しましたが、役員会は来週の10日(日)に延期しました。皆さんが散会後、私は1時半過ぎに船越教会から、横浜の三ツ沢市営墓地の中にある紅葉坂教会の墓地に行きました。3月3日は連れ合いの千賀が帰天した日で、4年になり、娘と下の息子と3人でお墓に花を添え、彼女の好きだった讃美歌を歌い、聖書を読んで、黙祷してきました。
  • 4日(月)は、3日のことがあり、娘が休みを取ってくれましたので、御殿場のアウトレットの中にある日帰り温泉に連れて行ってくれて、雄大な富士を観ながら温泉につかり、癒しの時が持てました。

 

  • 5日(火)は、午後2時から東京高等裁判所101号法廷で行われた、神奈川の安保法制違憲訴訟の最終審理の傍聴に行きました。私はこの訴訟が始まったときから原告の一人に加わりましたが、横浜地方裁判所での審理には何度か傍聴していましたが、高裁に移ってからは裁判の傍聴には参加していませんでした。しかし、今回は最終審理ということで、傍聴参加のハガキを出したところ、担当弁護士から電話があり、原告席に座るようにと連絡がありましたので、少し早めに裁判所に行って、原告席に座って、裁判の始まるのを待ちました。すると、同じ原告席に船越教会のNさんご夫妻もいらして、びっくりしました。裁判は、これまでの主張立証を踏まえた最終準備書面をこちらの弁護士が読んで終わりました。裁判長は6月14日に判決を言い渡すことを告げ閉廷しました。その後日比谷図書館コンベンション・大ホールで報告集会があり、私は壇上に並んだ10人近い弁護士一人一人の発言を聞いて、この日午後6時からリモートで常置委員会がありましたので、途中で失礼して鶴巻に帰りました。この日審理が行われた101号法廷は、私の裁判の時の法廷でもありましたので、その時には、この日弁護団の一人でもありました、O弁護士他3人の弁護士と原告の私一人が原告席に座り、被告側は弁護士2人と前I教団議長が座っての裁判でした。傍聴には常に100人以上の方が来て下さいました。裁判後の報告集会もこの日と同じ日比谷図書館コンベンション・大ホールでした。
  • この日の常置委員会は特に協議すべき議題はありませんでしたが、2月教区総会関係の議案審議の際、私は按手礼保留動議に関わる発言をしました。内容は上記に記したものです。7日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。