なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

辺野古の海と人

イメージ 1

イメージ 2

・昨日は国会前で2004年8月2日から始まり、550日目になる沖縄辺野古ヘリ基地建設反対の座り込みに行ってきた。私は、昨年10月の半ばに3日間辺野古のテント村にも座ったことがある。そのときのことを書いたものを今日の日記に代えたい。

辺野古のテント村での座り込みは、はじめての経験である。譬えが適切ではないが、私は「牛に引かれて善光寺参り」という気分で、憑かれたように何度も辺野古に通っている妻の引力にひかれて行ってしまったという感じだった。命をかけて辺野古の海辺に座り続けている方々には申し訳ないと思うが、それが私の正直な気持ちである。
辺野古の海には既にボーリング調査用の櫓はなく、台風の余波か、さんご礁の境界辺りで、沖からの波を吸収分解しているのであろう、白波が立っていた。一時的に強い雨に見舞われることはあったが、穏やかな3日間であった。ただ名護市役所前で昼時抗議のパフォーマンスがあり、私も2日参加した。
辺野古漁港に隣接し、鉄条網によって分け隔てられたキャンプシュワブでは、時々進軍ラッパが響き、戦車のようなものが海岸線に出てきたりして、訓練が行われているようだった。また、辺野古漁業組合の建物にはガードマンらしき人が数人いて、テント村の様子を監視しているようで、漁業組合の建物に集まる人とテント村に集まる人たちとの間に無言の壁があるように思えた。異様な感じはその位で、海は美しく、何時まで見ていてもあきない。
ジュゴンが近くにいるのかなーと、想像しながら座っていると、なんだか楽しくなる。テント村の人のふれ合いは、名護市長選を数ヵ月後にして、革新側の複数候補者の擁立で多少ざわめいていたが、全体としてはゆったりとしていて、そこにいることが心地よい(1月の名護市長選では革新側の二人とも落選してしまった)。
・妻は、さすがに何度も来ていて色々な人と話していたが、私は、隣に座っている人と話すくらいで、後はただそこに座っているだけである。時々テント村に備えつきの貝を駒にしたオセロのようなゲームに熱中していた。
・海と空の美しい、静かで、優しい人たちの住む辺野古漁村は、近代化された都市とは全く違うたたずまいをしており、米軍基地キャンプシュワブさえなければ、本当に長閑なところである。異様で辺野古にふさわしくないのは、キャンプシュワブであり、新しい基地建設である。そしてその基地が戦争と人殺しのためにあることを思うと、沖縄に犠牲を強いてきたヤマトの一人として、何としても新しい基地を作らせてはならないとの思いを強くさせられた。

・マタイによる福音書のイエスは、『剣を取る者は皆、剣で滅びる』と語っている。