なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

「所得格差」っていいことなの?

・最近いやな言葉であるが、「勝ち組・負け組」という言い方をよく目にしたり、耳にしたりする。こういう言葉は、内容吟味もなく、ただ流行語のように使われるのであるが、社会の流れを無理やりにその方向にもっていくかのような作為が感じられる。メディアを通してその背後でメディアを動かすことの出来る力が働いているのであろう。

・小泉さんは国会審議で、国民の中に構造改革による「所得格差」が広がってきているのではないか? という質問に対して、そうは思わないと答えている。しかし、この小泉さんの答えは、事実に即したというよりは、小泉さん一流の問題をずらすレトリックではないかと思われる。

・私の周りの青年たちを見ていても、フリーターや契約社員のような仕事で、何とか生活をやりくりしている人たちが多い。将来まで安定した経済的見通しのもてる人は、ごく一部の人たちとしか思えない。そのような青年たちの仕事に対する考え方が、以前とは変わって、マイライフを楽しみたいという側面もあるだろう。しかし、一生涯を賭けるに価する仕事が見出せないという面も強いように思える。

・何かの本で読んだことがあるが、現在の日本のような先進国は超資本主義(吉本隆明)社会に入っており、頭の部分の一部の有能な人間がいればいいようになっているのだと。そしてその一部の人間には、仕事はやりがいがあっても、その他の多くの仕事は、誰がやっても、余り変わり映えがしないので、若い人たちが自分の一生の仕事とするのが難しくなっているのである。

・日本の産業構造もサービス業のような第三次産業が全体の6、7割を占めるようになってきている。第三次産業の労働は不安定である。なかなか一生の仕事とする価値が、仕事自体に見出せない。一つの仕事にしがみつかなければ、食っていけないという訳でもない。次から次にやろうと思えば、条件は余りよくないが仕事はある。

・そういう状況にある現在の日本のような社会では、一部のエリートの所得と不安定な就労にある多数の人々の所得の格差が広がっていくのは当然である。構造改革が進み、抑制のなくなった民間主導の自由な競争は、余ほどその競争する主体の倫理性が高くなければ、たまったものではない。弱い立場の人たちはますます切り捨てられていくだろう。

・癌のような細胞は、時には切除も必要だが、体の弱い部分を切り捨て、強い部分だけを残せば、長い眼で見れば、体全体が衰弱していくに違いない。一病息災と言われるように、弱さを大切にしていくことが、健康を維持する秘訣である。社会も同じではないか。

・聖書の中でパウロという人物も言っている。『体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです』(コリントの信徒への手紙一、12章22節)と。