なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

談合

・日本の社会で特有なのか、あるいは個が確立していいない集団の力が強い社会では、どこの国でもあり得るのか、私には分からないが、「談合」ということが起こる。汚職はどこでもあるように思われるが、談合は世界的に見てめずらしいのではないだろうか。今回も本来憲法からすれば、存在することも疑わしい自衛隊や米軍基地の施設の建設などを取り扱う「防衛施設庁」のお偉方が談合を仕切っていたというので逮捕された。

・談合は今までにも、特に建築業界ではたびたび繰り返されてきて、問題になってきた。しかし、一向になくならないのは何故なのか? 日本の社会は官民癒着の構図があり、天下りによってそのつながりが出来ている。企業もお役所から人を受け入れるわけだから、当然それに見合うものがなければしないだろう。お役所も人を企業に雇ってもらうのだから、手土産の一つも持っていかなければならないということであろう。

・談合のはびこる社会からすれば、競争社会の方が気持ちがよいし、フェアーだと言えるかもしれない。社会的な弱者の命と生活がきちっと守られるのであればの話だが。そういう意味では、構造改革も、経済の自由化も、ある意味で受け入れざるを得ないのかもしれない。仕切りを取り払うということには一理ある。

・さて、今回の防衛施設庁の幹部によって仕切られていた談合は、穏やかな私としても大変頭にくることだ。というのは、新聞で問題になっている岩国の基地の現場を、1月中旬に実際に見てきたからである。1996年から2400億も投じて行われている埋め立て工事も、2008年には完成ということになっているが、説明を受けた岩国市議の方の話によれば、問題だらけの埋め立て工事であるようだ。

・私は、また昨年9月に横須賀の米軍基地を海から見たことがある。米軍基地にはマンションらしい建物が林立し、その他にも生活施設やレジャー施設が完備していると言われえる。それらすべては思いやり予算で日本の税金で作られているというのだ。岩国も横須賀も一度是非自分の眼で見ていただきたい。一方福祉の切捨てや、日雇労働者、野宿労働者の切捨てが行われていると思うと、腹立たしい。

・イエスの眼差しは、最も弱くさせられている人に向けられている。「飢えている人」「渇いている人」「旅人」(古代の旅人は危険がつきまとう)「裸の人」「病気の人」「牢にいる人」を指して、マタイによる福音書のイエスは、『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたのである』と、最後の審判のときに天国の王(神)は答える、と言っている(マタイによる福音書25章31-40節参照)。