なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

重房信子の父親

今の若者は、かつて革命を夢見て命をかけた若者と、何が違うのだろうか? 私にはよく分からない。ただ私にも30代になっている三人の子どもがいるが、その父親として、かつて革命を夢見て、時代の先端を突っ走った若者を持つ親の気持ちは分かるように思う。

昨年の夏頃だったと思う。朝日新聞の書籍広告欄で、日本赤軍の重房信子が獄中で作った短歌がまとめられて一冊の歌集になったことを知った。さっそく書店で購入し読んだ。

重房信子と言っても、知らない人も多いだろう。日本赤軍のリーダーで、1971年から四半世紀パレスチナ人と共に、いわば革命軍の戦士としてアラブの地で生きてきた人である。

その重房信子が、確か大阪だったと思うが、日本に帰って潜伏してところで逮捕され、現在小菅の刑務所に収監され、裁判が行われている。彼女の弁護士のところに重房信子が送ってきた短歌の中から選んで、『ジャスミン銃口に 重房信子歌集』が幻冬舎から出版された。

彼女が父親を歌ったものを、二、三紹介しよう。

 『祖国発つ朝にかけたる赤電話おだやかな父の声きこえる』
 『世界中敵になってもお前には我々が居ると父の文あり』
 『まっとうに生きてきた自負何よりも告げたき父はコスモスが好き』

この歌集の「あとがきにかえて」を書いた弁護士大谷恭子は、その中で、重信房子の姉の手紙を引用している。

「・・・・・お父さんは、あなたを理解し、守ろうとする姿勢だけは一生変わりませんでした。マスコミにたかれても、脅しや嫌がらせの電話があっても、『申し訳ない』とは決して言いませんでした。
『二十歳を過ぎた娘が自分の考えで行動していることを親がいちいち謝らんといかんのでしょうか。それは娘に対して失礼です』
『死んで詫びろ』といってきた電話に、お父さんが静かに答えていた言葉です。・・・・・」

私はこの父親に共感します。そして、イエスの父ヨセフは、まだイエスが公の活動をする前に死んでいるが、もし生きていたらどうだったろうかと思う。自分の息子のイエスが、最後にローマの権力を代表する総督ピラトによって十字架刑に処せられて殺されたわけですから。